iGEMを終えて

はじめに

 日本語を母国語とする高校生チームとして初めてのiGEM teamであるJapan-Unitedは2023年(メンバー,PIともに)初出場でありながらGrand Prize(126チーム中総合優勝)、複数のAward(Gold Medal , Best Education, Best Entrepreneurship, Best Presentation, Best Wiki Nomination, Best New Basic Part Nomination)を獲得することができました。
 これらはチームにかかわってくださったすべての方、ご支援いただいた方、ご応援いただいた方のお陰です。全員のお名前をあげると大変な量になってしまうのでここではあげませんが、心より感謝申し上げます。
 ただ研究面で特にお世話になった先生方、活動初期よりアドバイスをくださった山形先生、常に適切なご指導をいただきJamboreeまで引率いただいた中川先生、実験の実務的なサポートをほぼすべてしていただいた末次研究室山岸さん、そして何もない状況でのラボの使用を許可してくださり多大なるご支援、ご助言をくださった末次先生、並びに資金面を主として多方面でお世話になった武蔵高等学校(僕の所属高校)OBのM様、H様には特に感謝を申し上げたいです。本当にありがとうございました。
 もう一つ明確にしておきたいのは、僕のiGEM期間中のリーダーとしての評価は60点くらいです。それでも世界1位を取ることができたのは、日本、世界でトップレベルのメンバーに囲まれたからです。本当に、本当に、最高のメンバーに囲まれました。信じられないほど優秀なメンバーに多方面で助けられ、多くの学びのきっかけを提供してくれました。素晴らしいチームでした。

 僕はJapan-Unitedの全体統括と研究班の統括リーダーをさせていただきました。資金調達の交渉、ラボ使用の交渉、プロジェクトの構築、実験内容の決定(もちろんいろいろご相談させていただきましたが)、実験のスケジュール管理、戦略判断、iGEMのスケジュール管理すべて僕が責任を持って行いました。初年度でGrand Prizeをとれたチームがほぼないのは言うまでもないですが、僕らほど高校生が主体で活動していたチームもないのではないかと思います。
 その過程では、初年度でかつ特殊なチーム形態であったことから生じた様々な課題を解決する能力、Grand Prizeをとるために必要な様々な能力を必然的に鍛える機会に恵まれました。iGEM20年の歴史の中で誰よりもiGEMを楽しみ、誰よりもiGEMに誇りをかけ、誰よりもiGEMで成長した自信があります。
 あまり話さなかった感情を含め、iGEMでの経験をまとめられたらと思います。

僕のiGEMに対する捉え方

 はじめに僕がiGEMに対してどのような思いで参加したかを書こうと思います。僕の将来の夢は自分の研究所を持ち、最高のリーダーであり、最高の起業家であり、産業を作れる研究者です。この夢を想定したときに考えられるステップはiGEMのプロジェクトを進めていく上で踏むステップと重なるところが多かったです。(推測の域を出ませんが、おそらくiGEMは僕のような夢を持つ人を育てるための教育プログラムなんだと思います。そのくらい初年度のリーダー/結果を出せたリーダーの思想は似てるところが多いです)
 そのため僕は異常に高い参加費を集めることから、研究アイデアの構築、実験まですべての活動を楽しみ、吸収することができました。大変だと思ったことはありましたが、辛いと思ったことはなかったです。
 また重なるステップが多かったからこそ、人生の縮小版としてiGEMをとらえました。そのため妥協は一切許せなかったです。僕のiGEMに対する解像度が一定以上を上回った2023年4月ごろから、チーム内ではGrand Prizeを狙うと言い続けていたと思います。Judging handbookが発表された後も、Awardを獲ると言い続けていました。

 ただ実際のモチベーションというところでいうと、もっとドロドロしていました。一言でいうと反骨心だと思います。大人が中心でやってるチームなんかに負けたくなかった、お金を準備してもらってるチームなんかに負けたくなかった、場所を用意してもらってるチームなんかに負けたくなかった、ずっとそんな感情で動いていました。また僕は自分に負荷をかけることで自分を鼓舞するタイプなので、日本中から優秀なメンバーが集まっているチームが世界で敵わないなんて許されるのか?末次研にここまでお世話になっていて世界1位をとれないなんて許されるのか?とずっと考えていました。このような感情下で数か月過ごしたこと自体も大きな経験になりました。

ログ

 まずはiGEMを通して学んだこと/経験を、自分の中で振り返りつつまとめました。本当に自分の中で振り返ったものを公開しているだけなので、淡々と書いているだけです。ご容赦ください。
 あまり苦労?努力?を他人に話すのは好きではないのですが、それなりに大変な経験だったので一応書いてみました。不愉快であればすみません。

〈2022年9月~11月〉
 当時のモチベはひたすら合成生物学が大好きなので、world wideなcompetitionに出れるのならば(よく分からないけど)とても出てみたいといったものでした。
 あまり詳細には触れませんが、iGEMを目指すhigh school team間でいざこざがありJapan-United(当時Ninjas)が創設されました。僕はいざこざが起きてた期間ちょうど海外にいたので全く知りませんでした。Ninjasが創設されたのが9月頭だと思うのですが、ある程度Ninjasが動き始めた(?)9月下旬になってNinjasに入りました。僕はもともとリーダー気質だったのですが、チームが全権リーダーを決めないことを第一にしてたのでかなり動きずらかったことを覚えています。この期間の進捗はあまりなかったと思います。新参者がチーム理念に口出しするのは…という気持ちでしたが、もう少し積極的に発言してもよかった気はします。
 (失礼に感じたらすみません)流石に進捗がなかったので、11月の途中で僕がリーダーになりました。人と資金とラボがないのは明確だったので、それを解決することを第一にしていたと思います。

〈2022年12月~2023年2月〉
・メンバー集めについて
 twitterで公募してメンバーを集めました。面接なども行いそれっぽくやってましたが、あまり機能していなかったと思います。後で下にも書きますが、iGEMレベルになると個人の能力だけでは勝てません。コミュニティシステムを作る必要があると思います。コミュニティをベースとしてジョブ型でメンバーを募りつつ、人間同士の関係の持ち込みやすいようにチームを作るのが理想だと思います。しかしながら僕たちは初年度だったので、もちろんコミュニティシステムなど皆無ですし、理想とは程遠い状態でした。
 とはいえ当時からNinjasは広報力があったので応募者数が多くなり、結果的に能力が高いメンバーが集まりました。そのためメンバーを集めたあとからでもコミュニティシステムを作り、(万能なメンバーが多かったので)メンバーシップ型のチーム形成で成り立たせることができたんだと思います。

・ラボについて
 末次先生への感謝しか書くことがありません。
 12月中旬ごろから下旬にかけて末次先生の論文はすべて読ませていただいていたのですが、非常に楽しい期間でした。年始少し明けてから、ご研究内容についてお伺いさせていただきつつ、iGEMのことをご相談させていただこうと思っていた矢先、Oriciro GenomicsのModernaへの売却が発表されました。衝撃が走ったとともに、iGEMのご相談をさせていただくのも恐れ多い、連絡が返ってくるような先生じゃないのではないかと思いつつご連絡させていただいたところすぐにお返事をいただき、その後ラボの見学や山岸さんとの相談を通してラボを使用させていただけることが決まりました。
 7月から10月までほぼ毎日ラボを使用させていただき、末次研究室の方々には多大なるご迷惑をおかけしたと思います。特に山岸さんには僕たちが実験をしている時間はほぼラボにいていただき、実験計画の組み方から手法を教えていただくところまで大変お世話になりました。
 末次先生におかれましても、場所や試薬等を分与いただいただけでなく、非常に的確でかつ迅速なアドバイスを度々いただきました。時には実験手法も直接教えていただいたりと非常に多くのことを学ばせていただきました。
 ここに書くことではないのかもしれませんが、本当にありがとうございました。

・プロジェクトアイデアについて
 合成生物学的な研究を実際にやったことなかったので、かなり安牌なテーマになったと思います。僕個人としてUTokyoGSCにて大腸菌を用いた物質生産系の研究計画を立てた経験があったので近い方向で進めました。(当時のアイデアはSaffron由来の抗うつ成分を大腸菌で低コストで安定的に作ろうというものでした)
 これはiGEMを通して悩んだことでもあるのですが、iGEMで勝つことと良い研究をすることは別方向です。僕は当時からiGEMで勝つことを第一に考えていましたし、それに対する後悔はそこまでないですが、せっかく末次研で活動を行わせていただくのであればもう少し長鎖DNAやcell-freeを用いたプロジェクトを考えられれば良かった気がします(どの程度行わせていただけるかは末次先生に相談する必要があると思いますが)。ただ当時は経験も不足しているうえにプロジェクト内容と資金の調達方法を同時に考えつつiGEMで勝つ解像度を上げている状態だったので、そういった判断はできませんでした。

〈2023年3月~5月〉
・資金集めについて
 こちらも本当に多くの方にお世話になりました。高校生には考えられないほどのサポートを受けて活動を行わせていただきました、本当にありがとうございました。
 資金調達自体は12月ごろから真面目に動いてはいたのですが、お金を稼いだことも集めたこともなかったのでひたすら空回りしてました。適切な人と適切な関係を築くことが最も大事なことだと思います。そういう点で本当に優しい方に恵まれました。
 iGEMにおいて、クラファンを行わなかったのは良い判断だったと思います。(集まらなくても)経験としてやってみたかったとは思うので、Kyotoの方にはお話しお伺いしてみたいです。

・敵を知ること
 このころにはだいぶiGEMへの解像度が上がり始めてました。iGEM公式のweb pageはすべて目を通し、必要そうなものは何度も確認しました。日本人iGEMerの記事もすべて読みました。
 ただ結局実際に経験者の話を聞くのが一番参考になりました。iGEM wasedaの初年度リーダーでtrack award受賞後、Regional Reporterになられた方には1年間を通して戦略をかなり相談させていただいた(その他にも多方面でお世話になりました)ほか、過去のGrand Prize winnerの方にも繋いでいただいてzoom meetingやチャットでのやり取りを相当させていただきました。結果は大敗でしたが、iGEM hackathonにも参加していました(世界水準で戦い、負ける経験は必要でした)。この活動によって、iGEMで勝つために必要な感覚の種をつかむことができました。これをつかむことができたので、残りの細々としたtipsは僕の中にある感覚とチームのプロジェクトに沿って適切に評価される動きをすることができました。プロジェクトストーリーは全て僕が考えたのですが、明らかにiGEMで評価されやすいものになっていたと思います。これは根底にiGEM的な感覚を養っていたからできたのだと思います。
 この時の動きとしてすべてを俯瞰的に見れる人にご相談させていただき、いろんな人につないでいただきつつ、なかなか言語化されていない(するのが難しい)感覚をつかむというのは非常に大切だったと思います。

ちなみに、この時相談させていただいた方の一人がiGEM NCKU_Tainan 2019 leader(Grand Prize winner)のSabrinaさんでした。彼女らのプロジェクトも大腸菌を直接食べるというアイデアで、E.coli Nissle 1917株を使用しており奇跡的に点と点が繋がりました。

〈2023年6月~8月〉
 夏休み期間は酷いスケジュールで生きていました。UTokyoGSCでの個人研究も進めていたので、朝から夕方までは東大で実験をし、夕方から深夜までは立教で実験、(朝から夕方までは別の人に立教で実験してもらっていたので)深夜から寝る前までに次の日の実験内容を送る。そしてその間に他のCriteria責任者と連絡を取りつつ、細々としたタスクを終わらせていました。本郷三丁目から弥生、池袋から立教がそれなりに距離あるのでそこで歩きながらご飯食べてました…

・実験について
 山岸さんには本当にお世話になりました。最初は実験系も山岸さんにすべて相談させていただきつつ組んでいたのですが、徐々に時間が無くなってきて僕が実験内容を考え、実験系の概要すら共有せずに実験内容だけ共有するというのをしばらく続けていました。その時期の実験はコントロールもまともにとっておらず酷いものばかりでした。
 さすがに酷かったので途中から末次先生、中川先生、山岸さんとは新しい実験系を動かすたびにzoom meetingなどで相談させていただき、チーム内では毎週実験系の概要を共有、そして次の日の実験担当者とは前夜に必ず実験概要と実験内容の共有のミーティングを行うようにしました。これにより適切に実験を進められたのはもちろんですが、ミスも減ったと思います(当たり前ですが、分かりやすく情報共有するのはなににおいても大事であることを再認識させられました)。
 (失礼な書き方だったら申し訳ございません)末次先生の実験に関する判断力は凄まじかったです。主張したいことに対して、必要なデータを最低限の実験量でそろえるための思考は非常に学ばせていただきました。

・アウトリーチ活動について
 チーム全体としては、Human Practice、Entrepreneurship、Educationになるかと思います。チームビルドがうまく行っていたので、かなりうまく回ったと思います。チームビルド周辺はまとめて下に書こうと思います。
 Awardを獲ることの責任を持つというのを意味してHupra,Enre,EducationそれぞれCriteria責任者を一人ずつお願いしました(責任者を複数置くのは嫌いなので1人にしましたが、Educationは結局2人になりました)(チーム内では責任者といったり担当者といったりですが、Awardを獲る責任を持ってほしいことは言い続けたと思います)。
 僕の役割はiGEMで勝つための道筋を共有し、勝つために必要なタスクを責任者と決め、チーム内での情報共有や役割分担が分からなければ僕が振るといったものでした。道筋を共有といっても、常に120%の目標値を設定し続けていたのでかなり理不尽だったと思います。ただ責任者は全員優秀だったので、すべて300%で超えてきてくれました。
 もちろん責任者と僕とでの情報共有とサポートは徹底しましたが、僕は責任は持っておらず完全に責任者が感動的な仕事をしてくださっていました。結果として、Criteriaに出したEntrepreneurship,EducationはAwardを獲得しました。Human practiceを出したとしても良い線行ってたと思います。これらは全て責任者の圧倒的な能力と仕事量によるものです。

〈2023年8月中旬~9月〉
・E.coli Nissle 1917株、無核化について
 僕が研究系のリーダー兼全体統括のリーダーだったからこその暴走ともいえる動きをしていました。僕は合成生物学が好きで研究をしたいので、研究的に面白そうだと思ったものはiGEMのスケジュール感を全く無視して進めました。無核化は8月中旬、Nissle株は9月中旬に動かし始めたのですが、どちらも動かし始めてからチームに許可とりました。無茶苦茶だったと思います。
 無核化は山岸さんと実験後に話してて話題に上がり面白そうだったからやってみる、Nissle株はSynlogicの話を耳に挟んだので面白そうだったからやってみるみたいな感じでした。Nissle株は9月14日に末次先生にご意見お伺いして走らせることにしたのですが、9月15日には台湾の大学の先生から分与の約束をいただけてたので非常に優しい先生方に恵まれました。ちなみに無核化の技術を開発された末次研向井先生、Nissle株を分与していただいた台湾の大学の先生はともに僕の高校のOBでした。両先生ともに技術的な面での相談などかなりさせていただきました。誠にありがとうございました。
 ともに実験に必要な最低限量しか先行研究を読まずにスタートしたので、wiki freeze前は絶望でした。スケジュールを考えていなかったので(考えられる判断力がなかったので)、実験系を立てる、まとめる、考察する、背景のサーベイ、iGEMへの最適化、実際に手を動かす、wikiにまとめるを同時進行でした。ここら辺の後悔は2つ下のwikiについてで書こうと思います。

〈2023年10月〉
・Gold Criteriaについて
 プロジェクトタイトルもそうなのですが、10/8のミーティングで決めました。酷いスケジュールです。チーム全体として、EntrepreneurshipとEducationは頭抜けてたのでその二つは確定していました。残りの1つはGeneral Biological Engineeringの項目から選ばないといけないのですが、ModelingとBasic Partで悩んだ結果、Basic Partを出しました。僕たちはiGEM Partに対する理解がかなり遅くなってしまっていたので(僕のせいですが)、Part戦略は明らかに誤ってました。しかしながらCriteriaを選べるというのは、近しい領域のJudgeを指定できるということだと解釈したので、dryよりはwetを評価してもらったほうがプロジェクト全体像の評価もされやすいと判断し、Basic Partを選択しました。ある意味予想通りですが、結果として出したCriteriaのうちBasic PartのみNominateで止まってしまいました。ただこの判断は間違っていなかったと思います。

・wikiについて
 (freezeの時間を10/12 25:00として)wiki freeze当日、wiki pageに移せる状態の文章は何一つとしてなかったです。この日の感覚は一生を通して忘れないと思います。wiki freeze当日になるまでずっと麻痺し続けていた感覚から目が覚めたときの絶望感、無力感、敗北感は今でも鮮明に思い出せますし、常に頭をよぎります。これまで先生方、メンバー、その他チームに関わってくださった方の膨大なお時間、学校/iGEMの先輩方が善意で出してくださった膨大なお金が僕の判断ミスで0になることを悟った瞬間の感情は本当に忘れることができないです。
 あまりにも陳腐ですが、ただただ純粋に僕が判断を誤りました。ただ今思えば9月以降、まともな判断ができる状況ではなかったと思います。完全に僕が思いつきで(意味不明な時期に)動かし始めたプロジェクトが全体のストーリーの軸になっていたので、僕以外誰もストーリーの全体像を知らず、本当に上に書いた実験系を立てる~wikiをまとめるを同時進行で行い、wikiの文章と口頭でストーリーを共有している形でした。しかも冒頭に書いたように自分に負荷をかけて自分自身を鼓舞するタイプだったので、ストレスでほぼ寝てませんでした。1日に1時間ほど気を失うタイミングが3,4回あって、あとはずっと稼働してました。ご飯もまともに食べてなかったので、精神力だけで動いていたと思います。あまり覚えていないのですが、作業効率も最悪だったと思います。ただどうにかなるだろうという根拠のない自信だけで、10/12まで来てしまいました。(もちろん全く0ではなかったです。日本語文章、figはある程度できてはいましたが、wikiにできる状況じゃなかったです。)
 10/12の朝5時ごろにやっと間に合わないことに気づいた僕は(このときの感情が上に書いたものです)、一度すべてのタスクを信頼できる数人に投げて、学校を休み、寝ました。起きたのが10/12の17時ごろだったかと思います。僕が起きた時にはすでにチームは動いており、10/12にほぼすべての文章の翻訳、足りなかったfigの作成、書けていなかった文章(result,engineering)の作成、すべてのParts pageの作成、ほぼすべてのwiki pageの作成を終わらせた形でした。24:50に新しいfigができたりして、本当にギリギリ完成させた形でした。メンバーには本当に救われました。感謝という言葉が適切な気がしないのですが、本当に頭が上がらないです。
 チームリーダーとして、本当に最悪でした。チームにはやれたことは100%書けたと言っていましたが、伝わるように表現をブラッシュアップするなどの過程が一切なかったですし、result,engineeringは元々書こうとしていたことが書けませんでした。チームの行ったことを記載できなかった(=行ってないことにしてしまった)、competitonにおいて120%伝わる形にできなかった、その原因を作ってしまうリーダーというのは本当に最悪でした。

 wikiに関して、適切な判断ができなかったことの解像度を上げると、担当者との適切な情報共有とコミュニケーションができていなかったことが大きな原因だと思います。ほかのCriteriaやPVはかなり連絡を取っていましたが、wikiはだいぶ酷かったです。ただこれも元をたどれば情報共有を怠った判断ミスになるんですかね。wikiをほぼ1日で仕上げられるような能力を持っている人がbest wikiを獲れるような環境を構築できなかったのは後悔の1つです(何様だよと思ったらすみません)。

・Presentation videoについて
 wiki freezeの一週間後が、Presentation videoのfreezeでした。wiki freezeの日の絶望の後、動き続けることができたのはメンタル的な面で支えてくれるメンバーがいたことが本当に大きかったです。本当にメンバーに多方面で救われました。
 Presentation Videoもアウトリーチと同じ方法で進めました。僕はiGEM的に評価されやすいストーリーを共有し、責任者をチーム全体で支える体制を作る、あとは完全に責任者が進めてくださりました。Presentation Video,Promotion Video,wikiやPartsページのグラフィカルなfigは全て同じ人が1人でやってくださったのですが、本当に天才なんだと思います。figに関しては、僕がこういう情報を入れてそれっぽいのを作ってほしいとお願いすると(なぜ伝わるのか分からない酷いお願いばかりでした)、極めて短時間で想像通りかそれをはるかに超えるクオリティのものをすべてにおいて作ってくれました。結果としてPresentation VideoはAwardを獲得しました。デザイン的な点ももちろんそうですが、伝わりやすいプレゼンというところでも僕自身多くのことを学ばせていただきました。

〈jamboree期間中〉
 楽しかったは楽しかったです。が、英語ができないのがひたすらつらかったです。聞きたいことめちゃくちゃあるのに、ディスカッションしたいのに、雑談混じりたいのに、話せない。喋るのが好きな人間なので、とても悔しい経験でした。英語を喋ることへの抵抗はないので、単語力の問題でした。努力するだけなので努力します。(Jamboree期間中に関しては振り返りをしている時間があれば単語の暗記をしたいのであまり書くことはないです…)
・Judging Sessionについて
 英語力が圧倒的に不足していました。焦ってなにも聞き取れない、単語も出てこないといった感じでした…
 ただ渡航メンバー、オンラインのメンバーともにかなり熱量があったので、雰囲気は良かったのかもしれないです。
 機内はもちろん、パリでも観光を一切せずに準備した想定質問はほぼ聞かれませんでしたが、ブースでのJudgeとの会話に役立ったりしたのでやってよかったとは思います。直前ご対応いただいたJapan communityの方々には心より感謝申し上げます。

・Presentationについて
 酷かったと思います。言い訳をすると僕はiGEMを通して勝つことしか考えていなかったです。そのため、事前に評価に影響しないことが分かっていたPresentationに時間を使うくらいであれば、Judging Session用の練習をする方針で進めました。
 その判断に悔いはないですが、もう少しまともなプレゼンをしたかったです。せめてカンペをすべて暗記し、前を向いて動きをつけながら話す想定で動けていれば、あの会場でプレゼンをしたことによる学びをより得れたと思います。スライドは素晴らしく、プレゼンは楽しめるタイプなので、楽しみたかったです。

他チームのプレゼンはどこも素晴らしかったですが、McGillのIsabelle Guoさんは感動しました。ジュラシックワールドを見てる気分でした。年齢的には日本の学部2年に相当するようなので、それまでに彼女を超えられるようなトークができるようになります。

リーダーに求められる能力

 リーダーに求められる能力は様々あると思いますが、メンバーが能力を最大限発揮できる環境を作る力は必須だと思います。
 メンバー1人1人に対して、いつどの程度動けて、どういった能力が高く、どういったことに熱意があるか、責任感はどの程度持っているか、それらを把握したうえで、チームがこなさなければいけない膨大なタスクを適切な人に適切なタイミングで振りつつそれをフォローアップするような体制も同時に築く。もちろんその際、なぜその1つ1つタスクを行う必要があるのかの理由付けと目標付けを適切に行い、チーム全体の大きな目標(今回の場合はiGEMで勝つ)がかなえられるビジョンを共有するとともにタスクをこなせば、大きな目標をかなえられる道を作る。理由付けと目標付けを明確に行うことによって、タスクを振られた人は自ら適切に判断することができる。タスクを振られた人がリーダー(タスクを振った人)より優れた能力を持っている場合、タスクを振られた人は当初設定した目標を軽々と超えて、元々の能力を最大限発揮した300%の完成度でチームに提供することができる。このような環境を構築することはリーダーにしかできません。これは最低限必要な能力だと思います。
 そのうえで、上に書いたようなフォローアップする体制を築くのが最も大事だと思います。全てのことがうまくいくわけがないので、失敗(期限に間に合わない,メンバー個人の事情などを含め)する未来の可能性を必ず把握し、適切にチームを動かして対応する。タスクを持つすべての人に対して、チームを動かして支えられるような体制を築く。これもチーム全体を把握しているリーダーにしかできません。逆にフォローする体制が築けていないと、タスクが終わらないだけではなく、終わらなかったタスクを振った人と振られた人の間で”互いに"不信感が生まれてしまう可能性があります。

 これができたうえで、モチベーションを保つ能力やチームを鼓舞する能力によってタスクの完成度に差が出る(100%が120%になるか否か)といった形だと思います。
 iGEMの期間中、メンバーのモチベに困ったことはないのでモチベを保つ能力や鼓舞する能力はあまり言語化できていません。チームスポーツで勝つ雰囲気を作るのは得意なので多少はできるのかもしれません。もしメンバーで大竹のこれらの能力について思うことがある人がいれば、純粋に教えてほしいです。

 あとは当たり前ですが、コミュニケーション能力と判断力は必要です。
 コミュニケーション能力は相手がどう思うかなので分析はできませんが…メンバーからの評価もいただいてみたいです。酷かったらごめんなさい。
 判断力は、最悪のケースを想定できる能力だと思います。これは経験値と密接にかかわりますが、経験がなかったとしても経験がある人と適切にコミュニケーションを行うことで獲得することができます。僕がiGEMを通して明らかに判断を誤ったのはwikiに関してのみだったと思います。原因は上にも書いたように経験者(担当者)とのコミュニケーション不足でした。多くのことは(形はどうあれ)ミニマムがあったうえでクオリティが上がっていきます。最悪のケースを想定できずに物事を進めると、理想を超えることは絶対にできません。

iGEMを終えて

 ここまでだいぶ長くなってしまいました。どの程度の人が読んでくださっているんですかね。駄文で長々とお目汚し失礼いたしました。冒頭に書いたら嫌味に聞こえてしまうのかもしれませんが、iGEMを終えての本音を書こうと思います。ここまで読んでくださった方であれば、なぜその考えに至ったかも伝わるのかと思います。
 僕にとって、iGEMは絶対的な敗北でした。一切理想を超えることができませんでした。事情はどうあれ、絶対に判断を誤ってはいけないwikiの作成で判断を誤ってしまいました。「wikiについて」の書き方だと軽く感じるかもしれませんが、wikiはプロジェクトの全様を伝える場所であり、wikiが300%の完成度でなければそれまで行ったすべての活動の評価が下がる/なくなります。冒頭に僕のリーダーとしての評価が60%くらいと書きましたが、実際はもっと低いです。チームが行った仕事を僕の判断ミスで、評価を下げ、実質的にやってないことにしてしまったものもあったと思います。本当に申し訳ないです。
 jamboree期間中の僕も理想とは程遠い存在でした。酷すぎるので理想と比べることもできません。

最後に

 最初に、僕の将来の夢は自分の研究所を持ち、最高のリーダーであり、最高の起業家であり、産業を作れる研究者であると書いたと思います。僕は野望の塊なので、もっと本音で書くと、Louis Pasteurを、Craig Venterを、Feng Zhangを、超える研究者になりたい、誰よりも優れたリーダーであり、誰よりも優れた起業家であり、研究者として分野を開拓し、絶対的な産業を作りたい。ずっとそう思ってます。
 Jamboreeが終わってから、1秒を惜しみ、1秒1秒次の行動は自分の将来の夢をかなえるための選択として正しいか、ずっと考えながら過ごしています。Jamboreeが終わってからまだそんなに時間が経ってませんが、この癖は一生続くと思います。
 理由はたくさんあります。Jamboree会場で出会った天才たちに負けたくないから、iGEMを通して自分に足りない能力をたくさん見つけられたから、wiki freezeの日の絶望感が常に頭をよぎるから、そしてなにより人生の縮図としてとらえたiGEMが絶対的な敗北で終わったから。人生の途中で負けることがあっても、死ぬときに同じ敗北感に包まれたくないです。凡人な僕はこのままだと敗北する未来しか見えないので、成長を止めてしまうことに対する恐怖もあります。ただ明確に判断して時間を過ごしているので、楽しくもあります。

〈次必要な能力〉
 Grand Prize winnerというチケットは非常に強力です。このチケットを持つ人しかできない動きが必ずあるので、来年はこのチケットを使って僕にしかできない動きをすることも考えました。ただ来年はひたすら受験勉強に集中することにしました。
 理由としては僕の将来の夢を考えたときに、分野を開拓するような研究ををする能力だけはiGEMを通して一切身につかなかったからです。これはiGEM関係なく、短期間で得られるものではないと思います。最先端の環境で、長期間鍛錬を続けて初めて得られる可能性が生まれるものだと思います。僕は0から1を作ることにとても価値を感じているので、それを行える研究者として、確固たる研究の土台を築きたいです。僕にとってそれを築くための世界で最も優れた環境は東京大学にある研究室でした。
 揺るがない信念を軸に堅固な土台を着実に築いていこうと思います。

最後に改めて、Japan-Unitedの活動に関わってくださたったすべての方に心より感謝を申し上げます。個人としてまた何か機会がございましたらどうぞよろしくお願いいたします。

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