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小説家たるもの

「うーん・・・」

「『あなたはまるでモナリザのように』・・・いや、こんな陳腐なことは言えないか・・・」

健四郎は机に突っ伏していた。夏の日差しが彼の右腕を輝かせる。
小説家が何をもって小説家と名乗っているのか。それはたぶん、本が売れたかどうかだ。アナログでもデジタルでも、とにかく自分の紡いだコトバが誰かの欲求に届いたのならば、そしてそれがお金へと変化したならば、その瞬間そいつは小説家といえるだろう。
小説家は多くの人が使える言葉から金を生み出すのである。小説家が使う言葉はそれだけ魅力にあふれており、また、そうでなくてはならないのだ。その意味で彼は小説家である。小説家すぎるほどだ。彼の小説は飛ぶように売れている。彼の本を読んだことのない人でも「羽柴健四郎」という名前は知っている。彼はそれだけ有名人なのだ。

そんな彼が、机に突っ伏している。もうかれこれ四時間はこうしている。しかも、彼が書いているのは小説ではないのだ。絵本でもないし、ビジネス本でもないし、自伝でもない。もちろん論文でも。

彼が書いているのはずばり、ラブレターだ。なんでいまどきラブレターなんだ。彼曰く「私は、小説家だ。ならば、私の魅力は言葉が一番知っている」とのこと。それにしたってラブレターじゃなくてもいい。それこそ口頭でいえばいいのだ。そう反論すると「いや、それは恥ずかしい。」と急に真人間のセリフを吐く。お前の魅力は言葉じゃないのか!

「なあ、お前はなんて書けばいいと思う?好きな人の人柄をどう形容すれば私の愛が伝わるのか・・・」

「そんなん俺に聞かれてもわからねえよ・・・」

もちろん、俺はそれに対する答えを持ち合わせていない。・・・しかし、彼は言葉を使ってアピールしようとしているが、いまこの状態が、言葉より雄弁に愛を語っているのではないだろうか。なんてったって、彼はもう四時間以上ラブレターと格闘しているのである。彼は四時間以上自分の愛の伝え方を求め続けているのだ。それだけ粘れるのは、彼の愛がそれだけ力を持っているからに他ならない。

「うーん。とりあえずここは後回しだ。・・・で『私はあなたとともに死への道を歩みたく・・・』」

ちょっと待て。四時間にわたる長考の末の後回しも気になるが、それ以上に今聞こえたのはなんだ?「死への道を歩みたく」?こいつは死神か何かか?

「いや、私はずっと添い遂げたいということを伝えたいんだ。それを過不足なく、わかりやすく伝えた結果この文なのだ。」

それにしたってもう少し言い方があるだろう。小説家先生!!

しかし、その独特すぎる言い回しが、彼のスイッチを入れたのか。その後は覚醒したかのように筆が進んだ。


「うーん・・・」

・・・そして、振出しに戻る。最後のピースがはまらない。つまり、彼は人柄と美貌をどう形容すればいいのか、いまだに悩んでいるのだ。

これはもちろん、ラブレターだからということもあるが、彼の書く小説にも原因がある。彼は多くの恋愛小説を書いてきた。誰かを美しく形容する言葉は、小説のために使ってきた。0から人間を描くために使ってきた。その彼が今、現実の人間に向けて、彼の本心を出さなければならない。それは彼にとって、彼だからこそ、難しすぎる問題なのだ。

「・・・よし!決めた!これで行こう!」

彼はそう叫ぶと、ボールペンを丁寧に動かしていく。そして、彼のラブレターはついに完成したのだ。そして・・・それはつまり・・・

「ほら、できたぞ。読んでくれ。」

・・・そうこの男は俺のいる部屋でラブレター必死に書いていたのだ。・・・俺に向けて。

俺は突然呼ばれた。「お前へのラブレターを書くから」と。それでも十分おかしいのだが、結局6時間以上俺をこの部屋に拘束しているのだから、あり得ないほどにおかしい。(もちろん、手足を縛られていたりしたわけではない。さすがにそこまでおかしくはない)

「ああ・・・ありがとう(?)。・・・でも、俺は・・・」

「ああ、いや、返事はいい。お前が読み終わった段階で、この話は終わりだ。」

・・・彼は知っている。俺が好きな黒髪の女の子のことを。なにせ俺がこいつに相談したのだから。恋愛小説をたくさん書いてる先生だから。相談は夜の居酒屋で行われた。ほろ酔い加減だったコイツは急に目が覚めたように真摯にアドバイスをしてくれた。・・・後から聞いた話だが、このときは驚きが大きすぎて何とも思わなかったが、家に帰って急に悲しくなったらしい。翌日会うと目が腫れていた。

彼の本心を聴いたのは、相談会の二日後。その次の日に、このラブレター執筆作業に誘われた。

つまり、彼は知っていたのだ。そのラブレターがその紙とインク以上の価値を持たないことを。これは決して小説家の書くべき文ではないことを。そして、彼の執筆が進めば進むほど、敗北に向かっていることを。

それでも、彼は書き続けたのだ。必死になって考えて、一文字一文字丁寧に。どの小説を執筆するときよりも情熱を注いで。

彼が、その未来を知っていながら、それでもエネルギーが沸いてきて、それでも言葉を紡ごうとしているなら、それはきっと彼の本能に組み込まれていることなのだ。もはや、これ以外にそのエネルギーと欲求を吐き出す方法がないのだ。もしそうだとしたら、彼はやはり小説家なのだ。