勉強を「しなさい」と言われると「したくなくなる」のはなぜなのか
「勉強の出来る子どもになってほしい」
「勉強ができるようになる環境を与えることがこの子のため」
と考えて、様々な教育機会を与えている知人の話を聞くと、疑問に思うことがありました。それは、私自身が
「勉強しなさい」
と言われると
「勉強したくない」
という気持ちがより強くなった経験があるからかもしれません。
その私の性格をよく理解して、親は途中から「勉強しろ」とは一切言わなくなりました。
そんな調子なので、私は元々勉強嫌いで、成績もいい出来とはとても言えませんでした。
それから、少なからず勉強が嫌いではなくなった理由は、
勉強を目標達成のための手段と明確に考えるようになったから
だと思います。
「勉強しなさい」
と勉強することが目的のように言われると、前向きに取り組めなくなることは自然なことだと思います。
もちろん、純粋に
・生物の構造が好き
・物理的な仕組みに興味がある
・英語の文章を読むのが楽しい
と純粋に勉強に向き合える学生はいいのですが、そういった子ばかりではないでしょう。
漠然とでも、自分がしたい仕事、したいことがあるならば、その手段として勉強をとらえることは重要な考え方だと思います。
例えば、
システムエンジニアになりたいと思えば、インターネットやプログラムなどの仕組みを知る必要があるかもしれません。
さらにその仕組みを知りたいと突き詰めていけば、数学的な考え方や工学的な考え方が必要になります。
他にも、
喫茶店を経営したいと思えばおいしいコーヒーの淹れ方やくつろげる空間の作り方を知る必要があるかもしれません。
そのためには、調理工程での化学的な考え方や外国人が来店しても対応できるための語学力が必要になるかもしれません。
つまり、なりたいことから逆算して、今なにが必要なのかを考えると、「勉強をするべき」と行き着くこともできるのではないでしょうか。
もちろん、自分がしたい仕事、したいことと、手段としての勉強がつながらないという子どもの声も聞こえてきそうですが、仮にその意見をぶつけられたときに、周りの大人は答えることができるのでしょうか。
私にはまだその自信がありません。親である私自身も社会の仕組みを勉強し、ヒントとなる考え方を子に与えることができたら・・と思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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