おばっちの生い立ち②
昨年9月に書いた文章です。
ブログで公開してましたがnoteに引越ししました(^-^)
以前書いた
おばっちの生い立ち①
実は、ここには自分が本当に感じてたことで、書いてないこともたくさんあって、今日は何故か書きたい気分になったので、思いついたこと思いっきり書いてみようと思う。
まず、僕は両親が年をとって産まれた、一人っ子なので甘やかされた記憶がある。
小さい頃、父は優しかったし、母も優しかった。
でも、亭主関白で自由すぎる父に、母はいつも振り回されていて、家族っていいなぁなんて思った記憶がまったくない。
父も好きで、母も好きだったけど、家族は好きではなかった。
そして、僕が小5の時に父が亡くなり、自分の不登校が始まった。
たくさんの大人たちから理由を聞かれたが、行きたくないから行かなかっただけ。
ただそれだけ。
今から約40年前、そして田舎。
行きたくないから行かないとかは全く通用しない時代だった。
そして、ある日、行政から実力行使で力ずくで有無を言わさず母と2人きりの家から一人引き離された。
あれ、俺、犯罪者??
なんか悪いことした?
誰かに迷惑かけた?
親子2人を、引き離されるほど、そんなに悪いことした??
もちろん、母には辛い思いを沢山させたから、申し訳ない親不孝な子だと自分で自分を責めた。
自分が我慢して、我慢して、我慢して、学校に嫌でも辛くても行けば、母に辛い思いさせずにすんだ。
だから、すごくすごく辛かった。
そして、養護施設に強制的に行かされることになる。
強制的に、そうされたことにすごく心が壊れた。
そこで、学校に行かないとか言っても強制的に力ずくで来ることはわかっている。
僕は、学校が大嫌いになった。
行きたくないから行かなかっただけなのに、なぜそこまでされないといけないのか。
決めた。
学校では、友達を作らないことにした。
できる限り、誰とも喋らないことにした。
楽しまないことにした。
それが、ささやかな、自分の気持ちを維持するために自分ができる抵抗だった。
施設で2年過ごし、学校にも形式上では行ってたので更正したように見えていた僕は、中学を卒業したら家に戻っていいと言われた。
でも僕はそのまま施設から高校へ行くことを選んだ。
なぜなら、家にいるとき以上に、僕は学校が大嫌いでたまらなかったから。
家に帰っても、家から高校へ通う自信はまったくなかった。
そうなると、また母を辛い気持ちにさせてしまう。
だから、帰らなかった。
それでも、施設では沢山の先輩、後輩、仲間、先生とすごく良い体験が出来た。
学校は大嫌いだったけど、この施設での体験は僕の一生の大切な宝物です。
来てよかったと今でも心から思ってる。
そして、高校を卒業して、母に心配ばかりかけて辛い思いさせたから、地元に帰って就職した。
でも、家を離れた5年間はおもいのほか大きかった。
3交代での工場勤務も、母との久しぶりの二人暮らしも、だんだんと歯車が噛み合わなくなっていった。
仕事を辞め、親元を離れ短大へ行くことにした。
また、母を一人にしてしまった。
しかし、この短大では皆すごく良い仲間に巡りあえて、サークル活動もして、とにかく多くの人と出会い、すごく楽しかった。
学校が好きになった。はじめて。
ここに来なければ、たぶん学校が嫌いなまま一生を終えてたと思う。
よかった。
そして卒業して、実家に帰っても田舎では就職先が無かったので、母と離れたまま就職して独り暮らしを始めた。
これからどうしよう、漠然と考えてた20代半ばの時に母が亡くなった。
両親が亡くなり、一人っ子の自分は天涯孤独になった。
この時、何を感じたか、何を思ったか。
その前に、過去へ戻ってみます。
生前、母は自分にいつも言ってました。
「親戚は他人の始まり、当てにしたり頼ったりしたらいかんよ。本当に頼りになるのは身内だけ、家族だけ。自分だけ。」
「母ちゃんは先に死ぬからね。そしたら、あなたは一人になる。自分の力で、人に頼らずにしっかり生きていきなさい。強くなりなさい。気持ちを強く持ちなさい」
年とって産まれて、一人っ子の僕に、強くなれ!って、ことあるごとに言われてた記憶があります。
だから、母が亡くなったときに、思ったのは
あぁ、帰る場所がなくなった。
たった一人の家族がいなくなった。
もっと強くならなければ。
もっと強くなろう。
一人でも生きていけるように。
強く強く強く生きよう。
そう、決心して覚悟を決めた記憶は今でもはっきりと残ってます。
でもね、以前の生い立ちに書いたように、強く生きよう強くなろうて思えば思うほど、僕は、弱い弱い自分をたくさんたくさん見てきました。
そして、僕は長渕剛が大好きで、とても大きな影響を受けてきてるんだけど
彼の歌は、基本的に怒りがベースになってる歌が多くて。
たぶん
僕の心の奥底には
怒りと孤独があるんだと思う
それは、登校拒否のとき、さっき書いたように、自分の心の声、それを、踏みにじられて、わかってもらえなくて、受け入れてもらえなくて、力づくで、実力行使で、もっていかれて、
ただただ悔しかった
ただただ悲しかった
ただただ寂しかった
深く深く傷ついた
こんな世界、こんな世の中が大嫌いだった
だから、僕は、平々凡々のままで、この人生を終わりたくないんだ
こんな思いしてさ、それでも強くなろうて思ってさ、一生懸命、がんばって生きてきたんだよ、
いろんなこと挑戦して何回も何回も挫折したよ、ここに書きたくないことも、たくさんたくさんあるけど
自分がすごく傷ついたように、そんな思いをする人が少しでもいなくなってほしい
人の心を大切にしていきたい
自分の心も大切にしていきたい
そう思ってても、それでも、人の心を傷つけてしまったり、自分の心を傷つけてしまったりするんだけど、それでも、次は傷つけないようにしよう、わかろう、寄り添おう、もっと、心を大事にしよう、大切にしよう、そうしよう、何回間違っても、次はそうしようって
涙が出るほど思う
すごく思う
どうすれば、もっと心を大事にできるんだろう
そうしたいなぁって
めっちゃ思う
僕が、こうやって、本当にこれだけ沢山の人の心に寄り添えることが出来るようになったのは
僕が学校に行かなかったからです
そして、そのことで、いろんな人と出会って、いろんな経験をして、いろんな思いを感じて、そうやって一生懸命生きてきた今までのすべての過去があったから。
ひとつでも欠けてたら、だめだった。
すべてが必要なことだった。
そう言いたい
そう言いたい
生きてるうちに
そう言いたい
心の大切さを、世の中に大きく大きく沢山の人に拡げていきたい
もっともっと
もっともっと人の心に寄り添いたい
そして、そういう想いがどんどんどんどん拡がっていって、みんなが、ギスギスしてない、安心して、住みやすい社会にしたい、
もっと心が自由で、もっと心が優しい社会にしたい
それが、僕が、世の中にもっともっと拡げていきたいと思っているものです
生きてるうちに
あの時の、怒りに満ちあふれてて、孤独で、ひとりぼっちで、それでも精一杯生きていた、少年の頃の僕に伝えてあげたい
あなたのお陰で、今があるんだと。
何も間違ってなかったよって。
辛かったやろ、苦しかったやろ
寂しかったやろ、泣きたかったやろ
よく、がんばったって!!
あの時の僕を
ギューッて
思いっきり
抱きしめてあげたい
思いっきり
抱きしめてあげたい
ぐっちゃぐちゃの文章やね。
最後まで読んでくれてありがとう
本当にありがとう
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