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私的ワールド体験記 #ワ探アドカレ

VRChatワールド探索部の #ワ探アドカレ、16日目の記事です。

はじめに

VRChatワールド探索部1周年を記念したワ談会に参加したときのことです。ワ談会の会場となった部室の壁には探索したワールドの名前と写真が飾られ、それを見ながら今までの活動を振り返りました。

そこで驚いたのは、ほぼすべての活動日でみなさんの「思い出話」が尽きなかったことです。

「あのとき〇〇さんが△△してて面白かったね」「ここで××なことがあったよね」「このワールドは~~で凄かったよね」といった話題が無限にでてくる状態でした。

ワールド探索を通して、時間がたっても忘れず「思い出」として残る場所や体験がたくさんあることはとても素敵なことだと思いました。


私はVRChatで行ったことのあるワールドも数えられるほどで、探索部に入部してから日も浅く、正直まだまだ語れるほどの経験を積んでいないのですが、それでも強く印象に残った出来事や、今後「思い出」として忘れたくない瞬間にいくつか出会いました。

ワールド探索部の活動を通して自分の心に残った体験を2つほど書いてみたいと思います。

体験記1:救出


Albarracin Villageは、スペインに実在する観光名所であるアルバラシンという城塞都市をフォトグラメトリして作られたワールド。

なんと手持ちのカメラで撮った14000枚ほどの写真によってつくられている(!)とのことです。

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石造りの建物を見上げながら細い通路を歩き、看板に書かれているアルファベットから何のお店なのかを想像したりしながら、この街の雰囲気を楽しみました。

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所々に人の形跡があり、それを皆で探して発見するのも面白かったです。ここあるのは人か否か。ある特定の位置から見ると人の存在がくっきりと映し出されるのですが、すこし視点をずらすと輪郭がぼやけただの壁のしみのように見える様子は天然のトリックアートのようでした。

このワールドを制作した方がアルバラシンに訪れたとき、偶然そこにいた人たちが偶然写真に写りこみ、それがワールドとして生まれ変わり、そこに偶然あそびにきた私たちがまた写真とって記録する。遠い場所に住んでいる誰か分からないその人の姿が、繰り返し刷りなおされて存在し続けている様子はなんだか不思議な感じがしました。

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このワールドの探索を開始してから数十分。街をぬけて山を登ったところに城壁があり、全員そこに登って街全体を一望したところでぼちぼちみんなで写真を撮って次のワールドに行こうかという雰囲気に。

城壁はところどころ吹き抜けのようになっていて、壁の上からのぞき込むと大きく深い落とし穴のようになっていました。

「ここに落ちたら出られなくなりそうだね~」と誰かが言った矢先、のぞきこんだ私は足をすべらせ穴に落ちてしまいました。

気づけば四方に10m以上の壁が立ちはだかっており、見上げると空がとても狭く遠く見え、メンバーの声も遠く...

落ちた瞬間、いまから確実にみんなに迷惑をかけてしまうことを思うとばっと冷や汗が溢れ出ました。

足掛かりになりそうなコライダーがないかとか、壁ジャンプしたら登れないかなど色々と抜け出す方法をアドバイスもらいましたが、案の定抜けられず。

抜け出せなくなったらリスポーンするか、次のワールドで合流するかすればよいのですが、その時はただ自分が助けてもらわなければいけない状況になったことに対して申し訳なさでいっぱいになりました。

思えば私はいつもそうだ。みんながやらないケアレスミスをタイミング悪くおかしてしまうんだ...。なんて自分の情けさに落ち込むと同時に、VRでもこんな気持ちを味わうとは思ってもなかったなあ...見た目や身体の動かし方が変わってもやっぱり自分は自分なんだなあ...。なんて改めて気づいたり。

早くこの状況から抜け出そうとするも自分には何もすることができず途方に暮れていたところ、穴の底から空を見上げると宙をとぶドローンの姿が見え、ゆっくりと下へ降りてきて目の前に着地しました。

メンバーの一人がドローンに変身して、降りてきてくれたのでした。

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ドローンには座れるギミックがついていて、ドローンの上に乗り一緒に上昇(そんなことができるなんて!!)。空は広く近くなり、目線がみんなの顔と同じ高さまでやってきて、無事壁の上まで戻ることができました。

まだVRChatに慣れていない中で穴に落ちたときの焦り、不安、情けなさ。からの、ドローンが下りてきて助けてくれたときの心の救われた感覚。そしてみんなの顔が見えたときの安堵感...

実際リアルでどこか深い穴に落ちたり、遭難したりして救助されるといった経験は幸いまだありませんが、救助されるときに見える景色や感覚はこんな感じなんだろうなと思いました。

助けてもらったとき、ドローンの姿になって降りてきたメンバーの姿はヒーローそのもので、私にとってドラマチックな瞬間でした。
消防隊に助けられた経験のあるこどもが消防士にあこがれて、「将来は消防士になりたい!」と思う言う気持ちが分かったような気がしました。

体験記2:ずっとこの時間がつづけばいいのに

Preserved Fire Flowerは、ワ探メンバーでもあるAYANO_TFTさんのワールドです。

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大きく打ちあがる花火、幻想的な音、このワールドがまとう空気感に心を打たれました。

みんながベランダでおおきな花火を眺め「わーきれい!」とつぶやき、ぱらぱらと雑談して、写真をとったりする。その時間がとても心地よかったのを今でも覚えています。

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自分はべつに会話の輪のなかにいてもいなくてもどっちでもよく、その場にいることが許されている感覚。

ぬるい夜風がふく夏の夜、静まった公園で友だちと手持ちの花火をしてはしゃいだときのような

深夜に思い付きで大学から飛び出し遠くの港まで行き、海をみながら缶ビールのふたを開けたときのような

「あっ、いまなんかいい時間だな」って思ったときの体験は何年たっても記憶から消えません。このワールドにみんなでいたときもその感覚を覚えたのでした。 

ずっとこの時間がつづけばいいのに。
そんな願いにこたえてくれるかのように、花火はゆっくりと打ちあがり落ちていく。とても素敵な時間でした。

ベランダの手すりにみんなで横並びに立って、せーのでジャンプして集合写真をとるというのもなんだかとても青春っぽくて楽しかったです。


私のカメラではうまくジャンプしている瞬間をとれませんでしたが、皆さんから共有してもらった写真はとてもきれいに撮れていて、それを見てうれしくなりました。


人がとった写真の中に自分がいるのを見ると、いつもうれしい気持ちになります。
自分に意識的にカメラが向けられている訳でなく、単に小さく映り込んでしまっただけでもなんだかうれしい。

それはなぜかと考えると「確かに自分はみんなとそこにいた」と実感できること、そして「その人が撮りたいと思った景色の一部になれた」という喜びからきているのだと思います。

リアルな世界では誰かの写真に自分が映りこんだとき、顔についた余分な肉や中途半端な表情など...どうしても自分の見た目の気になる部分が真っ先に目に入ってしまい、写真を撮られることを素直に「うれしい」と思うことは少なかったように思います。(VRChat上でも表情や姿勢が予想外な状態になっていることはありますが)

アバターとして撮られるときは、生身で撮られるときよりも「『自分』が撮られる/写真に写る」ということについて純粋に感じとることができるような気がします。

おわりに

ワールドと、他人と、自分。
それぞれが相互作用しあって出来事がうまれて、その場その場で感情をリアルタイムに共有しあえるVRChat。

HMDを外せば一人家の中でただ座っているだけなのに、こんなにも感情豊かな時間をすごせるものだとは思っていませんでした。

自分の中にあるどの思い出も感情も、そのワールドだからこそ生まれたものだし、そのメンバーたちと一緒だからこそ感じられたものです。

いろんな人のワールドでの印象深い出来事や体験談を聞いてみたいなと思い、自分自身書いてみました。

自分の大切な思い出として語りたくなるような体験が、これからも増えていくことを楽しみにまたワールド探索活動に参加したいと思います。




※2021.12.17 2:31 加筆

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