今でも怖いこと

お久しぶりです。つぐみです。

今書き留めておきたい感情があったので
ここに置いておきます。

高校を卒業していろいろなことを経験しました。
その経験のおかげで、過去あったことのトラウマや、それによって怖がっていたことはほぼ克服できました。

人を信じることができるようになったり
自己主張ができるようになったり
本当に出会いには感謝しかないです。

ただ、まだ怖いことがあります。

それは「自分のできることを他人にアピールすること」


ちょっと昔話をします。

僕は過去、学校でいじめに遭っていました。
いじめられる側に理由があるなんておかしい!って言う方もいるかもしれませんが、少なくとも僕の場合は僕にも多分に悪いところがあったと思います。

当時の僕は、いろいろな理由から人に認められたい気持ちが強く、できるようになったことや理想像などをとにかく無差別に伝えまくる傾向にありました。

例えばテストで100点をとったとか、野球で活躍したとか、そういうものです。

自分で言うのもなんですが、昔から僕は器用で、勉強、運動、その他のこともいろいろ、だいたいのことは平均以上できる子でした。

そしてそれを誇示してしまう子でした。

 自分の能力をアピールすること自体は何も悪いことではないと、今でも思います。少し話は逸れますが僕は人に憧れないようにしているので、昔も今もそういった話から触発されることはあっても、落ち込むことはありません。

ただ、当時の僕は「人に何かをアピールされると劣等感を抱く人もいる」ということを知らなかったのが悪いことだと思っています。たた、このことを知らないから自分の能力をアピールするときの相手へのリスペクトの表現も上手ではありませんでした。

酷く人を煽っているような文面に見えるかもしれませんが、できれば文字面通りに受け取って欲しいです。本当に僕はこの事実に気づいていませんでした。

いじめられた理由はいじめっ子たちに聞いていないし、聞くつもりもないので分かりませんが、僕の推測の範囲ではこういった結果の誇示からいじめられたのだと思っています。

なぜこの話をしたのかというと、これがきっかけで僕は自分の能力をアピールすることがとても苦手になりました。

評価は他人がするもので、自分からするものではない

と言えば綺麗事ですが、これは一種の逃げでもあります。

自分の能力を正確に把握することを諦めているということです。だから僕はここ3年ほど、自分の能力の現在地を測る方法を試し続けました。これからも試し続けるつもりです。

試した結果、ある程度は自分の能力を分かるようになりました。

ただ、それを言葉にしようとすると、まだとても怖いのです。

次の壁はこれか、とも思っています。

僕は、もっと人は自分を褒めていいと思っています。その理由が今の話になります。

きっといじめられていた僕も、いじめていた彼らも未熟で、その結果がこの恐怖だとは思うんですが、少なくとも僕は人の可能性を潰さないような人間でありたいと、強く思います。

結果、なにを伝えたいとかはありません。

この感情を将来の自分に置いておきたかった、それだけです。

見てくださってる方が心配してしまうと問題なので、僕はこの件についてはもう自分の中で整理はついていて、いい経験だったと前向きに捉えているので心配は不要です。文字面通りに受け取ってください。

ただ、自分の能力をアピールする方法はうまく考えないとなあと日々思っています笑

おわりです。




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