ドラクエ5映画の感想
今日はドラクエ映画を見てきました。
ドラクエ5は実に多くのことを私たちに教えてくれた作品です。
命のバトンを紡いでいく大切さ
見た目が違っても分かり合えるということ
どんなに辛くても、強い意志があれば乗り越えられるということ
結婚を決断することの難しさとその喜び
子供のころドラクエ5を通じて経験したいろんなことは、自分の人生と混じりあい大人になればなるほど、ドラクエ5への思いは素敵なものに変わっていきます。
結婚することであの決断の難しさが理解でき、子供ができることでパパスの思いが分かり、そして何かを成し遂げることで勇者の気持ちがわかるから。 だからドラクエ5の思い出というのは、大人になるとどんどん素敵なものになっていきます。
ではここから映画の感想となります。見てない人は見ないように。
私は物語という分野で最も忌むべきは、夢オチであると思う。物語の読み手は、その作品の中にどんどん自分が入っていき、夢中になってしまえば、自分が主人公であるような、そんな気持ちになれる。だからこそ物語は素晴らしい。 しかし夢オチは、その世界をそれこそ一瞬で壊す。 素敵な夢を見ているときに、冷水を頭からかけられるようなものだ。比喩ではない。本当にそのぐらい醒めるのだ。
ドラクエ映画は、この夢オチを作者が意図的に取り込んだせいで、最悪な結果となったように思う。 残念である。
なぜこれをやったのか。作者は、あの白いミルドラース風のなにかにこのようなことを語らせる。
「ゲマへの憎しみも、パパスの思いも、ビアンカの愛も全部ただのゲーム。現実世界に戻りましょう。」
その答えはこうだ
「ゲームだったとしても、俺たちはあの時確かに勇者だった。ゲームだとしても俺たちのあの冒険は現実なんだ!」
私が求めたのは、自分たちの心にあるドラクエ5の世界を、最高クオリティの映画で見たい。ただそれだけである。 作者が最も愚かな方法で、なおかつ主人公に言葉で語らせた「ゲームだったとしても、俺たちはあの時確かに勇者だった。ゲームだとしても俺たちのあの冒険は現実なんだ!」なんてことを、これを見る世代の人たちがわかってないと思うのだろうか。あまりにもレベルが低いと、私は感じた。
ここまで書いて、私は再度こう思う。この映画では、上記したような
・命のバトンを紡いでいく大切さ
・見た目が違っても分かり合えるということ
・どんなに辛くても、強い意志があれば乗り越えられるということ
・結婚を決断することの難しさとその喜び
を最高クオリティの映画で見せてくれた。 本当に素晴らしかった。そのことに大きな喜びを感じたことは事実である。
だからこそ、自分が子供のころにドラクエを通じてさせてもらった大冒険。大人になるにつれ愛情が深まった物語に対して、夢オチと同レベルの結末をあえて行ったこの作者に対して、怒りと悲しみを感じる。
しかし簡単なことではなかったのだろうか。あの最後の夢オチを、ミルドラースとの死闘に変えればそれでよかったのに。残念極まりない。
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