8/19 蔵本順WS OASIS大学特講『現代ゴスペル概論1』
こんにちは!ゴスペル初心者のまるです!
8月19日、スタジオセオリで行われた蔵本順さん(ジョンさん)のワークショップ(豪華!岩崎センセのピアノ付き!)のレポートを…と思ったら単なる感想文になっちゃいました! あはは😅ごめんなさい。
当日は、みんなで思いっきり笑って、泣いて、歌って、WS後は皆で夜道をお散歩して、その後のお食事会では大騒ぎ…盛りだくさんの夜でした💕
【レポートというより感想文👇】...いきなり真面目(笑)
ゴスペルとは、なんだか心のままに気持ちをぶつけたり、自分を解放できる、大声出したり、気持ちよく酔って歌ってもオッケーなジャンルなんだと思っていた。
白人が教会の中で祈り歌うのを外で聞いた黒人が始めた音楽なんだろうとボンヤリ理解したつもりでいた。
今回、ジョンさんのお話を伺ったら、そんなものじゃなかった。
アフリカから奴隷船でアメリカに「輸入」された「たいせつな商品」としての黒人たち。たくさんの人たちが船の中で自殺したという。「商品」に自殺されては困る白人は彼らにキリスト教を教えた。自殺を禁止する宗教であるキリスト教、未来に希望を持たせるキリスト教を、白人たちはマインドコントロールの道具として使った。黒人たちに「生きていればいいことがある」と教えた。
綿花プランテーションなどで、荘園主などから殴られたり殺されたりすることが当たり前の日々。日曜日の礼拝だけは許された。神を信じ希望を持たせれば、黒人たちは死なずに働くから。そこで一緒に祈る仲間に「来週また生きて会えますように。神様があなたを守って下さいますように」と祈った歌を、今回のワークショップで教えていただいた。
この話を聞いて「それが自分だったら… 。殴られたり殺されたりするのが私の大切な家族だったら…」と想像してみたら、もう重すぎて歌えなかった。
「ここにいる私たちがみんなそんな環境で生きていたら…。来週誰が殺されていても不思議じゃない、もう会えないかもしれなかったら…」と思うと、ゴスペルはそんなに簡単に歌えるものではなかった。言葉に気持ちが乗れば乗るほど、喉は詰まり、呼吸はちぎれた。
どうしてこんな歌詞を歌うことが出来るのか。
ゴスペルは趣味や芸じゃなくて、本当の意味で「魂の叫び」なんだと思った。そんなプライベートな感情をここでみんながいる前で出せるんだろうかと思った。泣き叫びながら歌うことができるものだろうか。
私はこのワークショップで変わった。今後は心して歌う。奴隷として連れて来られた人たちの悔しさや絶望を想って歌う。一筋の光である信仰にすがるきもちを想って歌う。
そう決めた。
(若い頃、たくさんのアフリカ人の中で一時期一緒に学ぶ機会があった。その中に一際美人な姉妹がいた。「ふたりとも美人でいいね」と言うと、ふたりは悲しそうに笑って『… 奴隷だからね』と言った。彼女たちは、独立前のアフリカのある国で、白人の『ご主人様』がお母さんをレイプして産まれた子供たちだった。肌の色を見ればそれは明白な事実だったのに、混血が進んだアメリカの黒人に慣れていた私は『美人でいいね』なんてオメデタイ言葉を発してしまった。姉妹ということはレイプは一度じゃなかった。でも、拒めない。お父さんも文句は言えない。『ご主人様』の妻や子供たちからの憎悪はどんなものだったろう。白人たちはもちろん、黒人の仲間からも「汚らわしい子供たち」としてずっと仲間外れにされてきたと聞いた。アフリカ人の苦しみは私にとって遠い昔の歴史のお話ではなくて、同い年の友人に実際に起こった身近な現実だ。)