晋三さん追悼文

「あの時あなたは助けてくれなかったじゃないですか。」

大人気漫画、「るろうに剣心』に出てくる瀬田宗次郎の言葉だ、作品中に悪の権化みたいな描かれ方をしている志々雄誠の側近として動く彼が、なぜ志々雄についていくかの理由を一言で表している。

尊敬され、人を付いて来させる人物とは高邁な思想を掲げる人でも、容姿端麗で弁が立つ人でもない。その礎は、どれほどの実践を重ねたかに依る。話を聞き、問題に対して共に向き合う人間にこそ真の支持者がつく。

私の地元下関は、安倍元首相が長い間精力的に活動されていた地域で支持者が非常に多い。地元では「晋三さん」と親しみを込めて呼ばれていた。ちょうど私の祖父くらいだと当地の小学校の運動会や農協の納会、新年会によく顔を出し、その後近くの飲み屋で親睦を深めるということをよくやっていたらしい。祖父は晩酌の際、私は祖母の用意したつまみを一緒に食べながらよく聞いていた。

祖父だけでなく、祖父の同僚も晋三さんにはいろいろ感謝していたようだ、代議士との飲み会はしばしば陳情会場となる。会社や地元の抱える問題などを各々が愚痴る姿を、晋三さんは聞き入れていた。驚いたことに後日、その問題が「不思議な力で」解決されていることも少なくなかったらしい。(詳細は伏せる)

そういった功績もあってか、下関では基本的に晋三さんを悪く言う人は居ない。板金屋や塗装屋の隣に謎に安倍晋三応援ポスターが貼られているのはよく見かける。

安倍元首相が2006年に第一安倍内閣を組閣した際に、テレビでよく見かけるようになったのだろう、祖父は頻りに晋三さんの話をするようになり「お礼が言いたい」ということをよく言っていた。

その数年後祖父はなくなった、葬儀の際に祖父に関わる色々な人から話を聞くと、晋三さんと飲んだ居酒屋や寿司屋の話、実際に「不思議な力」の作用が好転的に働いた人の話を聞くことができ、祖父の呑み話が急に信憑性を帯びた。

個人的にいつか晋三さんとは会えると思っていた、内閣を退陣される前も後も下関には折を見ていらっしゃる方で、地元ということもあって晋三さん出没スポットは大体把握できていた。

いつか祖父の遺言を届ける、そういう風に考えていた矢先の事件であった。

「安倍政権の功罪」は今後より議論されることになるだろう、歴代最長の政権であり友と敵とを区別する節があったため議論百出、まとまるには時間がかかるだろう。

一方で自分なりに晋三さんから学ぶことも多々あった、冒頭に載せた言葉は結局、どんなにきれいごとを言っても実践に移せない、落とし込めない人間は上滑りしていくだけなのだ。人がついていく、尊敬される人間になるには、実際に彼らのために「何かしてやらないと」だめなのだ。

志々雄誠は極悪人だ、ただ宗次郎の抱える問題に対して解決策を示した(現代社会では許されない解決策だが・・)その解決策で救われた宗次郎はその後志々雄誠の側近となる。

安倍元首相を嫌う人は多かった、彼を嫌い・拒絶することが知的に優れた態度だと錯覚する人も多かった。安倍元首相に対する人気が「政治への無関心(意識の低さ)からの結果」だと意見する人もいた。そういうひともゼロではないだろうが、支持の礎というは往々にして具体的な経験から成り立つことが多い。

高邁な思想も雄弁な口述も結構なことであるが、最後の最後で人を動かすのは他者に対する実践である。言うだけになってしまうことが多い自分自身、そのことを噛みしめて生きていくことが晋三さんの死を無駄にしない唯一の方法だと考えた。

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