ゲーム障害

前から検討されていたが、ゲーム障害は精神疾患として認定された。

内容は以下の2点だ。
・ゲームをする時間や頻度を自分で制御できず、ほかの活動よりもゲームを優先させる程度が甚だしいこと
・ほかの関心や日常的な活動よりゲームが優先で、悪影響が生じていてもゲームを続ける、または増やす

その通りだ。自分の過去、周りの人々のことを思い返してみれば、まさにその通りだ。睡眠時間もなにもなくゲームをし、仕事や交友関係は全てめんどくさく感じ、やらなければならないと頭で分かっているがどうしようもなく億劫で、仕事は遅刻をし、リアルの友達はどんどん離れていく。

半面、ゲームの中のことに関しては、まっすぐで真面目で決して怠らない。
上記を長年続けていけば、当然起こるのは人生の破綻、そこまでいかないとしても、人生の棄損だ。

昔ながらのRPG等を一人でやっている人は、ゲーム障害になるのだろうか。
私はならないと思う。少なくともなる確率は少ない。ゲームの中でも人と極めて強く繋がるゲームにおいてこそゲーム障害と言われる症状は発生するとそう考える。

言いたいことは、「ゲーム障害は、ゲームを通じて人が本来であれば社会を通じて得るべき欲求を満たそうとして発生するのではないか。」ということだ。 もう少し具体的に、5段階欲求で考えてみる。

①生理的欲求
②安全の欲求
③コミュニティの欲求
④承認の欲求
⑤自己実現の欲求

ゲーム障害は③④⑤の欲求をゲームで満たそうとすることで生まれる。

ゲームの世界でコミュニティの欲求を満たし、承認欲求を満たし、沢山のプレイヤーを助け皆に認められる勇者のような存在になった時、私が感じる喜びは、恐らくリアルもゲームも関係なく幸せだ。 例えば格闘ゲームでいえば私は至高体験といっていいレベルの感動を何度か得た。生涯忘れえぬ大切な思い出だ。

人は、幸せになるために上記の欲求を満たしていく。人の幸せが主観的なものである以上、他人から見たら障害だとしても、自分自身はとても幸せな状態だ。

例えば私の体が自由に動けなくなり、社会的活動ができなくなった時、私はその時ゲームに救われるだろう。それはもう間違いなく。その状態の私が、上記の理論で自分の主観的幸せをゲームによって得たとして誰が責められようか。

少し離れて、ゲーム障害といわれる症状は、「ゲームに限った話なのか。」という点を考えたい。当然そうではない。人間夢中になったら、特にゲーム障害になりやすい我々のような人種は、ゲームでないとしてもそういうことになるだろう。それがトライアスロンだろうが、将棋だろうが、商売だろうが一緒だ。

ではなぜゲームだけが「ゲーム障害」といわれるのだろうか。
私が思うにそれは二つの理由が挙げられる。
①生産性が無い
②時間を圧倒的に消費する

2点あげてみたがどちらも同じ話だかもしれない。時間を圧倒的に消費する上に生産性が無いといったほうがよいのだろうか。(生産性の定義が必要かもしれない。)

365日毎日14時間ゲームする。 この圧倒的な消費時間を自分が主観的に幸せになれるからという理由でやった結果どうなるのか。

周りの人々を不幸にするのだ。
子供であれば親を、仕事をしていれば仲間を、結婚していれば配偶者を、子供がいれば子供を。沢山の人を不幸にする。

これこそが、ゲーム障害の本質的な問題であると思う。
世の中に明確な白や黒などなく、全体的に見て7-3で良い。3-7で悪いといった色分けをするしかない。それで言えばゲーム障害は1-9で悪い。 理由はただ一つ、周りにいる人たちを高い確率で不幸にするからである。

以上が私のゲーム障害に関する考え方だ。 
しかし1点だけ注記したい。上記の話はプロゲーマーには当てはまらない。
彼らはお金を稼ぐ。ゲームを通じてお金を稼ぐ。それは、最も大きな括りで言えば他者の役に立っているからであり、上記とは、まったく次元の違う話だ。

だからこそepsortsという概念は、大きな懸念だと思う。
・プロになりたいという志を持っている人たち。
・esportsの上等文句「ゲームやるのは素晴らしい。」と後押しされてゲームを14時間毎日してしまう人たち。

この両者をどうやって今後切り分けていくんだろう。私からすれば今のesportsというブームはある意味、ゲーム障害になりやすい人たちの後押しをしているようにも思える。

しかし反面、私はプロゲーマー達が極限の緊張感で見せる、プレイの数々、伝わってくる膨大なやりこみ、哲学がどうしようもなく大好きだ。

だからこそ、ゲームの素晴らしいところと、まったくダメなところを切り分ける必要がある。ただこれは、もう少し時間がたち、「esportsとは何なのか。 ただゲームをすることと何が違うのか」が簡単な言葉で切り分けられるようにならないと、多分難しいだろう。

esportsという言葉が、美しい言葉でありますように。


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