ある日の禅タロットリーディング
これは、2017年 禅タロットを師匠から学んでいたときに、出された お題に対してカードを展開しました。
そして、これがそのとき自分がしたリーディングです。
過去の大きな傷を思いださせるカードが出ました。
リーディングというより、お題に対して魂さんが引かせたカード(魂さんのメッセージ)に対しての思いの丈かな。
ここから(一部抜粋)⬇
ここについては、生死をかけるほど突き詰めた大失恋の過去があります。
自分の気持ちとしては、そのときは出来る限りの思いは伝え、出来る限りのことを当時、付き合っていた愛していた彼女にしました。
悔いは無いと思っています。
それでも、一緒にはなれなかった。
縁がなかった。
見返りは求めない。ただ愛する。
自分は彼女を幸せにすることは出来なかったけど、自分じゃなくても彼女を幸せに出来る人が他にいるんだ。
彼女が幸せになればそれでいい。
いろんな理屈を考えて、諦めきれなかったけど、どうしようもない、人の気持ちは変えられないと自分に言い聞かせ。
最終的には時間が解決しました。
今では、彼女がどうしているのか何もわかりません。思い出は心の中にありますが、思い出せる物、思い出の物は当時すべて捨てました。一つ残らず。
そうしないと、もう前に進めないくらい好きでした。
引いたカードは
○○です。
人が人を愛する。
現実的には、それにいろんな状況が絡んできて、それだけでやっていけるほど世の中は甘くないよ。
現実的に考えないと。
結婚っていうのは家と家のことだから。
まわりにも祝福されないと上手くいかないよ。
愛があるからとか、それだけじゃ生活はできないよ。
と人は言います。
それは本当にそうなのでしょうか。
人と人が愛する、それをくつがえせるような大切なものが他にあるのでしょうか。
僕は、今でも無いと思っています。
神様よりも仏様よりも人の心が一番尊いものだと思っています。
人を好きになる、その人が愛おしいっていう気持ちは理屈で説明がつきません。
そう思える人が目の前に現れた。
人の心が一番尊いものだと思っているので
相手がまったくその気がないのなら諦めもつきます。
でも、そうではなかったとしたら。
いろんな周囲の状況を考えて、自分が、相手が、自分の心を殺し諦めていく。
そうですね。
そういう世の中はうんざりです。
世の中でいわれている常識的みたいなことで考えると、割りきれないことばかりです。
まったく考えがまとまりません。
本当に好きな人と一緒になりたい。
一言で言えばただそれだけのことです。
⬆ここまで(一部抜粋です)
このリーディングを師匠に伝えて、返ってきた師匠の洞察がシンプルだったんだけど
とっても深いものでした。
⬇ここから
たとえば、〇〇さんがその彼女と結ばれて一生を幸せに過ごしたとしても、いつかは必ず別れがやって来ます。
その思い出が幸せに満ち、かけがえのないものであればあるほど、別れは残酷で非情です。
予め別れることが決まっていて、私たちは出会い、人生を賭けて人を愛します。
なんと不毛なことでしょうか?
こんな風に考えてみることも出来ます。
「自分の愛の筋肉を鍛えることを、愛と呼ぶ」と。
彼女を心から愛したことにより、あなたは随分と愛の筋肉が鍛えられたことでしょう。
その筋力は、仕事、友人、家族、新しい彼女、いろいろなところに使えます。
そして愛とは一種類だけではなく、沢山のバリエーションがあります。
時間が心の痛みを癒してくれたのならば、次は、その筋力を使う時がきたのだ、と、カードは告げているのでしょう。
⬆ここまで
すごく、心にスっと入ってきたリーディングでした。
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