学問の官能性

先月、2年付き合った元カレと別れて、気持ち切り替えようと思って酒と煙草をアホみたいに摂取して扁桃炎にもなった。
25にもなって荒療治すぎるけど、ようやく回復してきた。
自分から別れを切り出すのって、その人を愛しきることができなかったと認めることだと思っていたから、結構だいぶ体力を消耗するし、傷つく。

その後他の男の子と遊んだりもして、のぼせあがってすぐ好きってなって。惚れっぽいのももちろんだし、また人を愛せるという確証が欲しかったのもそう。心の奥の衝動的なものが久しぶりに刺激されてぞくぞくもした。

それからフィールドトリップがあって、私がやろうとしている研究は結構何重にも面白いぞということにも気づいた。私が3年生だったらこんなにできたかわからないなと思うようなツアーで、そんなことができるのにずっと肝心なことには踏み出さない人をみて、なんてもったいないことをしてるんだと憤りを感じたり、人の懐にさらっと、しかし最初に立場を確認したうえで計算して入ってく高い技術を持っているのに、周囲にはそれしかないと言われている人の姿を黙って見ていたり。私はとっても助けられていたのにな。また会えたらお礼を言おう。

そんなことをこの一か月で経験して、学問が一番官能的だったことを思い出した。考えたら、あの男の子にそそられたのも、フィールドトリップで出会った人たちも、今までは知らなかった自分を見つけて、身につけたい技術を見つけて、自分を開発できることにゾクゾクしたからかもしれない。そうやって、安定した生活から抜け出して、また学問に熱中していた頃の自分になって、自己開発して自分を拡大していきたくなったのかもしれない。そうか、それならしょうがない。

そういう気分のとき、私にとって学問は一番官能的な行為になる。時代も場所も関係なく、人の思想に触れられる。今の私の何歩も前にいる人たちから学んで、まだ見ぬ自分を拡大していくし、同時に自分の思想を言葉にして今の自分とも対話していく。自分のなかに他人を住まわせて育てて、少しずつ言葉を積み重ねて拡げていく。言葉にすることは一旦今の自分を同定するけど、それは今の自分から抜け出すための通過点で、その先に自分から抜け出す快楽が待ってる。

これほどの快楽はないんだ、今の私にとって。


それを思い出せたのは、一見刺激的に見えて安定したあの2年間のおかげだし、その後の1ヶ月の経験のおかげだと思う。感謝してる。し、自分も含めたみんなの幸せを願っている。


ここまで書いて、その元カレと会ってきた。荷物を返すついでに、ご飯を食べて最後のドライブした。ちゃんと好きだったことに気付いたし、会えてよかった。付き合ってたときはあんなに頑なに謝らなかったのに、悪かったって最後に言いたかったって言われた。嬉しかったし、それがよりを戻すための言葉でもないこともその人らしいと思った。なんの算段もなく今の自分を全部出せるところに憧れたし惹かれたんだった。人付き合いが苦手だ、とか子どもの頃のことを引きずっているんだって考えたとか、言っていたけど、私はそんなのとっくにわかってたんだよな。何で待てなかったんだろうな。凄く悲しい。でもほんとはわかってる。

愛しきれなかったという根性の話ではなく、愛の技術が足りなかったのだと思う。今の私の技術が足りない。
私の言葉が届く人と、そうでない人がいて、しょうがないのかもしれない。私に学問の奥深さを教えてくれて育ててくれた先生の愛も、届く人とそうでない人がいた。しょうがない。いつかどこかで交わることがあるかもしれないから、それまでその時の自分ができることをするしかないのだと思う。

私の研究は人がいくつも顔を持つことで、アイデンティティの呪縛を操れるようになることを目指すもので。そんなのは本当に綺麗事なのかもしれない。親からも先生からも愛情を受けて育ってきた人間の話でしかないかもしれないという無力感は膨らんでもいるけど、いつか私が歩いて行った道が誰かの案内板になれば嬉しいから、続けるんだ。そうやって生きてみることを続けることが一番大事だ。


私の言葉は軽すぎるのかもしれない。でもだから届く人がいる。と考えるとやっぱり論文だけじゃだめだ。このリズムの言葉が書ける媒体で自分の書き続ける必要がある。それだけが読んだ人の身体の奥まで届くものなのかもしれない。
重たい言葉を乗せていきたい人も、それが届く人はいる。今の私にはできなかったけど、私が届けられない人にきっと届くでしょう。
悲しい。凄く悲しいけどしょうがない。それがわかったことだけでも足りるくらいこの2年間は大事な思い出になった。


学問は自分を開発する官能性にも開けているし、他人に愛を伝える方法でもある。あと5年、もっともっと修行する。

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