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番外その1 <旅日記 Nov.1995>


古い棚を整理していたら、いま(2016年)から20年余前の1995年、この旅を続けている最中につけていた日記や手紙の下書きが出てきました。

その中から使えそうなものだけ、紹介しましょう。

これは、チェコの首都プラハから、松阪市・内五曲町のレストラン「西洋肉料理 岡」(当時はビーハイブ)さんに宛てた手紙の下書きです。

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10月20日 プラハにて 

きょうは実に久しぶりに感動的な気分を味わっています。

何もかもがとにかく高いオーストリアから、チェコのプラハに入りました。列車で5時間の旅(すばらしいチェコの風景と、通過駅の周辺やすさんだプラットホームの様子を眺めながら)でした。パン1つとソーセージ、コーヒーで約700円の国から、ビーフステーキ(150グラム)とライス、トマトサラダ、ビール(アルコール度10%)を合わせて133・60チェコ・コルナ(約467円)で済む国への移動でした。

プラハの街を夕方6時ごろから歩いてみましたが、ほとんど真っ暗で、実に静かです。たまに開いているところは「スナック・バー」(日本の高級レストラン風にテーブルが配置されているが、ほとんどの客は食べ物はなしで、ビールだけ飲んでいる)か、ケーキ屋さん。ケーキ屋さんのプライスは実においしそうなチョコレートケーキが8チェコ・コルナ(約28円)という感じで、ああいい国に来たなあと思いました。結局、ビーフステーキなどの食事は、宿泊先のホテル(一泊1200円・朝食付き)で食べたのですが、これが実においしかったです。

もう長いこと食べていなかったライス、パサパサご飯ですが、くさみがまったくなくおいしい。ステーキには日本のハンバーグのように上に目玉焼きが載っていました。そして、トマトサラダは、オニオンとのドレッシングがさっぱりとおいしい。オーストリアのサラダは高くてうさんくさい味でした。

そして、ビール。1本45円(アルコール度10%で500ミリリットル)。さすが世界の本場。
15日間のオーストリア滞在中は、ほとんどプレーンのピザが700円、いわゆるミートソースのスパゲティが600〜800円、中華料理店のラーメンまがいスープ(まずい)が850円、チーズバーガーとコーヒーで600円という高さ。それで終盤はスーパーマーケットに行って果物やトマト、パン、アイスクリーム、ヨーグルトを買って食事にしていました。ウィーンでは毎日5000円、1万円が羽をつけて飛んで行きます。まるで、東京にいる感覚。

ヨーロッパ入り後、これまでオランダとオーストリアの2か国で過ごしてきただけですが、正直、飽きてしまいました。最初はアムステルダムの美しい町並み、オーストリアの郊外の美しい山々は湖が心地よかったですが、なにか絵はがきを見ているだけのようで、10日間もいると歩くのがしんどくなりました。

ところが、ここプラハには、ベトナムで味わった感動(高揚感)があるような気がします。

国際列車(ウィーン発、ベルリン行きで、プラハ下車)の車窓から見たチェコの駅のプラットホームにうつろにたたずむ人々、落書きだらけの貨車、暗く重くのしかかる雲、時折のぞく日差しが照らす大地(畑、森林、白樺並木、水の美しい川)を見ていると、「ああ、来た。いい写真が撮れそうだ」という気分になります。

さあ、あすはプラハの町並みをチェック。落ち着いたら、1914年6月にサラエボでセルビア人青年に暗殺され、第一次世界大戦の引き金となったオーストリア皇太子が住んでいたコノピシェ城(プラハ南西約30キロ)、15世紀に宗教改革者フスが処刑され、ボヘミア全土に宗教改革がわきおこることになるきっけをつくった町で、第二次世界大戦の被害を受けず、中世そのままの町並みが残されているというターブル(プラハの南約100キロ)、ピルゼンビール発祥の地・プルゼン、ベートーベン、モーツァルト、トルストイ、ゲーテが頻繁に通ったという温泉の街、カルロヴイ・ヴァリにて温泉保養をしよう。プラハから2、3時間で行けそうです。

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1996年2月29日に半年間の旅を終えて帰国、関空から夜8時すぎに松阪に到着すると、家に帰るより先に、リュックを担いだまま、ビーハイブ(現在の西洋肉料理 岡)さんに向かいました。わたしがげっそりと痩せている(出発前の体重は74㎏でしたが、帰国時は66㎏に)ことに驚かれた、今は亡きご主人(現シェフのお父さん)が、黒毛和牛の分厚いステーキをご馳走してくださったという思い出ともからんだ手紙です。

           てらこや新聞132-133号 2016年 05月 13日

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