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あなたに続く言葉

雨の中、先輩は独り歌っていた。



毎年夏に行われるバンドサークルの合宿。いつもは宿舎についているプールや山でカブトムシ取りなんかをするのだが、この雨ではどうしようもない。ゲームをする者、自分のベッドで動画を見る者、トランプをワイワイ見る者などさまざまだ。
曲がりなりにもバンドサークルなので、当然スタジオで練習する者もいる。スタジオは事前予約制だ。そして、ほとんどのスタジオにガラス窓がついており、中が見えるようになっている。
オマケにそのスタジオ付き宿舎は結構年季が入っていて、そのガラス窓に耳を当てるとちょっと音が聞こえる。わざわざ他の部員の演奏に耳をそばだてているもの好きも数名はいる。
スタジオは結構深夜までやっている。僕も深夜2時に予約した。しかし、部屋でやることのなくなった僕は早めにスタジオに行き、他の部員を冷やかそうと思った。

「確か、地下1階のB2スタジオだから・・・」

スタジオに向かう。そとは前日から豪雨になっており、廊下の窓から雨音が聞こえてくる。B2スタジオに向かうほど、その音は大きくなっていった。スタジオ前につくと、前の時間帯の部員が入っていた。たった一人で。

「あ、吉居先輩だ」

吉居先輩はこのサークルでも有名な部員である。いつもクールで遊びの集まりには全然来ないが練習やライブには毎回参加する。そんなちょっとひねくれた感じも特徴的だが、何よりも印象的なのは彼の愛するジャンル。彼はロックが、それもかなり激しいものが好みなのである。ボーカルの彼はライブになると一心不乱に歌う。美しい顔立ちをぐにゃりと歪ませながら放つ歌声は、サークルで終わらせるには惜しいほどカリスマ性にあふれていた。

今年の春新入部員として入った僕は、最初はビビりながらも、なるほどすごいと感心していた。

「1人で歌ってるのか・・・?わざわざスタジオで・・・?」

一人でスタジオに入る部員はたいてい楽器の練習をする。だから、吉居先輩のようにピンボーカルの人が一人でスタジオに入るケースは珍しい。

「しかもマイクスタンドまで使って・・・」

吉居先輩は一曲歌い終えたようで水を少し飲むとスマホをいじり始めた。おそらく楽器隊の音を探しているのだろう。こちらには気づいていない。再びマイクスタンドの前に来ると、マイクの球体部分にあるわっかのような突起に人差し指を添えて、力強く握った。

「どんな曲を歌うんだろ」

ガラス窓に耳を当てる。その曲はロックではあるものの、ライブの時のように激しい感じでもなく、すこし歌謡曲のような雰囲気を漂わせていた。

・・・彼は涙を流していた。涙を流して一心不乱に歌っていた。僕はくぎづけになっていた。今思えば、ここが僕の、ながいながい、百年にも千年にも続きそうな片思いの生まれる瞬間であった。

それから先輩とは仲良くしていたが、決してそれ以上立ち入ろうとはしなかった。あの涙が何だったのか。それは聞けない。

僕は僕で先輩とはこの大学生活で別れを告げようと思っていたし、事実そこから8年会うことはなかった。

・・・ただ、僕の片思いは続く。それを生んだのも先輩だし、それを残したのも先輩だ。

卒業ライブ。いつも通り観客の視線を独り占めしていた先輩は、ライブが終わると、控室に戻っていった。ペットボトルを片手に控室から出てきた先輩は同期に囲まれていた。

「吉居!お前もこのあと飲みくるよな!?」

「あー、いやごめん。今日は帰るよ」

「今日はって・・・おまえいつも来てねえじゃねえか。最後くらいどうだ?」

「・・・いや、やめとくよ。ありがとう」

先輩は飲みの誘いを断ると、荷物をまとめ始めた。手提げのカバンを持つとふと、何かを思い出したようにあ、という顔をした。そしてこちらに近づいてきた。

「?どうしたんですか?」

「・・・見てたろあのとき」

心臓がとまるかと思った。しかし平静をよそおって聞き返す

「?あのときって?」

「とぼけるな。夏合宿のときだよ」

どうしよう。正直に言うか・・・いや、あの時見ているのを知っていたということは。僕の顔も見ている可能性がある。あの紅潮した顔を。

僕は怖くなった。

「いや?なんのことだか・・・」

3秒ほどの沈黙が訪れ、先輩はニヤッと口を歪ませたあと

「そうか。ならいい」

そういって出口へと向かっていった。

僕はすぐ後悔が襲っていた。なんで言わなかったのだろう。もしかしたら先輩のことをもっと知れたかも。あのとき歌っていた曲は何だったのかとか、なんで泣いていたのかとか。

僕はライブ終わりの飲み会に参加できなかった。あとから聞いた話だと、珍しく吉居先輩が参加したらしい。それはそれは盛り上がったそうだ。

その後、先輩と会うことはなかった。卒業式終わりの写真撮影でも会話を交わすことはなかった。その日の夕方、帰宅した僕は布団の中ですすり泣いていた。




「それでは!いよいよお待ちかね!the emptysの登場です!」

地下ライブハウスに、前座の声が響くと、それを飲み込むような拍手が起こった。

僕はいつもの化粧をすると、控室のドアを開けステージに向かっていった。

「こんにちは。the emptysです」

一言そういうと、ギターの音が爆音で響く。僕は歌い始めた。

・・・何曲か歌った後僕らはステージを後にした。・・・鳴りやまぬアンコール。アイシャドウを引き直し、再びステージに立つ。

「・・・アンコールありがとうございます。今日は僕らから皆さんにお伝えすることがあります。苦節5年。来月ついにメジャーデビューすることになりました。」

今日一番の歓声が起こる。「おめでとー!」

「・・・なので、今日はメジャーデビュー前最後のライブでした。この節目を皆さんと迎えられたことをとてもうれしく思います。」

登場時の何倍にもなる大きな拍手。

「なので・・・本来はこのアンコールも自分たちの曲をやるべきだとは思います。しかし、これからもっと大勢の前で歌う前に、決別しなければならない曲があります。他人の曲ですが。最後にそれを歌わせてください。」

困惑のこもった小さな拍手と、盛り上げようとする「ヨッ!!」という合いの手が入る。ライブハウスが沈黙に包まれると、ぼくは客席をなぞるように見渡した。

・・・ふと一点で視線が止まった。あの顔だち、そしてあの体型。・・・先輩だ。隣には男がいる。照明のせいだろうか。先輩に光は見つからなかった。

僕は心底驚いた。なんで今まで気が付かなかったのだろう。先輩がこちらを見ている。僕は唇を歪ませニヤッと笑うと、ギターにアイコンタクトを送った。ギターのジャーンという音が響く。

僕は一心不乱に歌った。8年前のあの日、漏れ聞こえたあの曲を。汗に濡れたアイシャドウは崩れ、涙のようにほほをつたった。時折先輩を見る。僕にくぎ付けになっていた。目には反射光がともっていた。

歌が終わると、それを惜しむかのような後奏がライブハウスを包んだ。僕は聞こえるか聞こえないかくらいの音量で小さくつぶやいた。

「・・・さようなら」

先輩の顔が一瞬驚きに支配された。そして、湧き出てくるかのように悲しみをたたえた。

最後のギターが響く中僕は深くお辞儀をした。割れんばかりの拍手。その中に「ガゴンッ」というライブハウス独特の分厚い扉が閉まる音も混ざっていた。



顔を上げる。片思いをしていた先輩はもういなかった。