私にとってサンクコストバイアスとは

今日も今日とてもイシハラ式。
マイブーム化してる。
今回はサンクコストバイアスについて思いついたことを文章にしてみました。

主張

私は(サンクコストバイアス)の(利用価値)について(若宮和男のいう『偏愛』、千葉雅也のいう『享楽的こだわり』、心理学のいう『グロウスパッション』の生成である)と考えます。

根拠

何故なら(生きるとは「無限の可能性の中から選択し続けること」だが、それは非常に難しく何かしら選択を制限する方策が必要)だからです。

定説

一般に(サンクコストバイアスは状況にあわない現状維持を選択させるので悪きものである、現代にはミスマッチな機能である)とされています。(しかし本当にそうなのでしょうか。)

権威付け

(ケンブリッジ大学のBarbara Sahakian教授の研究)によれば(人は1日に最大35,000回の決断をしている)とされています。(さらにコロンビア大学のシーナ・アイエンガー博士は人間は選択肢が多すぎると選択を回避する・先延ばしにすることを明らかにしました。つまり無限の可能性は無限の選択を迫り、身動きを取れなくさせてしまうのです)

事例

かつて(私は好きでもない、なんなら嫌いな「人と話す」仕事(コールセンターに勤める)を選択する)ということがありました。(苦手を克服するためという理由もありましたが、何もよりも時給が良かったので始めた仕事でした。しかし気づけばその業界に4年もいますしSV(管理者)側になっていましたし、派遣から契約社員という立場になっていました。今では「アウトテレマ」(いわゆる電話営業)に楽しみも感じています)

比喩

まるで(怪我の功名)のようなものです。(特に希望したわけでもなくうっかりやってしまったことがアンカーとなり楽しいと思えることができたのです)

疑問

確かに(サンクコストを大きくすれば必ず偏愛、こだわり、情熱が生まれるという訳ではない)という面はあります。(情熱が生まれたとして、そこからずっと情熱を持ち続けられるという保証もありません。どこかで冷めるかもしれません。最初に挙げた視野狭窄の問題もあります。)

疑問への反論

しかし(偶然だったとしても既に投下してしまったリソースを再利用するのは人生という有限の時間を生きる上で充実感を増やすのに有効な考え方)ではないでしょうか。(視野狭窄も言ってしまえば没頭が悪い方向に働いているときにそう呼ぶだけで、実態は同じものを指しているのではないでしょうか。無限に広がる可能性という苦しみから自らを救うための制約。私たちにはそれが必要ですし、それはどのような形で手に入れたとしても気に入ったのであれば素直に使えば良いのではないでしょうか。)

主張の繰り返し

それゆえ(サンクコストバイアスは無限の可能性への抵抗に、偏愛・享楽的こだわり・グロウスパッションの生成に利用)すべきなのです。

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