なぜ勉強しなければならないのか

結論:しなくてもいいけど、やっておくと出来ることが増えて楽しい

初等教育、中等教育、高等教育で習うものがつまらないのは当然である。
何故なら、それらは学問の最も基礎の部分であるから。
よく数学が苦手な生徒は「二次関数なんてどこで使うんだよ」と口をこぼすけれども、私から言わせれば、「生きていく中で二次関数が不可欠な時なんてあるわけないだろう!!!!!!」である。
しかし、二次関数すら分からない頭では、人間の心を科学することも楽器の特性を分析することも、建築物の耐久性を予想することも到底できない。
今身の回りにある全ての製品や仕組み、テクノロジーは基礎部分の延長線上にある。それも遥か先に。
目的地が遠いと、その道中で何のために走っているのか分からなくなり中断してしまう人が続出するのも納得。
勉強の恩恵を受けられるのは、その先に何があるか分かっていないけど、頭をバカにしてガムシャラに進んだ体力馬鹿なのである。
そんな体力馬鹿が、今の世界を作っており、途中で挫折したものが恩恵を受けている構図だ。
新しい製品を考えたり、ワクワクするようなサービスを提供したり、飲食店を出してみたり。
そういった高度な楽しい遊びをするためには、頭を馬鹿にして勉強する必要があるというのが私の持論である。

数学はこの世界の真実を語る。
言語はメディアとして機能する。
理科は身の回りの現象を理解し再現し応用する。
歴史は私たちの現在地とやるべき行動を教えてくれる。

有用であるから学問が残ってきたのである。
食って寝て交尾するだけなら、人に生まれてきた意味がないであろう。
高度な遊びができるのは、人が学問できる知能を持っているからなのだ。


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