見出し画像

ハナレグミ

 昨日歯医者いった帰りに寄った本屋さんで手に取った「対岸の彼女」っていう本買っとけばよかったかな。なんか、まだ読んでない本が家にたくさんあるのにこれ買っても読まないんだろうな、と思って結局買わなかったけど、面白そうだったな。というわけで、おひさしぶりです。いつからか全く書かなくなったnoteですが、久々にそういう気分だったので書いてみます。

 最近高校の同級生とか、大学の同期とかがどんどん社会に出ていってる。営業でどんだけ数字をあげたとか、地方に飛ばされたけどそれはそれで楽しくやってるとか、新しい企画の重要なポジションを任されたとか、バイト先の社員になったとか、結婚するとかしないとか。あとはまあ、やりたいこと見つけて夢追ってるとか、そういうのをすごいたくさん聞く。ここにはポジティブなことメインで書いたけど、そうじゃないこともすごく聞く。けどそれだってさ、俺が聞いた限りは、“ジャンプするためにしゃがんでる”みたいな、なんかそういう感じだと思う。一方自分は、去年卒業するはずだった大学に、「オマエ卒業させません」って言われてしまいまして、就職するはずだった会社には、「内定取り消しだけど辞退っていうテイにしてね」って言われてしまいました。何年か前に、兄ちゃんが2留したときは、おいおい大丈夫かって思ったけど、まさか俺もするとはなー。そんなこんなでいまだに学生なんだけど、ジャンプするためにしゃがんでるみたいな感じだったらいいな。村上春樹も3留したしね。
 
 そういえば、3月末くらいに実家に帰らなくちゃいけない用事があって一週間くらい帰ったとき、中が少しリフォームされて外壁の色も変わってたけど、やっぱり実家好きだなあと思った。高校生のときの現代文の授業かなんかで先生が、「上京した娘が久しぶりに帰省してきて、一人暮らしの家に戻るときに、”帰るね”って言うのが寂しい」って言ってた(気がする)。これは、一人暮らしの家に戻ってしまうこと自体が悲しいって話じゃなくて、東京の家が自分の本当の家で、実家は久しぶりに訪れる場所っていう認識が潜在的に言葉から読み取れてしまうことが悲しいって話で。当時これを聞いたときは、薄情な娘だなぁと思ってたけど、いざ自分がその立場になったとき、意識しないと思わず、”帰る”って言っちゃうんだよね。だから、毎回心がけてる。たぶんうちの親はそんなの気にしないだろうけど。
 
 んで、実家の何がいいって、言語化できないんだけど、具体的な例を挙げるとすれば、今日の夜も着ようと思ってたパジャマのズボンが勝手に洗濯機にいれられてたり、お風呂の時間が勝手に決められたり。一人暮らしを始める前はうっとうしいなと思ってたことがなんかいいなと思うようになったのは、いろんな理由があると思う。来月には24歳になる自分は、世間的には”大人”として扱われる。だけど、中身は当時のままだし(当時がいつを指すのかは知りません。)、自分は年と見た目だけが成長して出来上がったこども大人みたいな感じだと思う。文章もこんな幼稚でいまだにちゃんと敬語も使えない。話し言葉・書き言葉とか、ら抜き言葉・い抜き言葉とか、そんなの知るか!とか言ってると、賢い人がいろいろ言ってくるけど、自分にとってこことラジオはそういう人を遮断したいわゆるなんでもありの秘密基地なので気にしません。だいぶ話がそれたけど、親からしたら息子も娘もおかまもおなべも全部いつまでたっても“こども”なんだね。あと、大人ぶってこの文章を「ははは、お前はいつまでこども気分でいるんだ。つべこべ言わずに早く社会に出て大人になれるように努力しろ。」とか思ってるそこのオマエ!俺らも“テメ―の子供が泣くまで一生こども”なんだよ!って誰かが言ってたよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?