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わたしの義理の息子は入れ墨ものである

 刺青ものという言い方は江戸時代に罪人に使われていた。軽犯罪を犯した者に対してかしたもので、生涯にわたって懲罰する意味合いを持っていたのだろう。現代では人権侵害になるはずだが、当時はバリバリ侵害していた。一般的に知られているのは腕に刺青をすることだが、時代劇で見たときは腕時計をつけるあたりについていた。実際は二の腕につけるものであり、袖の中に隠れるようになっていた。江戸と大阪では二の腕の位置もちがっている。二大都市では多少は世間に配慮している感じがする。地方によっては額に刺青をして衆人にさらすやり方をとる藩もあった。酷いのは何度も罪を犯した場合、刺青が一回ごとに書き順のように増えていき「犬」の字になるところもあり、犬畜生並みだと虐げるためだったのかもしれない。



 その一方でファッションとしてのイレズミがあった。日本の高温多湿の文化の中では、夏季どうしても肌が顕れやすい服装を着る関係上、裸になったほうがすごしやすい仕事に従事する人々にとって着物に代わる個別化の手段としてカッコ良いイレズミを入れることは江戸後期になると流行っていた。武士の中にもファッションとしてイレズミを入れるものもいたらしい。ところが明治に入ると政府がイレズミを禁じたので下火になったが、戦後任侠映画の隆盛とともにヤクザと刺青がセットになって人々の中に定着したため、反社会的人間が刺青をすることにより一般人に対してヤクザであることを暗黙に認めさせる効果を持った。人々は入れ墨をしたものを見ればヤクザだと断定し、怖い存在なんだと思ってしまうので同じ空間にいるだけで腰が引けてしまうということになる。

 世界的に入れ墨は歴史時代以前から存在していた。わたしがビックリしたのはアルプス山脈中の氷河が溶けたときに、3200年位前に存在した生身の人が見つかったことだ。生存中の事故により氷河に閉じ込められて、現代になって姿をあらわしたのでアイスマンと呼ばれた。発見された当時の特集週刊誌にはアイスマンが装備していた用具の一覧が載っていたのが興味ぶかかったことを覚えていたし、冷凍されていたので古代人の身体が保存されていたことが驚異であり、入れ墨がしてあったので一般の人でもやっていたことが証明されたと書いてあった気がする。石や木に刻まれた人物像に入れ墨をほどこしている例は世界各地で発見されているが生身の肉体ははじめてあり、マンモス象とおなじく奇跡に近い発見であり、当時の生活の一端が分かるような武器や道具を所持していた。

 このたびこの文章を書こうとしたとき、アイスマンが入れ墨を身体の60か所位に入れ墨をしていたこと知って、その特集週刊誌を読んだときにその重大さを感じることがなかったのは問題意識がなかったからだ。古代人にとって入れ墨は身体の装飾というよりも、身を守る呪術的手段としてのバリアのような役目を担っていた可能性が高い。その意味では入れ墨を施すことは生きるための切実な行為であっただろう。時代を遡ればのぼるほど入れ墨の重要性はましていっただろう。

 
 身元確認のために入れ墨を入れるということもあった。パイプをくわえた船乗りポパイは両腕に錨(いかり)の入れ墨をしていたが、名前は彫られていないようだ。軍人は戦死しても身元不明にならないように入れ墨をいれている例も見られたが、1870年の普仏戦争からプロイセン兵士は金属製の認識票を使うようになり、世界的にも採用されていったので、軍隊における入れ墨の出番は徐々に消失していった。

 欧米でのファッション刺青は上流階級が最初に先鞭をつけたらしい。イギリスのジョージ5世やロシアのニコライ2世などの王や皇帝もいれるほどだったから、背景を形成する上流階級の王族・貴族・富裕層などのお金や時間を惜しみなく使える人々にとって刺青はステイタス・シンボルになっていた。ところが機械で簡単に安価で入れ墨が入れられるようになると水が上流から下流に流れるように一般市民層にも広がる契機になった。とくに一般市民に広がっていったのがヒッピーの人たちの間で流行してかららしい。こうして社会的ハードルが低くなることにより入れ墨はだれでも入れることできるような雰囲気が生まれていったので、それに伴って機械彫りの業者がたくさん出現したのでますます入れ墨文化は浸透していっている。

 以前は反社会的な要素もあったので若干ためらう人々もいたが、今ではその人の個性の表現手段として入れ墨が一般化しているのが欧米の現状だ。職業的に入れ墨が相応しくなくなる可能性がある俳優・歌手・エンタメ系芸人などや、会社員・学生・教員なども当たり前のように入れ墨を入れているのが昨今らしい。とくに肌を露出して、男らしさや女らしさを際立たせる個性演出の手段として定着しつつあるので、どの国でも入れ墨をしている人々が増えている。

 閑話休題。

 うちの娘は日本の大学を卒業したあと広告会社に就職したが病を得て退職したあと、リハビリで通っていた絵画教室の先生に日本でやるよりアメリカで勉強したほうがキャリアになるからと留学を勧められた。身体が回復しても組織の中で働く困難さを感じた娘は自立するためにアメリカ留学を決意する。大学に入るためにはトーフルTOEFLを受けて大学が決めた点数以上をとり、願書を提出すると合否が通知される。2校の大学を受験したが1校だけ合格したので東部の州立大学に入ることになり旅立って行った。

 その大学で出会ったのが現在の配偶者だ。学部が違っていたが、興味があった他学科の授業をとった婿が娘と繋がりができて、最終的に結婚した。

 アメリカにいるそんな娘が一時帰国した。日本に帰ってきた目的は日本で中古の家を買ったのでDIYで修繕するためだった。アメリカでは壁に絵をかいたりする仕事をすることもあるので、自分で内装や風呂場をリニューアルするといっていた。そこで来る前にネットで必要と思われる道具や用品を注文しまくり、どんどん集まってきていた。工事に入る前には下準備をしなければならなかった。家内部の木製フロアの掃除をしたり、古い壁のクロスをはがしたり、下準備としてやることは数限りなくあった。

 そんな中で浴室が工事で使えなくなったので、風呂に入れない。外の施設に行くほかなかった。近くには公的な温泉施設、商用温泉施設、銭湯があったので、最初に行ったのが自治体が運営する施設だった。この施設は安価で、ジャグジーや乾・湿サウナ、露天風呂などを備えてありリーズナブルだった。一緒に入湯した婿は気がつくとなぜかすぐに浴室からいなくなっていた。どうしたんだろうと思っていた。

 みんなが時間に合わせて浴室からでてみると、一人でポツンと婿が待っていた。どうしたのと娘が聞いたところ、係員に「タトゥーの方は出てください」と言われたので、出たと言ったのでみんなはなんとも微妙な雰囲気となった。婿は相当ルールを守る性格なので、言われたら素直に出たらしい。ところで婿のタトゥーは背中一面や腕から肩にかけての典型的なタトゥーなどではなく、片足の踝から脛にかけての15センチから20センチくらいの一見黒い火傷の跡か痣みたいなものである。なんのタトゥーか分からなかったので聞いたところ、ゾンビだという。ゾンビ映画が好きだったのでタトゥーにしたらしいが、おそらくハイスクール時代のヤンチャをしていたときにしたらしい。娘は婿に日本の現状としての入れ墨文化をレクチャーして、好きじゃないのでこれ以上タトゥーを増やして欲しくないといったという。

 こんなことがあったのでわれわれは自宅浴室の工事が終わるまで、お風呂場を巡るノマドにならざるをえなかった。そこで分かったことだが、公立の温泉施設の大半は、刺青者は入湯お断りの張り紙が入り口に貼ってあることに気づいた。最初に行った公立温泉施設は係員がプールの監視員のように常時監視しているわけではなかったのに気づかれたのは誰かがご丁寧に係員に知らせたからだろうと疑っている。しかも婿は外国人で日本語もままならないのに退場を促した係員はなんといったんだろうか、興味がもてる。

 私営の温泉施設の入浴料は公立より倍以上であったが、追い出されることはなかった。たまたま見つからなかったからなのか、見つけても不問にしているのかわからなかった。行ったところは浴室自体の照明が全体として暗く、お湯の色も黒く見えるような色合いだったので分からなかったこともある。ただし、浴場入口に刺青お断りの張り紙があったのはアイロニーだった。婿は日本語が読めないので、係員の指摘がなければ気がつかないので入湯した。

 次に行ったのは銭湯だった。町の中心部にある昭和の雰囲気をもつ古色蒼然としたこじんまりとした銭湯だった。そこに行って驚いたのが、入浴者の5割近くが背中一面のまさしく入れ墨者であった。公立温泉施設の入り口の張り紙に、入場をお断りをする理由に「刺青は他の入浴者に威圧感や圧迫感をあたえる」ためと書いてあったことを思い出してなるほどと感じたし、単独ではなく何人かできていて、まわりを憚ることなく振舞っているのをみると、なんとなく冷静ではいられなかった。明らかに反社会的グループに属している人々の集団だった。たまたまそのような人たちが来る時間に遭遇したからかもしれないが、ほぼ同じ時間に行く毎に刺青をしていない人を見かけることはなかった。

 銭湯の入口には刺青者入場お断りの張り紙がない。どうしてこうも違うんだろうと調べたら、銭湯という形式をとる浴場はどこでも入浴料は同一(都道府県単位で決まっている)である。しかも特徴的なことは刺青客の入場を拒否することが法律違反になることだ。厚生労働省所管の銭湯は地域の公衆衛生の観点から刺青をしているという理由だけで入場を拒否できないらしい。公衆浴場法では伝染病に罹っている人や浴槽を著しく不潔にし公衆衛生に害を及ぼす虞のある行為をする人の入湯を拒否できるが、それに該当しない刺青者を拒否できないのだ。

 公立の温泉施設、スーパー銭湯、私営の温泉施設(温泉地の旅館など様々)などは公衆浴場法の埒外にあるため、銭湯が受けている規制に抵触せずに入場者を規制できるため、極端な話徹底的に入浴客を選択できるようになっている。スーパー銭湯でも、町の銭湯の料金と同じであれば公衆浴場法に基づいて営業している銭湯ということになる。このようなスーパー銭湯ではお断りの張り紙は貼ることができない。

 そんなわけで浴室工事が終わるまでわれわれは、遊牧する家畜のために草原を求めて移動するノマドのように、快適な浴場を求めてあちこちの外部浴場を試すことになった。工事をできるだけ進めるために、ぎりぎりまで仕事を進めたため、風呂に入る時間がかぎられたので、最終的に選択できたのが夜遅くまで営業している銭湯に行くことになり、刺青さんに出会うことになり、婿は仲間となるが雲泥の差で威圧感が違う。倶利伽羅紋々のような圧倒的な刺青の前に、紋の字もない刺青なし者は肩身が狭いし、傍若無人な振舞にオロオロすることが度々あった。

 われわれの快適な浴場を外に求める試みはいずれも風呂に入るという解放感というものからほど遠いものであり、工事が終わったあと入浴した気持ちの爽快感や幸福感は外の浴場ではえられないものであった。今までの重苦しい雰囲気とストレスが解放されたようだった。風呂天国は外部にあるのではなく、このときは内風呂にあることを実感した。このとき思い出したのがメーテルリンク「青い鳥」で、笑い出してしまった。「青い鳥」は夢の世界の話だったけど、現実でもありうるんだと実感した。

 だがこの感覚は一時的であり、刺青のトラウマがなければ大きな風呂と変わった施設を味わうことができる温泉浴場施設は魅力的であることはみんなの共通理解である。私は何も言っていないが、娘は婿に刺青を除去するようにやんわり勧めたら、その気になったらしいがアメリカに帰ればなんら問題なく暮らせるし、職業に関わらず刺青は流行っているから日本に来るときだけいやなも思いをする可能性があるだけなので、切実な状況になってないとおもわれる。おそらく、この状況はこれからも続くに違いない。だが問題はない。温泉好きの婿にとって、大浴場で入浴することを断念すれば問題はない。温泉は旅館に泊まり、豪華な部屋付きの露天風呂にでも入って満喫してもらえばいい。円安が進行しているから、アメリカで稼いでる彼にとってはとてもリーズナブルなはずだから。笑

 


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