何かを書くという目的

書く目的とは何だろうか。それを考えてみると、いくつかの理由が考えられる。その目的は以下のように分けられる。1.楽しい 2.見える化 3.アイディアの蓄積 4.自己理解の確認である。ひとまず、4つに分けてみたが他にも目的は多数考えられると思う。

一つ目の、楽しいという事はそのままだ。書くという事は、人間が楽しいと感じるのではないか。もちろん、書くという行為が好きではないし、苦痛に感じる人は存在する。しかし、人間は生きているだけで何かしらの精神活動をしている。故に、その考えていることをアウトプットするという事は元々人間に備わっている機能を活用するということではないかと思うで、とても楽しいことであると考える。

二つ目の見える化は、今まで頭の中にあった事を実際に目に見える形へと変える事である。これは、非常に大きい。なぜなら、これは書くという行為を通じて、今までなかった言葉を作り出すという事であるからだ。言い換えると、0から1を作り出すという表現もできる。そして、それは自分が言葉として分身した姿ともいう事ができる。このように、0から1を作りだせたり、自分の分身を作り出す事ができたりと、書くという事は可能性を秘めている。

三つ目は、アイディアの蓄積だ。先程、書くという事によって0から1を生み出すという事を書いた。そして、これはアイディアの蓄積にもつながる。つまり、書くという事により、何かを生み出す事を続けていればその生み出したものが蓄積されていくという事である。なので、蓄積があるかないかが後に大きな差となるし、もし蓄積があればそれは大きな財産となる。また、人間は忘れる生き物であるので、10年前にあった出来事を鮮明に全て思い出す事は容易ではない。しかし、書くという事によってアイディアを蓄積していれば、たとえ10年前の出来事でも書いて残しておく事によって思い出す事ができるので魅力的だ。

四つ目は、自己理解の確認だ。そもそも自己理解とは何だろうか。自分が自分をどれだけ理解しているかという事だ。人には、自分で認識できているところもあればできていないところも沢山ある。それは、自分の容姿であったり、能力だったり、可能性や人柄まで自分で認識している事が必ずしも人の自分に対しての認識と同じという事はないという事だ。しかし、自己理解が深まっていないと人と話していて話が食い違ってしまうことや、自分の進むべき道や可能性を誤って選択してしまうケースだって考えられる。だからこそ、自己理解を深める事は重要である。では、どうすればいいのか。それは書く事によって認識する事ができる。もちろん、外見などは認識できないが、少なくとも自分が何を考えているのか、どれくらい考える事ができるのかという事を自分で確かめる事ができる。そうする事で自分がこの物事についてどれだけ理解しているかを自分でチェクする事ができる。

上記には、書く目的やメリットについて論じてきたが、その目的やメリット、書くという行為の意味付けは人の数だけあると言っても過言ではない。だからこそ、その事について日々考えを巡らし、変化しつつも思考を掘り下げていけたらいいと思う。