心の底を掴む(2018/4月のブログです)

人から認められたい

そう思うのは欠乏感などがあるからなのか




そこを、深く掘り下げてみました




人から認められたい


本当にそうなのかな……



冷静に考えると、人それぞれいろんな考え方があるし、認められないこともあるわけで

そして、それはそれで別に何とも思わない

全員から認められることはないということも

知っているし、それで生きていけないこともない



じゃあなぜ、認められたいと思うんだろう

認められないと心が苦しくなったり

重くなったり嫌な気分になるんだろう




何に蓋をしているんだろう




結論からいうと


僕は母に認めてもらいたかったんだ

と気づきました



小さい頃、学校に行きたくないと思い

行かなかった




学校に行きたくない




それは当時の僕の本音でした

いろんな状況の中で

なぜ、そう思ったのかわからないけど

心の底の核の部分がそう思いました




しかし、それを許してくれる社会ではなかった。




そして、母の悲しむ姿、苦しむ姿、寂しい姿

を何度も何度も何度も見ました




子供の僕にとっては

母はとても大きな大きな存在で

一番、自分のことを認めて欲しかった存在でした




僕が純粋にそう思ったこと

こんなこと思った僕が悪いんだ

思っちゃいけないことを思ったんだ

と、思うとともに

何でわかってくれんの!

何で思ったことを認めてくれんの!



言いあったりケンカも何度もしました




そして、プロフィールにも書いたように

僕は、家を離れ施設で5年間過ごしました




僕のせいで、母に心配をかけた

母に寂しい思いをさせてしまった



禅タロットの師匠にそう話したことがあって

その時は「自分のことよりも、母に対してそう思えるまで成長したんですね」

って言ってもらえたけど




それは自分に蓋をしていた




僕は、母に認めてもらいたかった


誰よりも、母に認めてもらいたかった




高校を出て、一旦家に帰り一緒に暮らしますが

仕事がどうしても合わず、福岡に出ていきたいと思って

でも、また母を一人にしてしまう

そういう葛藤があったときでも

母は「自分の人生だから、自分の好きなように生きなさい。自分のしたいことをしなさい」

そう言ってくれた

それは、すごく嬉しかった




でも、母は寂しさを我慢して

僕のために、一生懸命、言ってくれたんだと思います




母が亡くなる一週間前でした

電話をしたときに母は今まで言ったことのないような言葉を口にしました。

かなりショックだったので

自分で記憶を消そうとしたのか

今では、ボンヤリとした感覚でしか

残ってないんですが

このようなことを言われました


「あなたのせいで、私は寂しかった。あなたのせいで辛かった。苦しかった。あなたのせいで……」


生まれて始めて、そういうふうに言われました。



僕は、うんうん…としか言葉にできなかった




母と話した最後の会話でした




ずっとずっと寂しくて

気持ちがいっぱいいっぱい

だったんだと思います



ずっと我慢してたんだと思いました



母も認めて欲しかったんだと思いました




そういうことがあったから

その後は罪悪感でいっぱいだったけど



その奥には

母に認めて欲しかった



認めてもらえなかった寂しさ



が、あったんだなぁって





ただ、もう卒業しなきゃなぁって


誰が良い悪いでもなく

母も、また両親から受けた教育もあるし、

その時の社会の常識もあるし

父が亡くなったり、いろんなことが重なって

僕もその時は、そう思ったんだし



僕がいつまでも罪悪感を抱えていても

僕がいつまでも寂しさを抱えていても

誰も幸せにならない



それはもう終わったこと



そういう体験をしたということ




それを今からの人生に

どう活かしていけるか



自分が幸せになるために

そんな体験を力に変えるために

僕がどういう存在であるのか

僕がどういう生き方をするのか



そんなことがあったからこそ

幸せになったんだよ


そんなことがあったからこそ

人の気持ちがわかるようになったんだよ


そんなことがあったからこそ

人に優しくなれるようになったよ




今となっては

そういうふうに

言えるようになることが

自分が笑顔になることが

天国の母が一番喜んでくれる

ことかもしれません




母ちゃん




ありがとう






そして




ごめんね










おばっち


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