見出し画像

イタリア ヨーロピアンオプテックの工場買収交渉と自動ゲス金型の購入と導入


自社では日本の色んな商社にOEMでスキー関連のサングラスを提供していました。
国内生産だけではデザインバリエーション、機能製品をそろえきれないので、フランス、イタリアのメーカーのラインナップからセレクトしてOEMのラインナップに加えていました。

ある時、イタリアに発注した製品の数量が大きく不足しているので、理由を問い合わせると、会社の経営状況が悪化し、工場の生産が止まっているとのことでした。

要領を得ないので、急遽、ミラノに行くことにしました。

その工場の場所はブレーシアで、列車でミラノからベニス方面におおよそ
1時間程度の場所です。

画像1

東京銀行でベテランの通訳さんの紹介を受けて、一緒に工場を訪問しました。
工場内は出入り禁止で、労働組合によるロックダウンの状態でした。

工場では従業員を解雇したので、トラブルになっていました。
工場長と交渉になりましたが、ロックダウンで、倒産状態なので、同じものの生産は出来ない状況でした。

私の会社の社長は突然に、その工場を買収出来ないか?と、
交渉に当たってくれとなりました。
何を言い出すかと、ほんとに藪から棒ですね。
まあ、大きな考えがあるのだろうと思い、交渉に当たることにしました。
自分を納得ささないとね。私にしては大仕事です。

それからが大変です。
製品の購買、納期、仕様の交渉ではなくて、
工場を買う交渉です。

メガネ工場、東京銀行ミラノ支店、イタリアの弁護士、日本イタリア語通訳の斎藤さんと私
四者での交渉が始まりました。
日本とイタリアでの電話連絡、イタリアでの買収交渉等々。

東京銀行からすると、大した商売にならない案件と言うことで、親身な相談相手ではありませんでした。
日本からの指令で動いている感じです。
銀行と言うところはそんなもんでしょう。

この間まで、三菱東京UFJと名前が残っていましたが、今では三菱UFJに代わりましたね。

画像3

結局は、工場買収には無理があって、諦めました。
最終的にはこの工場が持つメガネの金型を買うことにしました。
総額1500万円程度でした。

この事件から3つの開発案件が発生しました。

1つ目はこの生産できなかったスポーツグラスを日本でそっくり同じものを生産することでした。

2つ目はこの工場の金型は自動ゲスの構造になっており、自動成形が出来ます。この技術を日本で生かす事でした。

3つ目は、買ったこの金型を利用して、製品を作り、販売につなげる事です。
この製品を売ることについては、デザイン的に流行を過ぎており、日本人には掛け心地の悪い問題もあり、
結局はサンプル生産だけで終わりました。


1つ目のこのスポーツグラスと同じものを作る
このグラスはロシニョールのOEMで採用されていたもので、
提供が出来なくなる事は許されませんでした。

日本で金型屋さんとの打ち合わせで、同じ新しい金型製作の問題はありませんでした。

問題は鼻部分、ブリッジと呼ばれる部分がコイルバネで出来ています。
このコイルバネを再現しなければなりません。

イタリアのヨーロピアンオプティックの工場長だった人が開発したこのサングラスは左右の目型(レンズの入るところ)は真中がコイルバネでつながれており、大きい顔、小さい顔、顔の左右の違い、モノがメガネにぶつかった時にバネが変形してメガネの破壊から逃れる機能と良いフィッティングを得れる機能を持っていました。

発明者の工場長は、イタリアの銃メーカーのベレッタの技術者であった人でこの人が開発したサングラスでした。
左右のレンズをねじっても元の位置に戻るコイルバネの構造になっていました。
そのコイルバネはベレッタの軽機関銃のバネを利用したものでした。

このバネを再現できないとサングラスは完成できません。
そこで、このバネを持って東大阪のバネ工場を訪ね、同じものの開発生産を依頼しました。
当初は、現物を見て簡単だと、引き受けていただきましたが、少しして、
コレは大変なモノを引き受けた、難易度の高いものだと連絡がありました。

そのコイルバネは、メガネの構造上、左右のレンズ部分を捻った時に、元の位置に戻らないとメガネにはなりません。
この元の位置に戻るが難しいとの事でした。
コイルバネの構造を知らない私には分からない世界でしたが、ハードルは高いものの様でした。

しかし、さすが日本のモノづくりの町の職人さんです。
結果は、見事、同じものを作っていただきました。

バネが出来ると、比較的簡単です。
バネを金型内にインサートして成形することで、製品が出来上がり、
なんとか非常事態に対応することが出来ました。

事件が発生し、イタリアでの交渉、日本での金型の製作、
バネの制作、完成品の製作と、秋までに完成させるといった、綱渡り芸でした。

2つ目の自動ゲスの話です。
この頃は、中国や台湾でのサングラス生産が本格的になってきており、
価格面で日本製はだんだんと難しい局面になっていました。

日本では人件費や、製造コストの問題で、どうしても価格競争では負けだしていました。
自動で成形できるとなると、人が成形機にべた付きしなくてもよく、効率化が図れます。
イタリアで、作られた金型は自動ゲスの金型になっていました。

日本でも研究が進んでいたのですが、あと少しの所で、完成出来ていませんでした。
この金型を金型屋さんに見せると、さすがですね、その自動ゲスのポイントが分かり、
日本でも、自動ゲス金型が製作できるようになりました。
チョットした事が問題解決の最後の一手だったのです。
そんなもんですね。
そこまでたどり着いているから、一目見て理解が出来てしまうのです。

サングラスにレンズが入っています。
これはフレームに凹溝があり、この溝にレンズが引っかり、レンズが落ちないのです。

溝を入れる方法としては
1.溝無しでサングラス枠を成形し、後で職人さんが刃物でレンズ溝を加工する。
2.金型の中にレンズ溝の為のゲス板をインサートして成形する。
 金型から製品を取り出して、枠にはまっている金属のゲス板を指で無理やりに外す。
自動ゲスが出来るまではこの1と2のどちらかでレンズ溝は加工されていました。

自動ゲスはすでに海外で行われていることは知っていて、私も海外のメガネ工場を見学してその成形しているところを見るのですが、あまりに早く成形された枠が金型から飛び出すので
仕組は分からないままのテーマでした。
私は工場を見学して盗み見をしていたのです。

発展途上では人はそんな風にしてノウハウや技術を取り入れてきました。
そんなものですね。

自動ゲス金型が製作できるようになり、日本のサングラスの競争力は増しました。
この技術のお陰で、日本の成形サングラスの寿命が何年間かは延びました。

自社の社長がどんな意味がイタリアの会社を買うと言い出したのか分かりませんが、その事から、イタリアのメガネ工場の内部状況が分かり、金型構造も分かり、金型購入には投資をしましたが、以降、その金額は十分にペイしたと思っています。

私自身にしても、慣れないミラノ、ブレーシアでの交渉が何等かの大きな経験になった事は確かです。
日本人がイタリアのメガネ工場を買う。
この発想から色んなものを得ることが出来ました。
結果オーライですが、さすが社長と言うしかありません。

通訳さんの話
イタリア ミラノの長期滞在をして、工場、東京銀行、弁護士事務所との交渉を続けました。
この時に通訳をしてもらったのが、斎藤さんで、それ以来、イタリアでの通訳をお願いしました。
彼女はイタリア日本語通訳協会の設立を行い、
日本からの政治家の通訳、大手企業の商談にも立ち合い、ミラノの日本語
イタリア語の通訳では著名な人でした。

これ以降、イタリアでは必ず斎藤さんに通訳をお願いしました。
海外での交渉は通訳の力量でかなり違ってきます。
スムースさはもちろんの事、日本語の意味を正確に理解して適切な訳をすることが大切です。
業界ごとの専門用語があるので、その面でも、モノを挟んでの通訳では
モノの構造の事も知らないと正確な交渉は出来ません。
ある時は、話していない事も、こちらの気持ちを察してプラスしての通訳にもなります。

日本の政治家の通訳はもうやらないとの事、
何を言いたいか? 分からないので通訳出来ないとの事でした。
そうですね。
政治家の日本語が分からない事が往々にしてあります。(笑)

こちらの思うように通訳出来る人は貴重な存在です。
多少、通訳料金が高くても、その価値は余りあるほどです。
ミラノと聞けば、ドゥオーモと斎藤さんが目に浮かびます。

ドゥオモ2

初めて一人でのヨーロッパ旅行は27歳の時でした。
大学を卒業して5年勤務したスポーツ卸の会社を辞めたときに2か月の休みがあったのです。
人生に2か月の休みはないだろうと腹を決めて、退職金と少しの貯金を持って22日間の欧州旅行をしました。
早朝にミラノのホテルを出て地下鉄でドゥオーモ駅に着き、階段を出た所にこのドゥオーモが朝焼けにそびえていました。
56年前ですが、その印象は今も目に焼き付いています。
若い時の一人での海外旅行はとても素晴らしい思い出になります。
是非、お勧めいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?