自分の存在が手元から離れそうな話

私の唯一の強みは客観視できる力だと思っている。
これは高校の先生にも「君は自分を客観視できる能力に長けている」と言われたことがあるくらいには信憑性があると思っている。

しかし、この下地には自己を認識できていないという障害がある。
私は自分の行動を外から俯瞰しているのではなく、外側から意図的に演出しているのである。
「このような行動をしたらこの評価を得られるな」とか「こういう言葉を使ったらこう思ってもらえるだろうな」など、私は自分の内から出る行動ではなく他者の評価を意識した立ち回りしかしていない。
つまり、自分を客観視など大層なことはしておらず、むしろ外からしか自分のことを認識できないのだ。

これが極まっていた時期は、私は自分のことを鏡で見て
「あ、今はこの人の中にいるんだよな」
と思ってしまったことがある。それほど私は私として生きておらず、あくまでこの体を使わせてもらっているXでしかなかった。

だが、そのXが近頃自分から消えかかっている。

今まではしなかったはずの行動やボロが目立つようになってきた。私は、外から見ていたはずの私を認識できなくなっている。じゃあ今までの生活は、人生は、私の生き方は間違いなのか。
自分をうまく認識できなかったクセにそこにアイデンティティを見出してしまった私は自己の存在に揺らぎが生じ、動揺している。

今、私はどこに向かっているのか。
何が好きなのか。
何が心地よいのか。

結局自分は、私は、何を大切にしているのか。

そもそも私がXなのか。自我が芽生えただけなのか。
人間とは皆こんなものなのか。

霧が晴れない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?