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なにが原動力か

言式「解なし」
10月25日 銀座博品館劇場

初日だ。世界で最初の一般観客のひとりだ!きゃほー。
だけど、ふり返ってみると、私はあの舞台の「観客」であるよりも、「観測者」でありたかった。最後方の一席を占拠して、F値は大きめに設定して、あの空間の出来事を能う限りまるごと記憶媒体に収めるみたいに、五感を凝らしていた。おもしろいかおもしろくないかとかどうでもよくて、なにをしようとしているのか確かめたかった。

企画が立ち上がったことも、練ったものが形になったことも、幕が上がり無事に下りたことも、すごいことだなあよかったなあと素直におもう。
文章作品ではどうしても気になってしまった窮屈さや不自由さを感じることもなく、これだからこそだねえという納得感があった。試みと企みとに、総合して惜しまず拍手。
あそこにいた人たち、みんなここにきたかったんだね。みんな巻き込まれたかったんだね。巻き込まれたね。

言っておきたいのは、ちくちく不審な細部があったこと。眉間に皺の寄るような疑わしさがあった。
世界に対するおちょくりを感じるのだ。創作物が世界をおちょくることは、むしろあってしかるべきことと考えている。でもね。なぜそちら向きの矢印で、弱いほうをおちょくるのかな。そこはどうしても受け入れがたい。そのまま進めよと言いかねる。

1。古めかしく危険なファンタジー。諸々、それ、笑われたくない
2。ななちゃんもそっちか~となると因習村みたいなカラーもでるね。好きなオチ。
3。Aが積み上げる理屈でBの世界が再構築されかけるけれど、Aのヘマで振り出しに戻る。これも好きなかたち。
4。踏まれ、蹴散らされる「お刺身セット」が見えてしまっていや(かっこわらい)。
5。あれとこれの境界線がずらされる。舞台と客席。虚構と事実。架空と実在。時間にも細工を。見事な手管でした。
視覚的におもしろかったのは、降り積もる「あ」。ほとんど色のない舞台に突然現れる黄色。ポスター色だ。ブロックになった「言式」は、解はあるはずなのにほぼ一貫して解体されたまま。

大粒の雨が落ち始めた新橋の交差点で「ドーン」を真似した帰り道。興奮していたのは間違いない。