私にとってnoteを書くこととは

主張
私は(noteを100本書くこと)の(意味)について(stealth stormingにおけるprototypingである)と考えます。

根拠
なぜなら(私はいずれ本を出版するつもり)だからです。

定説
一般に(組織や多くの人々に事業や企画のアイデアを持っていっても却下される)とされています。

権威付
(しかしstealth stormingの考え方)によれば(本丸に突撃する前に、隠れて元手となるリソースを集め、カバーストーリーでスポンサーを増やし、試作品を作って置くことで承認を得る可能性を高められる)とされています。

具体例
例えば(小説家になろう)です。(これらはすでにプロトタイプがしっかりあり、スポンサーもついています。あとはリソースがあれば売れる。そう思うからこそ出版社や編集者から動いて著者に声をかけるのです)

比喩
まるで(諺の「将を射んと欲すればまず馬を射よ」)のようなものです。(直接狙うよりも迂回したほうが実は確実で早いことは往々にしてあるのです。これに倣い私もまずはprototypeを作るという訳です)

疑問
確かに(これだけで出版できる訳ではない)という面はあります。(noteを100本書いたところで所詮は駄文と判断されるでしょうし、事実、お金を取る価値には届いていないでしょう。私には価値があってもです。)

疑問への反論
しかし(出版のためにはまずは何よりも文章を書き発表することに習熟するべき)ではないでしょうか。(力量が足りなければ、もしチャンスが貰えたとしても無駄にして終わりです。むしろ無駄にした事でさらに道が遠のくことはありえます。そんな事は望んでいません。それに文章を書けばその分、私の思考は足場を得てさらに構造化され、それが新たな文章を生み出すはずです)

主張の繰り返し
それゆえ(今はとにかく100本の記事(文章)を書きnoteにアップ)すべきなのです。

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