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【座談会 前編】地域がつながる「クリエイターズファイル」の意義|宇都宮市・益子町・栃木市
2021年のカマガワクリエイティブスクールでは釜川の枠を飛び越え、益子町・栃木市と共同で地域ごとの「クリエイターズファイル」の作成と、3地域のクリエイターが集うトークセッションを開催します。
「地域ごとにどんなことが起きていて、これから何を目指していけばいいんだろう?」
まずはそれらを把握するために、各地域の代表3人がリモートで集い、座談会を行いました。
登場する人(敬称略)
簑田理香
益子町在住。地域編集室 簑田理香事務所 主宰。
風土調査をベースに地域づくりの企画立案から広報プロモーションまでを手掛ける。ヒジノワcafe&space共同運営(2010〜)。
遠藤百合子
栃木市在住。栃木県の移住定住コーディネーターとしての東京勤務を経て移住。嘉右衛門町伝建地区の活性化を目的に、地域おこし協力隊として広報物や冊子の作成、イベント開催などを行っている。
中村周
東京都と宇都宮市の二拠点居在住。宇都宮大学大学院卒業。在学中に宇都宮市街地の釜川でまちづくりの拠点となるKAMAGWA POCKETを開始。平日は東京、週末は宇都宮で活動している。釜川から育む会 代表。
前編では、地域ごとのクリエイターの特徴や、今後に向けて考えていきたい共通の課題について綴っていきます。(インタビュー・執筆:山越栞)
震災と土祭をきっかけに作り手のつながりが見えてきた|益子町
― 今回のクリエイターズファイルは、以前、ヒジノワで作成されたものがベースになっていると聞いています。そもそもの経緯を教えてください。
簑田:クリエイターズファイルをつくるきっかけになったのは、2009年の第一回土祭(ヒジサイ)でした。そのときに地域の人たちと一緒に空き家を改装したヒジノワ(今回の展示会場)が誕生しました。
その後、ヒジノワで地域の作家たちを紹介する「ヒジノワクリエイターズファイル」をつくろうという話になって。初期のヒジノワは特に、作家の多い益子でみんなが気楽に使える展示スペースとしての役割が大きかったんです。
それに、つくり手の人たちってどうしても自己PRが苦手な人が多くて。ヒジノワで益子の作家たちをまとめて紹介できるものがあれば、ここに来た人が自由に手にとって作家を知ることができるんじゃないかなと。
そこで、アナログで本物の「ファイル」に写真と文章で作家の情報をまとめたものと、WEBでも見られるものを用意したんです。
※土祭…2009年に益子町で生まれた、行政と住民が共につくり上げていく地域づくりの祭り。3年に一度開催され、2021年で第5回を迎える。
― そこでの変化はなにかありましたか?
簑田:何名かの作家さんは「ヒジノワクリエイターズファイル」が窓口の役割を果たし、お仕事の相談が来ていたりもしましたね。それ以外にも大きかったのは、地域の人たちが作家と知り合うきっかけを作れたこと。「時々見かけるあの作家さんって、こういうものを作っている人だったんだ」と、一般住民と作家さんをつなげる役割がありました。
― 益子は陶芸や民芸の活動が古くから盛んなので、作り手さんや地域の人たちのつながりが深いイメージがありました。
簑田:陶芸家は組織に所属せず個人で活動している人たちが多いので、実はそんなにつながっていない、と聞いたことがあります。同じ師匠に師事した弟子仲間でご飯を食べに行ったりするくらいだよー、と。それに、作家は展覧会などを通して、各地のファンと繋がりますが、あまり地元の人たちと繋がる機会ってないですよね。
だから、2009年の土祭は町民のボランティアも参加できたりもして、色んな人同士がつながったのは大きな変化でしたね。
あとは2011年の震災です。このときのTwitterによる影響がすごく大きかったと思っていて。
― Twitterですか。
簑田:震災によって被害をうけた陶芸家たちが「誰さんの家の被害がすごいから順番に助けに行こう」とか。そういう情報の共有と発信とネットワークが目に見える形になったのは、震災後のTwitterのやりとりが顕著でした。
危機意識って言うと大げさかもしれないけれど、それぞれが普段は個人でやっているので、「困ったときに助け合おう」と改めて感じたきっかけだったと思います。
― つながりの大切さを痛感する出来事が大きなきっかけになったんですね。
簑田:それから、益子の「クリエイター」だとやっぱりクラフト系のイメージが強いと思うんですが、最近になって、実はメディア関係のクリエイターもちらほらといることが分かったんです。
今年の開催で5回目を迎える土祭では、去年の夏に仕事仲間四人で立ち上げたLLP風景社で広報業務の一部を受託しているんですね。そこでメディアをつくろうと周りを見渡したら、若いクリエイターさんの存在が見えてきて。
例えばスターネット*本店で働くために東京店から移って来た人は、すごく写真好きでプロに近いクオリティのものが撮れたり、ヒジノワのコワーキング利用に来てくれた30代後半の映像クリエイターが出身地の益子にUターンしてきていたり。20歳前後の絵が描ける学生さんに冊子の表紙をお願いしたら、想像以上に素敵に仕上げてきてくれたり。今はそういうことが起きはじめている状況なんです。
※スターネット…1998年に、東京でブランドプロデュースなどを手掛けていた馬場浩史が益子町に移住しオープンしたショップ&カフェ。益子にカフェやショップが集まる礎を築いた存在。
Uターン同士がつながりコミュニティ化する嘉右衛門町|栃木市
― 栃木市での活動はどうでしょうか?
遠藤:私たちが活動しているのは、栃木市の中でも「嘉右衛門町(かえもんちょう)伝建地区」と呼ばれる、県内唯一の伝建地区*です。ここで活動している人たちはみんな仲間といった感じで、一定の地域内で作り手のコミュニティができています。
新しく入ってきているメンバーもいるけど、誰かしらの知り合いということが多いので、よい雰囲気はできているかな。ジャンルで競合する人たちもほとんどおらず、うまくバラけているのもいいのかもしれないです。
※伝建地区…伝統的建造物群保存地区。嘉右衛門町には江戸末期から昭和初期にかけての伝統的な建造物が並び、河川や緑とともに歴史的な風景が残っている。
― 「嘉右衛門町にいる人」ということで、お互いにシンパシーがあるのでしょうか?
遠藤:まず、嘉右衛門町で活動している人の中で、そこ出身の人ってほとんどいないなくて。住みながら活動している人もほとんどいないんです。栃木市内の別の場所に住んでいて、嘉右衛門町を活動拠点としている人が多いですね。
それから、活動している人たちの多くはUターン組です。一度東京に出て、30歳を過ぎた頃にポツポツと戻ってきていて。
嘉右衛門町に限らず、いま栃木市のまちなかで素敵な活動やお店を運営している人って、話を聞いてみると中学とか高校の同級生だったり、先輩・後輩だったりするんです。
同級生同士で結婚していたりもするので、家族ぐるみで週末にキャンプに行くとか、クリエイター同士のつながりはかなりアットホームだと思います。
― 例えばそんな雰囲気の中で、外から来た人が「蚊帳の外」のように感じてしまうことはないのでしょうか?
遠藤:そういう意味では、私も外から来た人間です。最初は知り合いがいなくても、徐々に繋がりが広がっていくので。いつの間にか一員になっている感じですね。ここにいるのは似たような雰囲気の方が多い印象です。
― 最近だと、嘉右衛門町で行った「写ルンです こどもワークショップ」が素敵だなと思いました。
遠藤:そうですね。自分たちで企画したけど、あれはすごく良かったなと思っています。
元々はブルガリア人の写真家さんの展示をやることになった中で、地域の人たちにとっては少しハードルが高いなと思ってしまっていて。単なる写真展じゃなく、「写真」をキーワードにもう少しとっつきやすい企画も展開したいなと。ちょうど夏休み期間中だったので、子どもたちにとってコロナ禍でも良い思い出づくりになるような企画ができないかと思ったんです。
そこで、実行委員のメンバーにまちのカメラマンの仲間を巻き込もうと声をかけたら「いいね」と加わってくれて。元々仲のいいメンバーだから「彼がいるなら色々できるね」という話になったんです。
― 街に住むクリエイターと関係性が近いからこそ、一緒にクリエイティブなワークショップをつくりやすい雰囲気がありそうですね。
遠藤:そうかもしれませんね。 でも、近隣ではそんな雰囲気はあっても、まだまだ栃木県内でも知名度は低いエリアだと痛感します。
知っている人は「嘉右衛門町っておしゃれな街だよね」みたいに思ってくれてはいるけれど、外に向けたつながりをこれからはもっとつくっていきたいな、と思っているところに、今回「クリエイターズファイル」のお話をいただいて。
私が地域おこし協力隊としての任期を今年で終えるタイミングだったこともあり、来年度へ引き継ぐ意味でも、いい機会だなと思っています。
都市部ゆえの場の生まれ方と、一定の距離感が保たれている釜川|宇都宮
― 宇都宮の釜川エリアはどうですか?
中村:釜川沿いは旧赤線地帯ということもあって、エリアとして廃れていたところからスタートしています。そこが整備された後の空き家や空き地を使って、店主やクリエイターがDIYでお店やアトリエを作るようになりました。だから、「自分で考えて作って生活する」みたいなことが一直線につながっている人が元々多いのが、釜川エリアの特徴です。
そんな人たちが営むお店がたくさんあって、そこに出入りしているクリエイターも多い。たまり場のようになっているミュージックバーがあったりとか、セレクトショップに尖ったモノが売っていたりとか。あとは撮影にもよく使われていますね。
釜川はある種のブランドとして確立されていて、「お店の人ベース」で進んできたまちづくりの形だと思っています。個々がコミュニティを作って集っているエリアですね。
― 中村さんも、釜川エリアのそんな雰囲気に面白さを感じてやってきたひとりなんですね。
中村:そうですね。僕は2013年の宇都宮大学在学中に、たまたま釜川沿いのお店に通うようになり、このエリアに仲間入りしたという感じです。
そこから震災後にはじまった「釜川デパートメント」というマルシェベントで輪が広がっていき、今は割と勝手に「もっとみんなで面白いことをしよう」と活動している状況です。
なので、昔からここで活動しているクリエイターたちとのつながりはそんなに深くもなくて。基本的には、釜川エリアを面白いと感じて集まってきた「外側の人」との関係が多いですね。
例えばKAMAGAWA POCKETの隣には、実は映像作家さんのアトリエがあるんですが、関係性としては挨拶するくらい。そういう距離感の人はたくさんいますね。
― 益子や栃木に比べて、都市部ならではのコミュニティの形が垣間見られますね。
中村:そうですね。仲のいい人同士でつながって釜川から育む会やビルトザリガニカが立ち上がり、宇都宮市や商店街、自治体等と連携してカマクリ協議会*として公的なものになりはじめてはいるんだけど、まだまだ同じエリアで活動していてもお互いに知らない人は多いです。
だからこそ、今回「クリエイターズファイル」の展示とトークセッションを行うことで、お互いにどんな人で何をしてる人なのかを知れたらいいなとも思っています。
※カマクリ協議会…釜川周辺の特色あるエリアづくりに向けた官民連携による協議会。
県としての「クリエイティブにおける課題」って?
― 今回「クリエイターズファイル」の企画を持ち込んでくださったのは簑田さんでしたが、その背景について改めて教えてください。
簑田:まずは今回の土祭の広報業務を受けるにあたり、町内に住む人で、イラストや絵画制作で力を発揮している方、発揮できそうな方をできるだけ多く起用した取り組みを行いたくて「住民参加の広報プロジェクト」を2本立ち上げました。
一つは、さっきもお話しした「ヒジサイノート」という冊子の表紙のイラスト制作を、益子出身で県外の大学に行っている学生や、町内の若手に依頼して。アートディレクターとやりとりしながら、商業ベースでも通用する作品として仕上げて納品するというプロセスを体験できる、有償インターンシップというか……。もう一つは、店舗や商店の窓に、ガラス専用のマーカーで絵を描いていくウィンドウアートプロジェクト。
この2つで、11名のクリエイターが、町内の人たちに見える形で活躍することができて。すると、町内の方で、チラシやパンフレットを作る機会がある人からも、こんな能力ある人がいたんだねーという声が上がったり、デザインできる人、絵が書ける人、デジレクションできる人、文がかける人…そんな人が、どこにいて、どんなことをお願いできるのか知りたい、という声が上がったりして。
クリエイターズファイルを新たに復活させるのは、今かな、と。 さらに益子だけじゃなく、ゆくゆくは県全体でクリエイターのつながりが広がったらいいなと思ったのが、中村さんと遠藤さんに声をかけたきっかけでした。
あとは、益子やカマクリで出会う人たち、栃木市で活動する遠藤さんもそうだし、クリエイテイブな人はいろんな領域でたくさんいるのに、「栃木県」として発信するときに、栃木に暮らしている人たちのクリエイティビティが反映されていないというか。そこがいつも残念で。「なんでああなっちゃうのかな」と(笑)。
地域と地域が直接繋がりながら創造的な良い動きにつながっていけば、もっと面白いんじゃないかなと思うんです。
遠藤:それは全く同意ですね。本当に個々の地域でコンテンツはいっぱいあるのに、「栃木」というくくりで外に発信しているものってほとんどないなと思っていて。例えば宇都宮餃子、足利フラワーパーク、日光、那須とか。それぞれにエリアごとの動きはあるけど、県としての一体の動きは弱いのかなと思います。
― 遠藤さんは現在地域おこし協力隊として行政的な動きをすることもあると思うのですが、そこでクリエイティブに関して思うことはありますか?
遠藤:行政の中で何か広報物などをつくるとき、「クリエイターにお願いしよう」という意識はあまりないと思います。
決められた予算の中で一番安くしてもらえるところ、という評価基準になってしまうので。みんな良いものをつくりたいという思いはあっても、その定義付けができないというか。
私の場合は地域おこし協力隊という少し特殊な立場なので、どうにか予算をやりくりしつつ、自分が一緒に仕事をしたいと思うクリエイターさんと一緒にやらせてもらっています。
― 予算をはじめとした制約が多い中で、遠藤さんが一緒にやりたいと思うクリエイターさんに仕事を依頼できているのはどうしてですか?
遠藤:こだわり…ですかね。私は「この人とやるから意味がある」と感じているから、頑なにその想いを突き通して上司を説得してます。
その分、成果物はみんなが驚くくらいに良いものを出さなきゃいけないんですけど(笑)。「ちゃんとこだわれば、行政でも良い広報物がつくれる」と世の中に伝えたいし、職員さんにも感じてほしいと思ってます。
ただ、多くの職員さんにとっては、声をかけたいと思うクリエイターさんと知り合う機会自体も、なかなかないのかもしれません。
例えば毎年同じ広報物をつくるとなると前年の踏襲で、あえて「今年用にデザインを変えよう」なんて発想もなかなか出てこない場合もありますよね。
中村:これはかなり本質的な議論に差し掛かってきましたね。
まず行政のアウトプットに関して「じゃあ東京はどうだろう」と考えてみたのですが、実は地域差ってあまりないのかもと思ったり。例えば東京オリンピックで「どうしてこうなってしまったんだろう?」と残念な気持ちを抱いた人も多かったと聞きます。
都市部の場合はクリエイティブ全体の数が多く、民間のアウトプットのほうが母数が大きいので、おのずと良いものもが目立っているのかも。
それに、地方の場合は行政のクリエイティビティが地域の顔になってしまう側面もあるのかなと思いました。なので地方でも、もっと「民間として何をつくるか」を意識して動いていけば面白いものができていくし、民間側が「栃木ってこんなにかっこいいものができるんだよ」と言えるようになれば変わるのかな。
あとは、大手広告代理店の力が強いとか、印刷屋さんが広告のデザインもしたりと、発注の流れが曖昧になっていたり分業化されてない感じがあるのかな、と、感覚では思いました。あくまで「感覚」なので、これはトークセッションに向けて調べたり考えたりしていきたいですね。
(後編に続く)
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