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ノート見せます。頭の中?

もしもこの世界に「時間」がなければ、私たちは3次元の檻の中に閉じ込められている。あなたや私がxyz座標空間の何処にいても、太陽や月は動かない。つまり、それは人間に「時間」という次元はなく、人間もショーウインドゥのマネキンのように止まったままということなのかもしれない。
1961年、手塚治虫の漫画で『ふしぎな少年』という時間を自由に止めたり動かしたりできる少年の物語があった。主人公サブタンは「時間よ止まれ」「時間よ動け」とコトバを発することで時間を止めたり動かしたりできる能力を与えられて、人々を危機から救ったり、犯罪を止めるなど活躍することができるようになる。テレビドラマ化もされたが、ほとんどが生放送だったため、サブタンの「時間よ止まれ」の合図で演技者が直前の動きをストップさせるポーズは、「ダルマさんがころんだ」ゲームみたいでウケたらしい。逆に、サブタンが時間を止めてワープする時、サブタン以外の人間の目には一瞬で視界から消えて、サブタンは別の場所に移動している。まるでスマホのスワイプでシーンが変わるように。
サブタンに時間を自由に操ることができる能力を与えたのは4次元の人間だったらしい???たぶん、4次元空間+時間1次元の世界からの侵入者だったのだろう。ちなみに4次元空間からの侵入者は鍵の掛かった箱の中でも栓をした瓶の中、はたまた人間の体内にも侵入できるのだそうだ。

それはともかくとして、

どの次元にも時間は存在する?あるいは、どの次元にも(時間と空間=)時空はある?

次元とは方向を表していて、0次元には方向がない。0次元の点が1次元の線になれば方向といっしょに時間が生まれると考えても良いと思うがどうなのだろう?物理学では、時間と空間は一体であり、ともに伸びたり縮んだりすると考えられているようだ。動いたり止まっているかによっても時間の進み方は違ってくるし、スカイツリーの最上階では少しだけ時間の進み方が早い。
しかし、そんなことはほとんどの人間にとって、どうでもいいことだ。仮に、サブタンに時間を止められていても、私たちはあたかも時間があったかのように振る舞うだろうし、自分自身が世界から切り離された時間をうまく繋ぎ合わせて行くに違いない。仮に、記憶の中で過去と現在のシーンが矛盾しても、人間はそれを「夢」だと認識するかもしれない。

さて、ここから本題に入る。あるいは、ステージⅡへ。

人間が日常的に時間を感じるのは、人間が自分自身を世界から切り離して物事を見ているせいだとすれば、人工知能やサイバネティクスはどうだろうか?

『ふしぎな少年』のリメークもおもしろいと思うが、サブタン(仮称)vs 人工知能のストーリーもおもしろい。 とか、

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