5/3(金祝)ガザ・モノローグ@ACT cafe を終えて

5/3(金祝)ガザ・モノローグ@ACT cafe 終了致しました。

↓こちらは、主催からの公式挨拶です。***

ガザ・モノローグin ACT cafe、本日無事開催できました!30人のお客さんがご来場頂き、皆様から合計40,300円のカンパをいただきました。
こちらは全てらヒバ・ダーウードさんのクラファンhttps://gofund.me/ee94f173
寄付させていただきます。ありがとうございます!

モノローグの後は参加者の皆さんとダイヤローグ(対話)の時間をもつことができました。少しでも言葉に出すことが大切だと思っています。
本日のガザモノローグの記録映像はこの後少しづつですが、アップしていきたいと思っています。今日来られなかった方にも是非ご覧いただきたいと思います。

#gazamonologues

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ご参加下さった皆さん、ありがとうございました。

そして、
連日の音声投稿に戸惑われたり、内容的にしんどかったりもあったと思いますが、お付き合いありがとうございます。

SNS上での #停戦のためのパレスチナ朗読 を知り、そこから幾つかの集まりに参加したことで、自分にできることを考えました。
詳しく知らないからとか、
責任が取れないからとか、
躊躇する言い訳は幾つもあったのですが、
最初に参加した「声に出して読んでみよう」という主旨の会で聞いた一言が、そうした言い訳の全てを吹っ飛ばした様に思います。

「もう誰も死んで欲しくない」

現実には「誰も」なんてレベルを超えて大勢の人が殺されています。
でも、それでも「誰も死んで欲しくない」んです。
ものすごくシンプルで根源的な気持ちです。

「死」は本来、誰にでも必ず訪れるものです。
先日、仕事で108歳で亡くなられた方のお別れ会の進行を担当しました。
老衰でした。
本当に眠るような穏やかな最期だったそうです。
もちろん悲しみはありました。
けれど、それ以上に生き抜いた故人への尊敬と沢山の思い出話と労りに満ちた時間でした。
本来の「死」とは、こうあるべきではないかと思ったのです。
不慮の事故や病気など辛いことの方が多いですが、生き抜いた人の迎える「死」には、穏やかな安らぎがあると感じます。
そうした時でさえ、死は悲しいのです。
死んで欲しくないのです。


遠い国の1000人の死より、隣人1人の死が悲しくリアルで自分にとって大事であることは、事実です。
ですが、遠い国の1000人それぞれに一人一人隣人がいるのです。
家族や友人や恋人がいるのです。
きっと、死んで欲しくないんです。
誰も。

何ができたとは思いません。
でも、『ガザ・モノローグ』という存在を私が知り、
私がこうして発信したことで誰かの目に触れたであろうことが一歩なのだと考えています。

まとまりのない文章になってしまいましたが、この2ヶ月くらいの間に思ったり考えたりしていたことです。

ガザ・モノローグ朗読へ向けての音声(自主練)発信は一区切りとしますが、#停戦のためのパレスチナ朗読 は少しずつ続けようと思っています。
ガザ・モノローグもまだ読みます。

画像の書籍について。
5/3の主催者の一人・紙本さんがお勧めされていた本です。
本当は5/3の開催前に読み終わりたかったのですが、帰りの電車で読み終わりました。
とてもわかりやすい読みやすい書籍です。
そうは言っても、最初の年表や読み始めの数ページは知らない単語や年号、カタカナ表記に戸惑います。
でも、そこはわからないまま読み進んで20ページまで読んでみて下さい。理解できないことはいっぱいあります。けれど、そんなことより知らなければならないことがあることが感じられるはずです。

私はホントに物語以外の長文がなかなか読めない人間なのですが、読めました!

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