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生い立ちついて語りたい

家族構成

父、母、姉の4人家族。両親は僕が高校生のときに離婚しました。以降、母親のもとで育てられました。

母親の生活力はものすごくて、やりくり上手というか。僕が高校、大学のとき、母親の年収はおそらく400万円ぐらいだったと思うんですけど、奨学金なしで大学卒業までさせてもらいました。
そのうえで、ちゃっかり貯金もしているので、本当に頭が上がりません。ちなみに、僕は大学受験で浪人しているので、その浪人費用も全部母親が出してくれています。

父親は普通のサラリーマンで、別に特に裕福な家庭でもなかったと思います。目立った不自由もないですが、別に裕福でもない、そんな普通の家庭でした。

小学・中学時代

小学校・中学校は地元の小中一貫校に入りました。僕のチャンネルでも動画を投稿してありますが、チャンネル栗林の栗林さんと小中同級生です。

小学校・中学校のころは特に勉強もスポーツもできるわけではなく、何も秀でているものがなかったタイプです。特に、足が遅かったので運動会などは憂鬱なイベントでした。
今思えば、足が遅いことは本当にコンプレックスでしたね。ちなみに、僕より足が遅い人に出会ったことがありません。

小学校4年でバスケを始めました。以降、青春生活のすべてをバスケに打ち込むことになります。中学までは本気でプロになれると思っていました(笑)

高校受験のときに、レギュラーになれなくてもいいから強豪校でバスケをしたいと思い、京都の洛南高校を受験して、見事に落ちました。まったく勉強してこなかった僕にはハードルが高すぎました。結果、兵庫県の地元の公立高校に入学しました。

父親が大のギャンブル好き

これが離婚の要因の一つではあったんですが、父親は大のギャンブル好きでした。物心つく前からWinsや競馬場によく連れていかれました。中学1年生のときには、競馬新聞の読み方とか、馬券の買い方を一通り理解するまでに成長しました。

実は、馬券の買い方は、数学の確率問題と似てるところがあります。数学の確率問題で、4つの異なる数字の中から2つの組み合わせを算出するときの計算式は”4C2”だと思います。当時、中学3年だった僕の頭の中では「馬連4頭ボックス買いだから6通り!」みたいな感じで、ある程度、暗記していたのを覚えています(いや、どんな覚え方やねん笑)

父親が仕事を辞めて無職になりましたが、ニートながら毎週末Winsで競馬をするようになったころから家庭内の雰囲気が悶々とし始めてました。結局、僕が高校1年のときに両親は離婚しました。
父親の血を引き継いだのか、ゆくゆくは僕も大のギャンブル好きに育ちましたが、今はもう一切しなくなりました。

大学時代

一浪を経て、第一志望の大阪大学を受験しましたが、見事に落ちてしまい、国公立後期入試で大阪府立大学に入学しました。入学時、学歴コンプも少しあったかもしれませんが、次第になくなりました。

浪人時代の写真
ガラケーが時代を物語ってる。

大学ではとにかく遊びました。大学でやったことと言えば、サークルに行くか、バイトするか、飲みに行くか、競馬場に行くかぐらいしかしていません。

パチスロにのめり込む

大学三年から梅田の鳥貴族でバイトを始めました。関西の主要店舗だったのでめちゃくちゃ忙しかったんですが、学生や若いフリーターが多く、非常に楽しかったです。幸か不幸か、ここでタバコとパチスロを学ぶことになります(笑)

パチスロはそれ以降も夢中になり、社会人3年目ぐらいまで続けていました。一度のめり込むと、熱中してしまうタイプで「どうすれば勝てるのだろう」と日々分析していました。

結果、わかったことは「競馬は勝てないが、パチスロ勝てる」ということでした。毎週末パチンコ屋に行ってましたが、毎月トータル収支はプラスでした。

ちなみに、そのとき、僕なりの「パチスロで勝つための方法」があったのですが、「こんな僕でさえ思いつくんだから、他にも考え付いた人がいるはずだ!」と思って、いろいろとググってみましたが、僕と同じ理論を提唱している人は見つかりませんでした。

あれだけ熱中したギャンブルも社会人3年目ぐらいから一切、興味がなくなってしまいました。また、2年半ぐらい前からタバコもやめてしまったので、本当につまらない人間になったなと思います(笑)

タバコやギャンブルに興味がなくなったきっかけは、機会があれば書いてみようと思います。

てな感じで

てな感じの生い立ちなんで、政治経済みたいなクソ真面目な話から、タバコ・ギャンブルみたいな話まで、幅広くカバーできます(笑)

今日はこの辺にしておきます。社会人になってからの生い立ちや、転職経緯なども、いつか書いてみたいなと思います。

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