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『Mommy』は映画として話にならない 和歌山カレー事件

和歌山カレー事件を題材としたドキュメンタリーの『Mommy』を観てきた。

風に語られる「容疑者宅のヒソとカレーに混ぜられたヒソの成分が違う」という客観証拠がある。が、どうも…それが実は未検証であり、よって推測の範囲内でしかない、とか、みたいな、ぶつぶつ…もうこの部分が「オイ!」と怒鳴りたくなるほど伝わりにくい。「小学生かおまえは!」というようなもじもじした言い方をしているので、観る前と観た後で何も変わらない。大体、容疑者宅から見つかったヒソと違う成分のヒソでも別の場所から取ってきたという可能性だってある。「冤罪ではないか」という立場から語っているので、その周辺的な事実(かつてヒソを使って保険金を騙し取ったこと)は認めつつ、事件については「グレーながら冤罪かもしれない」とグレーな上にもグレーを重ねた鬱陶しい語りに終始する。

もし私の耳にだけそんなふうに中途半端に伝わったのだとしても、それは私のせいではない。作品の甘さが問題で、人の映画体験の一回性に訴えかけてくるものがないのだ。

多くの人にとって刑事事件の冤罪なんて対岸の火事なので「本当には」何の興味もない。事件が大きく、メディアが増幅するから興味があるフリをしてしまうのだ。本当には誰もこの事に興味はなく、安全圏から嘘か本当か、興味があるフリをしているだけで、この映画の作り手もそれに過ぎない。もちろん私もそうだ。

とにかく映画として退屈なので話にならない。監督の功名心ばかりが目につく。ドキュメンタリーではないが事実を基にした名作(と言うのも憚られる、忌まわしくおぞましい「実際の出来事」)『トガニ』(2011年 韓国)を観よ。映画とはこういうものだ。観て、知れば、わかる。まさしく観る前と観た後で現実が変わった映画だ。

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