西行寺幽々子考 ~歌聖、西行妖、西行寺家の謎~
前段/本当に西行法師の娘?
東方projectの亡霊少女、西行寺幽々子。
冥界にある白玉楼に住み、霊達の管理をしている冥界の管理人。
生前は、元から「死霊を操る程度の人間」であった少女。
父である「歌聖」の死により人を死に誘うようになった桜、西行妖の妖怪化に伴い同様の「死に誘う」力を得、それを苦にして自尽したという少女。
彼女の元ネタは、「西行法師の娘」という説が有力となっています。幽々子や彼女の父に、そこに繋がる要素が散見される為です。
幽々子の父は「歌聖」とされていますが、西行も優れた歌を多く残しました。「歌聖」は諸国を巡ったとされていますが、西行も陸奥や四国など色々な地に訪れています。
妖々夢設定テキストにある「富士見の娘、西行妖満開の時、幽明境を分かつ(以下略」の文章。「富士見」は、西行が富士山を題材にした歌を歌った事、及び西行が日本画などの題材になった際の富士山を眺めている構図「富士見西行」を連想させます。
また、東方妖々夢においてもstage6、ボスの幽々子の撃破後
「ほとけには桜の花をたてまつれ 我が後の世を人とぶらはば」
という短歌が出てきますが、これを詠んだのも西行です。伝承ではありますが「反魂」の術を行い人造人間を作ろうとしたという話もあります。「反魂蝶」と通じる所がありますね。
ここまで揃えば「元ネタで間違いないだろう」となるのも無理からぬ事。
……しかし「歌聖」の設定を掘り下げていくと、西行法師とするには矛盾となる部分も複数出てくるのです。
「歌聖」は「自然を愛し死ぬまで旅して回った」と設定されています。これだけ自然が強調されているとなると歌も自然を題材にしたものが中心でしょう。
それに対し、西行は季の歌も優れたものはありますが恋歌や雑歌が特に優れていたと評価される事が多いようです。
また、西行は元は「佐藤義清」であり、32歳で出家し「西行」の号を名乗り、73歳まで生きました。「西行」の名は「後から」のものであり、また老年まで生きたのです。彼の娘も、幾つか説はありますが早逝したとはされていないようです。
それに対し、亡霊幽々子は容姿が生前と余り変わらないとされる(求聞史紀)事から自尽時のものと余り変わらないと仮定すると、死亡時の年齢は十代半ばと思われます。そして父である歌聖が亡くなったのは、求聞史紀での「歌聖の死後に例年同様の死者が後を絶たなかった」という記述によりその数年~十数年前と推定されます。つまり、娘の幽々子が幼い頃に歌聖は亡くなり、幽々子も十代半ばで自尽した事になります。
そして特に大きいのが、生きた時代。
西行法師は1118年に生まれ、1190年に73で没したとされます。
それに対し、「歌聖」が生き、そして亡くなったのは「千年余り」昔(妖々夢幽々子設定)。娘の幽々子も「千年以上亡霊をやっている(求聞史紀)」「千年以上昔の月面戦争を見た事がある(儚月抄)」と千年以上亡霊をやっている事が繰り返し強調されています。
千年余りや千年以上をほぼ千年と少なく見積もっても、100年以上の開きがあるのです。
この差異について、「あくまで元ネタ又はモチーフであり、史実の西行本人を正確になぞっている訳ではない」等としてあくまで西行法師及びその娘を元ネタとした半オリジナルキャラクターという事にする、というような捉え方が強いようです。
ネット上の百科事典系統の、ファンが知識を集積的に記載する場所でもそのような前提で「西行の娘」という事をほぼ確定事項としている事が殆どです。
しかし、他に同様の作られ方をしているキャラが東方に多いのならばそれもアリですが、基本的に史実や伝承に元ネタがある東方キャラは元ネタの史実や伝承はなるべく忠実に取り入れた上で、不明瞭な部分や解釈が分かれる部分を作者のZUNさんなりの解釈で表す、という事が殆どです。明らかである時代や伝承そのものまで大きくズレを生じさせているという例は、少なくとも自分の記憶の限りありません。
これは、再考の余地があるのではないか?
歌聖≠西行法師の可能性も探るべきではないか?
そう考え、一旦西行法師説をゼロベースに戻して考えてみる事にしました。
次段/「歌聖」は誰?
それでは、幽々子の父である「歌聖」とは誰だったのか。
とは言っても、歴史上の歌人で「歌聖」とまで称された人物は多くはありません。古今和歌集の仮名序における記述から「柿本人麻呂」と「山部赤人」の二人が歌聖とされるくらいです。他の歌人も優れた歌を残した者がそう称される事はあるようですが、「歌聖といえば」となるとこの二人が上がるようです。
このうち、柿本人麻呂は天皇賛歌や挽歌、そして西行の様に恋歌が特徴的とされています。
それに対し、山部赤人は天皇賛歌等もありますが自然の美しさや清さを詠んだ叙景歌が有名です。
……早速この段の結論に至ってしまいますが、幽々子の父の「歌聖」は山部赤人なのではないでしょうか?
赤人に絞って掘り下げてみましょう。
山部赤人は、生没年にも謎が多い歌人です。史記に名が残っていない事から貴人ではなく下級役人、天皇賛歌が多い事から宮廷歌人だったのではないかとの説もあります。詠まれた時期が概ね明らかである作品は724~736年頃に限られるようです。
まず、年代は「千年余り」昔の人とされる「歌聖」と合致しますね。また、生没年が不明瞭である事から「歌聖」が娘の幽々子が幼い頃に比較的若くして亡くなったであろうという部分、娘の幽々子も若くして亡くなった部分も「解釈」の範疇で取り入れられます。
また、各地の自然を詠んだ歌が多い事から諸国を巡ったと考えられる事も多いです。「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」という、富士山を詠んだ短歌は特に有名です。
「歌聖」の、「自然を愛し旅して回った」事とも合致しますね。また、富士山の有名な歌がある事から妖々夢幽々子設定にある何者かが書いたとされる「富士見の娘」の記述も「書かれた当時の」と考えれば合致するとも考えられます。
山部赤人は神格化され、山部神社や和歌宮神社など複数の神社で祀られています。
一方、求聞史紀においては「歌聖」は「多くの人間に慕われた人で、死後も慕われ続け現在は神格化され天界に居る」とされています。……神格化も合致しますね。
更に、上記の「山部神社」は赤人終焉の地とされている場所に赤人の廟として建てられたとされ、隣接している赤人寺は赤人本人が建てたとされています。後に寺の隣に神社が建てられたようです。
またこの赤人寺の境内には、「赤人桜」という桜があります。赤人がその枝に冠を掛けたところ取れなくなってしまい、そのままこの地に永住したという伝説があるそうです。
幽々子は、永夜抄のラストワード「西行寺無余涅槃」の存在や三月精で「南無阿弥陀仏」と唱えた事など幾つかの要素から仏教との繋がりが見え隠れしますが、赤人が寺を建てた事実とも通じますね。また、赤人にも桜に関する伝説がある事も幽々子と、というより妖怪桜・西行妖と通じる所があります。
生没年すら詳細不明な経歴の不明瞭さ、自然を愛し諸国を巡った事、富士山の歌、神格化、仏教や桜との関り……
……あくまで要素だけを見て行けば、これは可能性が高いと言えるのではないでしょうか?
ですが、「歌聖≠西行」となると気になるのが西行法師と幽々子及び「歌聖」との関係。
妖々夢で短歌まで出てきて、全くの無関係という事は考えにくいでしょう。「反魂」の要素の繋がりも気になりますし。
千葉県東金市田中に赤人塚という塚があります。上総にある赤人の墓ともされるここに、西行法師が訪ねてきたという話があるそうなのです。
西行法師は、幽々子の父などではなく、「後世に於いて赤人を尊敬したり何らかの繋がりがあったが故に赤人に準じた行動をとった人物」などではないでしょうか?
西行法師が桜の元で死ぬ事を望んでその通りにしたのも「歌聖」が『そう』した事に倣っての事、という東方内解釈、という。
転段/西行妖とは何なのか?
その根本で「歌聖」が無くなった事で例年それに続いて死ぬ人が出て、多くの人の血を吸って人を死に誘う妖怪桜となった西行妖。
「特に由来等や元ネタなどはない、東方オリジナル妖怪」のような認識を持っている方も多いでしょうが、何かしらの元ネタや原型がある妖怪なのではないでしょうか。
桜の妖怪。桜は、まぁ当然ですが樹です。
日本の樹の妖怪となると、樹木子(じゅもっこ)という血を吸う樹の妖怪等もいますがこれは古戦場で血を吸った妖怪などとされ、直接根を伸ばして血を吸うとされます。西行妖とは少し違う趣。
他に、「木霊」というのがいます。樹に宿る精霊です。東方の「妖精」、自然の生命力の具現とされる彼女らと通じる所もある精霊。
木霊は日本古来の存在なので妖精と関係ないだろうという見方もあるでしょうが。
東方の「妖精」代表といえばチルノ。彼女は紅魔郷では「雪ん娘」、妖々夢では「氷の妖怪」等と表記されています。「初期設定」「設定ブレ」ともされるこれら表記ですが、チルノは花映塚でこのような発言をしています。
60年に一度起こる幻想郷の自然の再誕を「何度も」体験していると思しきこの発言、チルノは日本古来の存在である可能性を示していると捉えられます。
つまり、チルノは「氷の妖怪」であり「雪ん娘」であるがそれらは「妖精」と類する事も出来る、という事ではないでしょうか。
そして木霊も同様、「精霊」ではあるが「妖精」でもある、と。
つまり、西行妖とは「桜に宿った木霊(妖精)」が人を死に誘う妖怪化した存在ではないか、という可能性です。
そして別方面から。
幽々子は、何故か弾幕に「蝶」を多用します。
「死を操る」能力という事で死者の魂の象徴とされる事も多い蝶をモチーフにしている、という程度な話である可能性もありますが。
蝶以外にもカラスなど何種類かの鳥のように、死や死者の象徴とされる生き物は蝶以外にも存在します。その中で敢えて蝶が印象的に用いられている理由は何なのでしょうか。
幽々子の妖々夢でのスペルカードに『華霊「スワローテイルバタフライ」』があります。swallowtail(butterfly)はアゲハチョウの英名。羽の端の飛び出た部分が燕の尾のようなのでその名になったようです。
東方で「アゲハチョウ」といえば、アゲハチョウの妖精、エタニティラルバ。彼女は、蝶自体がそうであるように、卵→幼虫→サナギ→蝶→卵→……の循環と「サナギ」という1度死んだように変異してからの蝶への羽化の様子から成長と再生と変態の妖精です。
このラルバ、天空璋EXTRAチルノ編の摩多羅隠岐奈のセリフより「私(隠岐奈)と対立している神、常夜神(常世神)」との関連性が疑われる存在です。
常世神とは、山部赤人より更に昔である飛鳥時代、644年に東国の富士川周辺で大生部 多(おおうべ の おお)という人物が広めようとしていた新興宗教の神。多はとあるイモムシを「常世神」として、「この虫を神として崇めて祀り財産を捨てれば、病人は癒え老人は若返り富と長寿が得られる」と触れ回りました。人々はその通りに財産や食料を喜捨して歌い踊りましたが、実際に富と長寿が得られる事は無く被害が出ていました。
この事態に対し、聖徳太子の側近であった豪族・秦河勝は被害を重く見て大生部多を討伐し、常世神信仰の広がりを阻止しました。
そして、河勝は後に仏教の神である摩多羅神と同一視されています。
この常世神とされた虫というのが、アゲハチョウの幼虫とされているのです。
隠岐奈が言う対立とはこの繋がりを言っているのでしょう。
そして、幽々子も常世神……東方では「常夜神」とされる事が多いようですが、この神と無関係ではなさそうなのです。
東方神霊廟に登場した幽々子が1面の最後に使うスペルカードが、
冥符「常夜桜」。
常夜のワードが使われているのです。
また、妖々夢をプレイした事のある人ならば感じた事があるかもしれませんが、幽々子の使うスペルカードと、最後の「反魂蝶」における弾幕は傾向が異なります。
幽々子は綺麗に左右対称な弾幕は余り用いず、画面全体を優雅に使い追い詰めるような弾幕を主に用います。
それに対して反魂蝶は、概ね左右対称だったり左右交互の弾幕を機械的に繰り返すものでした。
この反魂蝶における弾幕、何故かエタニティラルバのものと通じるところがあるのです。
概ね左右対称に広範囲に放たれる弾幕。
左右交互か同時かの違いはあれど、斜めに弾道がクロスする弾幕。
高難易度になるとそれまで使っていなかった連結した大玉を用いてくる弾幕。
等。
つまり、幽々子の「蝶」の由来は常夜神である可能性。西行妖とは「常夜神であるアゲハチョウの妖精、日本的に言うなら木霊が宿った上で『歌聖』の死により性質が変質した妖怪」であり、それ故に幽々子が蝶を多用するのではないでしょうか。
追段/どうやって死に誘っている?
そうなってくると、気になるのが西行妖、及び幽々子の「死に誘う」力。これはどのようなものなのでしょうか。
人をほぼ無抵抗に死に誘うなど、尋常な力ではありません。
それも、永夜抄EXTRAで幽々子が妹紅を死に誘おうとした時の様子から見るに大仰な事をしなくても相手の目の前でこっそり死に誘う事すら出来る強力な力の様子。
ヒントになりそうなのが、東方永夜抄のラストワード。
幽々子のラストワードは「西行寺無余涅槃」。
ZUN氏によるスペルカードへのコメントによると
との事。最大奥義というのだから、これが死に誘う能力の根本に大きく関わっている可能性は強いと思われます。
では、この「無余涅槃(むよねはん)」とは何か。
仏教において、全ての煩悩を滅し悟りを開いたが肉体の束縛からは逃れておらず、完全な涅槃には至っていない状態を「有余涅槃(うよねはん)」と言います。
この状態から、更に肉体を滅し=亡くなって、完全な涅槃に至る事を「無余涅槃」というのです。
無余涅槃が最大奥義という事は、死に誘う能力とは「無余涅槃への誘い」なのではないでしょうか。
煩悩を無くさせ強制的に悟りの境地に至らせて、あとは肉体から脱出するだけ、無余涅槃に至るだけ。
そういう状態にして「死に誘う」。
この「煩悩を無くさせる」という説、上記の常世信仰とも重なってきます。
財産を捨てさせる内容の信仰。ここから「財→欲→煩悩」という事で煩悩を「捨てさせる」事を「神徳として」行わせる。
歌聖の死によりその特性、信仰が「無余涅槃」の方向に強調された結果の変異。
西行妖が常夜神の宿った桜だとするならば、「死に誘う」力はそのような原理なのではないでしょうか。
しかし、有余涅槃に至っただけで死ぬ気になるのか、という疑問もあるでしょう。
ここでもう一つ、前述の「常夜神=妖精」説から東方妖々夢の流れを鑑みると、妖夢の様子で一つ気になる部分があります。
妖々夢の妖夢は、瞳が赤色なのです。
以降の作品だと、永夜抄及び花映塚の本編では青、それ以外の大抵の時は黄色~白の色をしている事が殆どであるのに、この時は赤。
妖夢の瞳が赤だったのは、他にもある事にはありますがレアケースです。
一つは、永夜抄ベストエンド及びラストワード時。
真の満月を直接視認してしまった妖夢は、感受性が強過ぎる為に瞳が狂気に染まって赤になってしまったのです。幽々子はそれを治してもらい、ついでに冥界専属医にする為に永琳を死なせようとしますが毒は効かず、また蓬莱人であった為に失敗します。
また、ラストワード時は妖夢は満月の狂気を利用した技を利用します。それが「待宵反射衛星斬」。普段のボム時は立ち絵と同様瞳が青ですが、このカットインのみ妖夢の瞳が赤です。
またもう一つ、これは漫画のモノクロ表現である為厳密には不明ですが、クラウンピースの狂気の松明の狂気を受けた時の妖夢の瞳も色が変わっています。前例からすれば赤くなっている可能性が高いです。
つまり、妖々夢時も何らかの「狂気」を受けていた可能性があります。しかし、妖々夢の時の妖夢は単に「春度」を集めていただけ。狂気が何処にあったのか、と考えると……
そもそも「春度(ゲーム的には桜符)」、これは何なのか?
ゲーム状では桜の花弁状のものを集める事になっています。また、文花帖の幽々子の記事においては幻想郷古参の天狗・射命丸文すら幻想郷に無い種類と判断する桜の花弁を、幽々子は「春を返す」として幻想郷に撒いて回っていました。
「桜」と言えば、言葉としては東方茨歌仙が初めてである「石桜」というものがあります。
火車の火焔猫燐曰く、人間の死体が地中で肉体が朽ち、魂が徐々に純化されて地中に沈んで行って出来た鉱石。これが細かく砕けて桜の花弁のように降り注ぐ様子が地底の花見として楽しまれているようです。
そして、石桜の話はこれで終わりません。
東方三月精、幻想郷の自然が活力を失い始めたと同時に幻想郷各地に石桜が出現し始めます。この石桜、エタニティラルバ曰く生命力が弱った妖精が完全消滅を防ぐ為にサナギの様に変異したものだという事。
弱っていた原因は、東方天空璋における摩多羅隠岐奈による後戸開放により季節の気質として生命力を放出し過ぎた上で後戸を閉じられた為に生命力不足に陥ったから。
妖精も、石桜になるのです。
これらの話、人間の魂と妖精の両方が石桜になる事実。
これについて、花映塚の時点で小町が興味深い事を言っています。
妖精と幽霊は存在が近い。
妖精は自然の生命力の具現化で、生命力は季節の気質にも通じる。
そして求聞史紀によれば幽霊は人間の魂に限らず気質の具現化。
共に気質で出来た存在なのでしょう。
そして「生命力」と「狂気」。
同じく三月精において、クラウンピースの狂気の松明についてエタニティラルバは「生命力が暴走した炎」と語りました。
暴走した生命力は、狂気を招くのです。
つまり、妖々夢の妖夢の瞳が赤かったのは妖精の生命力の結晶である春の石桜の欠片を集めていた為に、集まり過ぎた生命力の暴走の煽りを受けて、後遺症等は残らない程度に狂気に染まっていたのではないでしょうか。
そうなると、西行妖に宿るのが妖精である常世神だとすると「常世神としての神徳により煩悩を捨てさせた上で妖精としての生命力を暴走させ狂気に冒す」というプロセスにより、有余涅槃に至った人間が狂気により死を選ぶ。
これが西行妖、及びそれと同じ力を持っていると目される幽々子の「死に誘う」能力の原理ではないでしょうか。
ここまでだと、「偶然常世神が宿っていた樹の根本で歌聖が死んだ事で偶然妖怪化させてしまい、偶然幽々子がそれにつられて同じ能力に目覚めてしまった、運命の悪戯であり悲劇」とも取れます。
……しかし、偶然にしては出来過ぎではないでしょうか。
疑段/全ては偶然なのか?
歌聖の死。
西行妖を取り巻く悲劇の始まりであるこの死、よく読むと作為的なものも感じられます。
歌聖は、自然を愛し死ぬまで旅して回った人物。前述のように幽々子の外見年齢を考えても、死亡年齢はそう高くない筈。死ぬ前まで旅が出来る程、元気であったようです。
しかし、彼は突然「己の死期を悟った」訳です。悟った上で「己の願い通り」最も見事な桜の元で永遠の眠りについた。
まるで「元々自分が若くして、元気な状態で死ぬ事は判っていて、死ぬ場所の目途も付けており、その時期を悟った」かのように。
またもう一つ、幽々子の能力について勘違いされがちな事として。
「後から死霊を操る力を得て、それが更に進化して死に誘う力に変化した」のようにも捉えられがちですが、
この設定文をよく読むと、死に誘う能力と死霊を操る能力は別で、「元々」持っていた死霊を操る能力に「加えて」後から死に誘う能力も持つようになった、とも取れます。
さて、この死霊を操る能力。
文字通り死者の霊を操るもののようで、冥界の管理人を任されている理由もこれによる所が大きいようですが、この能力による支配の特性として興味深い部分があります。
永夜抄・幽冥の住人チームのベストエンド、最後の地の文に於いて「幽々子の能力によって死ぬと成仏が出来なくなる」とあります。成仏が出来なくなる、非常に大きな変化です。
また、幽々子の従者にして白玉楼の庭師・魂魄妖夢。
半人半霊の剣士である彼女が、先代庭師・魂魄妖忌から受け継いだと思われる二振りの刀。
妖怪が鍛えたとされ、一振りで幽霊10匹分の殺傷力を持つとされる長刀・楼観剣。
そして人間の迷いを断ち切る事が出来るとされ、魂魄家の者しか扱えないという短刀・白楼剣。
これらの内、白楼剣について、死神・小野塚小町が興味深い事を言っています。
白楼剣で閻魔の裁きの前の霊を斬ると2度と輪廻転生が出来なくなるというのです。
またこの件についてはこの後のエンディングでも補足されており、
「冥界は迷いを抱えた霊が留まる所で、閻魔の裁きにより行き先が決まるが、裁きの前に白楼剣で斬ると霊の迷いを断ち成仏に当たる状態になって天界に行ってしまう」
という説明が為されています。
そして東方求聞史紀の西行寺幽々子のページにも、「天界は輪廻転生を断ち切った者が行く」という注釈があります。
西行妖及び幽々子の死に誘う力、幽々子の元々の死霊を操る力、そして白楼剣。
これらを揃えると、
「強制的に煩悩の無い死、つまり無余涅槃に至って、死後の霊は成仏が出来ず、白楼剣で斬られるとそこから強制成仏で天界に行く」
という「天界行き機構」が出来上がります。
そして、求聞史紀の幽々子のページには彼女の父である歌聖について「死後も慕われ続け、現在は神格化されて『天界に住む』」とあります。
更に、妖々夢の幽々子の設定によれば彼女の出身である西行寺家は「死に絶えた」そうです。幽々子の能力の暴走、等と捉える事も出来そうですが……
加えて、永夜抄・幽冥の住人チームのEXTRAにおいて、蓬莱の薬を藤原妹紅が飲んでいると悟った幽々子はこんな事を言います。
蓬莱の薬の効能について異様に詳しい幽々子。
それどころか、「人間が食したら蓬莱人になる蓬莱人の生き胆を、亡霊が食したらどうなるか」。
こんな空恐ろしい話まで、まるで「実際に試したのを見た事があるか実例を確実な話として聞いた事があるかの様に」語るのです。
これらの事実から少し深読みすると
「歌聖含め、西行寺家の目的は『死を経た天界行きによる不老不死化』であり、永夜抄EXTRAでの発言は西行寺家に於いて蓬莱の薬による亡霊の輪廻転生からの脱出と不老不死化を狙った実験の事だったがその時は薬が続かない事が判明し失敗に終わった、そこで歌聖の計画的な死による、常夜神の宿る妖怪桜・西行妖の人為的作成と、その能力の幽々子への付与、加えて幽々子の元々の死霊操作能力及び白楼剣を用いてその目的を『達成』した為に西行寺家は『死に絶えた』」
そんな可能性が浮かび上がってきます。
怪段/そもそも西行寺家とは何だ?
そうなってくると、そもそも「西行寺家」というもの自体が訝しげに思えてきます。
幽々子設定によると「伝統ある」西行寺家。
求聞史紀、つまり稗田阿求による記録「幻想郷縁起」においても千年以上昔の「歌聖」の生前の様子どころか死後の天界行きまで伝聞等ではなく確定事項として書かれ、幽々子自身について生前と死後の外見の変化まで書かれる程です。
西行寺家は、元々幻想郷において重要な家だったのではないでしょうか。
幽々子が「元々」持っていた死霊を操る能力に関しても、その家系や系譜から得た能力ではないか。例えば信仰している先祖の神の力である、等。
西行寺家に関係しているかもしれない事象として。
東方求聞口授、姫海棠はたての新聞・花果子念報の、封獣ぬえについての記事に於いて、ぬえが能力で自分と舟を偽装して現れた地域について「妖怪の山の西側」だとし、そこは「人間のみならず妖怪も立ち入らない荒廃した辺境」とされているのです。
西行寺の御屋敷である白玉楼は非常に広いそうであり、「西」行寺という名からしても、この荒廃した辺境は西行寺家の白玉楼……の建っている山(白玉楼に行くには長い階段を登る必要があるので山の上と思われる)が元々あった場所だったのではないでしょうか?
幻想郷の西側に広い土地を取って位置する必要があった、そういう家なのではないでしょうか。
ここで、前述の「歌聖=山部赤人」説が関係してきます。
山部氏は天神系氏族である久米氏の一族・久米国造の後裔であり、部民制における職業部の山部の伴造家、との事です。
この天神系氏族というのは天津神、高天原に住まう天の神の系列の子孫という事で、久米国造の祖神とされる天津久米命は天孫降臨をした邇邇芸命に随伴した神の一柱であったとされます。
天津久米命の系譜を更に遡っていくと、造化三神である高皇産霊神、又は神産巣日神に辿り着きます。高皇産霊神の子には、東方的には非常に馴染み深い神が居ます。
知恵の神、八意思兼神。月の民、八意永琳と同一存在と目される神です。
そして、更に前述の常世神の「常世」。
八意思兼神は「常世思兼神」ともされます。思兼神自体が常世の国から来たともされる存在です。
この「常世の国」、浦島太郎の伝説では竜宮城が「蓬莱」と書いて「とこよのくに」ともされる事もあり、実際に東方においては儚月抄で、神隠しに遭った瑞江浦嶋子は月の都に着いており、彼を匿った綿月豊姫は都を竜宮城と説明します。
つまり、「常世の国=蓬莱=竜宮城=月の都」であり、蓬莱の薬というのも「月の都で作られた薬」という意味合いもあるのではないでしょうか。
常世神が不老長寿を授けるとされたのも、常世神とされたアゲハチョウの幼虫がつく樹である柑橘類の一種、タチバナが常緑樹でありタチバナの実が不老不死の仙薬になる「時じくの香(かぐ)の木の実」とされていた事からという説があります。
その月の都に住む月の民が「天津神」である可能性は、東方紺珠伝の東風谷早苗ストーリーにて八坂神奈子らによって推測されています。
山部赤人が天神系氏族の末裔となると、つまり幽々子は「月の民の末裔」と捉える事も出来るのです。
前述の「亡霊に蓬莱人の生き胆を食させる実験」があった可能性、これに用いられたと思われる蓬莱の薬の出所も、その繋がりからなのではないでしょうか。
また、幽々子が元々持っていたとされる「死霊を操る」能力も天津神達の更なる先祖、国産みの夫婦神である伊弉諾尊・伊弉冉尊。その内妻である方の伊弉冉尊が、死後に黄泉の主宰神・黄泉津大神となった事から、黄泉の神である伊弉冉への信仰に基づくもの、というような推測も立てられます。
系譜や信仰、全てが神代の神由来のものという可能性です。
ここまで考えていくと、幽々子と生前から友人であったという境界の妖怪・八雲紫、その源流も、「現世と黄泉の『境界』に、伊弉諾尊により妻の伊弉冉尊から逃れる為に置かれた巨大な岩の神格化」である「道反大神(ちかえしのおおかみ)」がその「境界」の力で妖怪化したり、また道反大神本人ではなくともそれと関係の深い存在で、黄泉及び冥界に関係していた西行寺と元々関係の深い存在だった故に繋がりがあったのでは、という推察も可能です。
終段/締め
不明部分が多く、推測が多く挟まり、また少々脱線気味な部分も多くなりまして申し訳ないですが。
西行寺幽々子、その存在は東方project作品全体の根幹設定においても非常に重要なものである可能性はあるのではないでしょうか。
幽々子の設定は未だ謎が多く、しかし「モチーフがあるだけの半オリジナルキャラクター」的な認識が強い為に掘り下げが進んでいない部分でもあります。
この文章を読んで頂いた上で、その部分への掘り下げの一助となれば幸いです。
長文、お読み頂きありがとうございました。
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