情報成長主義とは①

自分でもなんか微妙な気がするけど出してみる。
どうせ同じテーマで何回も書く気がするので①としておく。

主張
私は(ハラリがデータ至上主義と言っていたものの)の(本当の名前・正体)について(情報成長主義である)と考えます。

根拠
なぜなら(ハラリが「ホモ・デウス」で語った世界の変化に対する洞察は2023年現在の世界を正確に予測しているが、世間の問題意識はハラリのそれを解体するばかり)だからです。
(つまり、名付け間違いは旧世代のハラリと新世代の感性が違うところから来た必然的なズレだと考えます)

定説
一般に(時代の「主義」の潮流にはそれなりの要請が裏にある)とされています。

具体例
例えば(自由主義)です。(自由主義の流行った頃の世界は自由ではありませんでした。そして世界は非自由の弊害に包まれており、自由になることは世界をよくすることでした。だから道徳として、行動指針として、流行した)

比喩
まるで(浸透圧)のようなものです。(自由が必要だったから流れ「主義」が生まれ、自由がある程度行き渡った今は圧が落ちた。むしろ圧が高まったのは自由の名の下に棄却された古いモノ、その中に含まれていた叡智(情報)だった。だからその揺り戻しとしていま世界は失ったモノ以上の情報を得ようとしている。そう考えることも出来るのではないでしょうか。)

疑問
確かに(世界は既に失った情報量以上のものを手に入れているだろう)という面はあります。

疑問への反論
しかし(我々は一度喪失を経験した以上、今ある情報もいずれは失われる可能性を知り、それに怯えているの)ではないでしょうか。(その心情は私にも良くわかります。文化革命で失われた世界の知識を思うと私は悲しくなりますし恐ろしくなります)

主張の繰り返し
それゆえ(私たちは今世の中に広がる思想をデータ主義ではなく情報成長主義と呼称)すべきなのです。


やっぱ微妙だな。話の筋がズレてる気がするけど…いいや。

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