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ハロー、SIGMA fp。

 2月末、新婚旅行に行ってきた。

 出不精の妻は海外旅行経験がほとんどないので、冒険的要素をなるべく排除しながらも圧倒的な非日常感を出す方法について考え抜いた結果、旅先は私にとって既知でありながら再訪したいと思うだけの魅力があって、メシと治安に不安がないところを選んだ。パッケージングとして完璧で、魅力的なパーツが揃っていることが保証されており、再現性がある旅。プラモデルのようなプランだな、と出発前から考えていたが、結果としてその目論見は成功したように思える。

 スリランカの景色は雄大である。地平線まで広がる森、そびえ立つ岩塊、海中に没する日輪。そのどれもが美しく、写真を撮ってもその感動を他者に伝えるのが難しい土地だということは、初回に訪れたときに思ったことで、今回の旅でもその感想は変わることがなかった。

 とはいえ、である。新婚旅行という人生に一度のイベントを写真で記録する義務感から逃れることはできなくて、結局私はiPhone11 Pro Maxというとりあえず写真の撮れる機械を軸に、SONYのRX100M3とNikonのD500にお気に入りのレンズであるSIGMA 18-35mm f1.8を取り付けたものを持っていくことにした。

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 日中は猛烈な暑さとなるスリランカで、D500を持って歩くのはなかなかにしんどい。これが「写真を撮るための旅行」であれば私も我慢したかもしれない。そしてもうひとつ、一眼レフで撮影するときの没入感というのが今回の旅行にはそぐわないものだということに気づいた。上記ふたつのことは、妻のコンシェルジュとして、インタープリターとして、ツアーコンダクターとしてふるまおうとすると、一眼レフで写真を撮るというアクションがとても煩わしく、ときにリスクにすらなるということを意味しているように思える。

 景色を撮ろうと一眼レフを構えれば旅行から妻が排除されてしまうし、そもそも我が家の場合、妻を一眼レフで撮影するのは撮影者も被写体もこっぱずかしいのであまり好まない。ではコンデジは……となるのだが、私の性格上小さいカメラにネックストラップを付けて首から提げるのは自意識が許さず、歩行時に片手が塞がるのも嫌いなので手に持ったまま移動するのも許されない。そもそもiPhoneと一眼レフを持ってきているので、コンデジは帯に短し襷に長しという状態だ。結果として、旅行中ショルダーバッグに放り込んだままのコンデジは一度も起動されることなく帰国の途についた。

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 そういうわけで、今回の旅行の90%以上の写真は、iPhone11 Pro Maxで撮影されることとなった。この機械に付属するカメラは大変に優秀で、iPhoneの画面で見るぶんにはとんでもなく鮮鋭な画像を得ることができる。ただし、広角は非常に眠たい画になるし、暗所では人工的で拡大不能な画になるし、点光源が入ろうものなら盛大なゴーストが出現することは数多くのユーザーが訴えているとおり。つまるところ、ドピーカンの昼間にTwitterをしながらふと撮影すると当然のようにキレイな写真が撮れますよ、というシロモノだ。

 しかし、この「ふと撮影する」ということの重要性がこの旅ではクローズアップされる。iPhoneのカメラを立ち上げて、そのままの画角でさっと撮る。標準と中望遠を切り替えるくらいのことならワンタップで終わってしまうので、選択肢としてはその程度だ。iPhoneならではの画像処理技術により(シャッターを切る前後数枚のデータを高速で合成しているというのはよく知られた事実だ)白飛びも黒つぶれも抑制された、ダイナミックレンジの広い印象(あくまで印象である)の画像が得られるので、露出補正も色温度の調整も撮ったあとで適当にやってOK。妻も私もiPhoneで撮影されることには慣れているので、妙に構えることもないし、こちらも深刻な顔でファインダーを覗かなくていい。

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 で、「やっぱりiPhoneのカメラは優秀だねぇ」「一眼は重いし、こういうときは思い切ってコンデジ一本にしたほうが目的が絞れていいかもねぇ」などと思いながら旅を終え、千枚ほどにも及ぶiPhoneの写真をじっくりと編集しようと思った矢先のことである。iPhoneの写真をPCに移すことが極めて面倒な作業になっていることに気づいた。これには本当に参ったし、信じられない出来事だった。

 まず、かれこれ数万枚に及ぶiPhoneの画像ライブラリのなかから必要なものだけをピックアップする方法が乏しい。Macではイメージキャプチャというアプリケーションが標準装備されていて、これがiPhoneに収められた写真データを無編集で直接吸い出す最善策と思われたが、数万枚のライブラリをブラウズして快適に操作できるとはいえない。さらに最近のiPhoneは色加工やトリミングがなされる前のデータ(これはライブラリ上では不可視だ)と、撮影時のアスペクト比でトリミングされ、その後ユーザーによって編集されたデータの2枚が保存されており、どちらもJPEGデータであるためこれを選別して取り出す方法もない。Lightroomで取り出す方法も考えたが、こちらは期間指定してフォーマットやファイル名を絞り込む機能がないため、実用的ではないという結論に至った。

 つまるところ、iPhoneで撮影した非編集の画像データはiPhoneのライブラリ上では不可視となっているし、それを自在に取り出して外部に保存し、任意の画像編集ソフトで加工するというユーザーが想定されていない。iPhoneで撮影して、iPhone純正の写真アプリで加工し、iPhoneからクラウドにアップロードし、それをiPhoneや他のデバイスで眺める……。こういうエコシステムの利便性は理解できるのだが、私はムキになってiPhoneから一枚ずつオリジナルデータを探し出し、手動でMacに保存し、Lightroomで編集してからFlickrに保存した。

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 恐ろしい作業を終えて、私は二度とこんなことをしたくないと思ったし、かといってAppleの考える写真のエコシステムに巻き込まれることをどうにかして回避しなければいけないと考えるようになった。一眼レフやコンデジで撮影すれば勝手知ったるワークフローで画像を管理できるが、今回の旅行で「一眼レフがそぐわないシーン」が存在することに気がついた。(ちなみに、ここまでの画像はすべてiPhoneで撮影したものだ。noteの挿絵ならばなんら問題ないと思えるし、むしろあんな薄い板でこれだけのものがホイホイ撮れることは驚きに値する。)

 また、RX100M3はすばらしいカメラなのだが、きわめてオタクっぽい性質を持っていて、小さいボディであるにも関わらずとにかく膨大な設定を変更することができる上にズーム域も便利でオイシイところをカバーしている。たとえば「今日はRX100M3と遊ぼう」と決めたときや仕事用のサブカメラとしてはマッチするのだが、旅先で気ままにスナップを撮るというシーンでは撮影時に考えるパラメーターが増えがちで、スムーズさに欠けると感じるようになったのも事実だ。

 こうした諸々を脳内で転がしているうちに、「尋常じゃなく重たいわけではないが、美しい画像を得られて、どこか不自由なカメラが欲しい」という贅沢な考えがムクムクと沸いてきて、旅の思い出が熟成されるにつれその欲求は頑固さを増していった。没入感がなくて、首からぶら下げるに足る最低限のガジェット味と重量感を兼ね備え、いちどセッティングを決めたら悩むことなくスパスパとシャッターを切れるカメラ。画角はなんでも入る24mmとか28mmよりも、少し長いくらいのほうが身体性のある写真が撮れる。単焦点で、暗所でもへこたれない、コンデジと一眼レフの間にあるような、辛そうで辛くない少し辛いラー油。

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 上のような、夕暮れどきのキメキメ画像はセンサーサイズに余裕がなければ得られない(これはバルコニーからD500をビキビキに固定して撮影したもの)。夕暮れや夜にも強いAPS-C以上のサイズのセンサーで、40〜60mmくらいの単焦点レンズが装備された、図体のでかいコンデジのようなものはないだろうか……。そうだ、小さめのNikonのエントリー機に撒き餌レンズをくっつけるのもアリかもしれない。いやでも、Nikonのハイエンド機の操作感を知っていながら両手両足を縛られたようなカメラの操作に耐えられるだろうか……。そんなことを考えながら、インターネットに浮かぶいろいろなレビューを読みながら酒を飲んだ。

 結論として、いま手元にSIGMA fpの45/2.8レンズキットが存在する。

 「なんだ、レンズ交換式のミラーレスじゃねえか」と思うかもしれないが、私は「APS-C以上のサイズのセンサーで、40〜60mmくらいの単焦点レンズが装備された、図体のでかいコンデジのようなもの」として、選択肢を増やすオプションを付けずに運用してみることにした。考えてみると、そういうニーズを満たしてくれるカメラはSIGMAのdp2くらいしかなくて、SIGMAというのはやっぱりレンズ本位主義というか、レンズありきの商品企画がうまいなぁと思うのである。

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 ミニマルなボディデザインは「レンズ屋さんが考えた最強のセンサー箱」という感じで、味も素っ気もないところが気に入っている(タイプフェイスや質感の良さは言わずもがな)。一眼レフよりは随分と軽く小さいのでカバンに入れておいても負担に感じることはなく、それでいて首から提げても恥ずかしくないくらいの存在感があり、ひんやりと冷たいレンズも極めて仕上げが丁寧で、とにかくモノとしてありがたい感じがするのもいい。

 好きな設定で固定したままスパッとスイッチをONにすると、背面の液晶に45mmで捉えた景色がポンと現れて、あとはシャッターを切るだけ。ファインダーを覗いて相手に威圧感や疎外感を与えることもないし、考えることは自分の位置に限定されるし、45mmという距離感もテーブルの向こうの相手と会話しているような雰囲気。こうなると、写真を撮っているというよりもコミュニケーションの一部にカメラが自然と介入してくるような感覚だと言えるのではないだろうか。

 出てくる画の凄まじさはnote上でも散々言われているとおりで、JPG撮って出しにも関わらず映画や絵画が重みを持ってズルリと画面から滴り落ちるかのような感触。なんというか、とにもかくにも恐ろしいカメラなのである。

 まだまだ触り始めたばかりなので、このカメラが私の生活や写真への考え方をどう変えてくれるかはわからない。けれど、久しぶりになんだかとてもワクワクする買い物をしたということは確かだ。学生の頃のようなフレッシュな気持ちで身の回りのことを切り取ってみるために、まずはコイツと仲良くなってみようと思う。


■以下は手にとって初めて、サラッと撮影した画像たちの詰め合わせという名の付録です。読んで「へー」と思われた方は投げ銭ついでに見て行ってください。基本JPG撮って出しです。

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