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アミタヴ・ゴーシュ『飢えた潮』とベンガルの災害について

本作の舞台となるベンガルには、毎年のようにベンガル湾で発生するサイクロンが襲来します。ベンガルはほぼ全域が標高の低い沖積平野ですから、サイクロンがもたらす高潮は内陸深くまで遡り、大きな被害を引き起こします。中でも1970年のサイクロンは、推定犠牲者30万人の大災害となり、被害の大きかった当時東パキスタンでは、レスキューの遅れ・不十分な復興支援が一つのきっかけとなって西パキスタンの中央政府への不満が爆発し、翌年にはバングラデシュとして独立するに至りました。ほかにも、私の手元にある世界災害史の資料によると、1737年には巨大なサイクロンがカルカッタを直撃し、このときもまた推定30万人もの犠牲者が出たとされています。

 ベンガルの中でも、海への最前線に位置する低湿地帯シュンドルボンは特別に危険な土地であり続けてきました。『飢えた潮』でも、サイクロン・高潮の脅威は、物語の最初から最後まで一貫したテーマになっています。1737年のサイクロンについても、1970年のサイクロンについても、登場人物たちは語るべき物語を持っていました。
 一方、シュンドルボンがサイクロンへの最前線であるということは、その奥に位置するベンガル平原の中心部は、サイクロン・高潮の被害からシュンドルボンによって守られているということでもあります。インド洋沿岸各地で巨大な被害を出した2004年のスマトラ沖地震の大津波の被害がバングラデシュでは比較的軽微だったのは、シュンドルボンが防壁になったためでした。カルカッタが、海外との貿易のために築かれた都市なのに、なぜこんなに海から遠く離れた場所にあるのか。それには、防災上の理由があったわけです。しかし19世紀の後半、インドを支配するイギリス人の官僚集団は、より海に近いシュンドルボンに、カルカッタに取って代わる新たな港町を建設することを考えました。シュンドルボンの北辺に建設された新都カニングと、その計画に反対しつづけた技師ピディントン(彼は、「サイクロン」という言葉の生みの親でもあるそうです)の物語は、『飢えた潮』の中でも白眉の一節です。

 さて、以下は、『飢えた潮』から、シュンドルボンに長年暮らす老教師ニルマルが、知り合いの子供に高潮の脅威を教える一節です(一部改編):

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「でも先生、もうそんなことは二度と起こらないんでしょう?違うの、先生?」
「また起こる可能性がある、なんてものじゃない。必ずまた起こるんだ。嵐が来て、水位が上昇し、堤防は、部分的にせよ一切合切にせよ、崩れてしまう。問題は、それが何時起こるかということだけなんだ」
「でも、どうしてそんなことが分かるんですか、先生?」
「堤防をよく見てごらん。どれほど薄っぺらで脆いものなのか。その傍を流れる水が、どれほど無限の力を秘めているか。ただ、じっくり静かに時を待っているんだよ。見れば見るほど、遅かれ早かれ水が全てを飲み込むなんてことは疑いようもないことなんだ。だけど、もし目で見ても信じられないなら、耳を使わなきゃならないね」
「耳を?」
「さあ、顔を堤防につけて、耳を澄ませて聞いてごらん。何が聞こえるかい?これが何の音か、君には分かるかな?」

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 少年が聞き取ったものはなにか。シュンドルボンの村々を守る堤防の破壊活動に日々いそしんでいる不埒物はいったい何者なのか。続きはぜひ、本編をお楽しみに。

 世界唯一?の防災小説、アミタヴ・ゴーシュの『飢えた潮』、どうぞお楽しみに―

*ゴーシュの災害への関心の深さ・勉強量は、単なる小説の題材として勉強したなどという次元ではありません。ご興味のある方は、ぜひ、彼の評論『大いなる錯乱』(以文社、2022年)もご参考ください。


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