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憧れの南仏プロヴァンス

もう随分前に、『南仏プロヴァンスの12か月』という本が日本でもベストセラーとなったことで、プロヴァンス地方は一気に有名になりました。この本が発行されたのは1989年ということですから、30年も前のことです。その本を読んでもいないわたしでもプロヴァンスという地方には惹かれたのですから、かなりブームになったということでしょう。

25年前にイタリアから南仏をめざしながら途中、ストであきらめたときはマルセイユへのあこがれからでした。貧乏旅行でしたからニースとかプロヴァンスとかは高そうなイメージしか持っていなくて、マルセイユに降りて港を見て海の香りのするブイヤーベースだけ食べたいと考えているだけでした。今回のように唯一、南仏だけが目当てで旅を考えたわたしが一番行きたいと考えたところが、いわゆる、プロヴァンス地方だったというわけです。

ここで、“いわゆる”とくくったのは、わたしが勝手にイメージを膨らませていたプロヴァンスは、小さな村々です。ところが、プロヴァンスというのは、アヴィニヨンやアルル、マルセイユといった大きな地域を含むものであることは旅の準備を始めるまで知りませんでした。わたしの抱くプロヴァンスは、リュベロンというエリアのようです。アヴィニヨンから約40キロぐらい東に向かった丘陵地帯です。旅行ガイドを調べると、鉄道はもちろん、村と村をつなぐようなバスもなさそうです。どうやって行こうかと考え、たまたまネットで見つけたVELTRAというサイトで、「美しい村ゴルド、ルシヨンとフォンテーヌ・ド・ヴォクリューズを巡る1日ツアー」に参加を申し込んでおきました。

日本でインターネットを使って海外での現地ツアーを申し込むのは初めてです。現地に行ってからツアーを探すということはあったのですが、今回はシーズンオフの12月30日ごろだったので、現地で見つからないかもしれないと思ったからです。

お天気いいね!

今回の旅行ではこのツアーを一番楽しみにしていました。
南フランスは、年間を通じて11月からの降水量が多いようなので、天気は一番気がかりでした。

朝、雨は降っていない。朝8時55分にアヴィニョン観光局前集合ということだ。宿泊しているブリストルホテルの斜め前。だいたい、そのような場所はさまざまなツアーの集合場所になっていてツアー名や旅行会社のプラカードを持った人が立っていて、それぞれのツアーごとにお客が群れをなして集まっているのかと思い、ネットで送られてきたお客様確認用のバウチャーをプリントアウトして持って待ったが、だれ一人いませんでした。

しばらくすると、わたしの前に止まったベンツから、日本人と思われる黒い服の女性が現れた。わたしを案内してくれるガイドさんだった。この日の客はわたし一人だということです。ガイド兼ドライバーは、アヴィニヨンの大学に留学以来、在仏年数は18年。この日向かうのは、フォンテーヌ・ド・ヴォクリューズとゴルド、セナンク(修道院)、ルシオン、ボニューという5つの村です。

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初めに訪れるのは、フォンテーヌ・ド・ヴォクリューズ。とても水が美しい泉から流れでいる川沿いを歩く景勝地だ。街を出てからここに到着するまでとても霧が濃く、10時ごろになっても霧が立ちこめていましたた。

が、いちばんのお目当てであるゴルドに行くころには何十㎞先もの丘陵が見渡せるほど晴れ渡っていた。気温15℃ぐらいあるおだやかな日になっていました。

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ゴルドは旅のガイドブックのグラビア写真そのものの風景を見ることができました。ラベンダーが有名なセナンク修道院はシーズンではありませんでしたが、ここで採れたハチミツやラベンダーの石けん、ハーブなどの商品を扱ったギフトショップはすべてこの場所で修道女たちがつくっているものだというのでハチミツが欲しかったのですが、荷物になるので買いませんでした。

お昼は、素朴なプロヴァンス料理

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お昼は、素朴なプロヴァンス料理(田舎料理)がおいしいルシオンの大衆的な食堂のデッキに出て食べることにした。3組しか入れない狭いデッキだけにアットホームな雰囲気。この日のお勧めメニューは、オリーブオイルで炒めたズッキーニなどの野菜中心のプロヴァンス料理で、赤のグラスワイン、食後のエスプレッソで21・5ユーロ(2,687円)。フランスに来てから唯一、納得できる食事だった。プロヴァンスワインはロゼが中心らしいが、赤ワインはさっぱりとしているのが特徴なのだという。実際、そう思ったし、とても飲みやすかったです。

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ボニューは、山頂の教会を中心に階段を下りながら石造りの家々が整っており、訪れた村の中でもっとも整然と調和がとれた洗練度の高い村だった。高台から朝訪れたゴルドの村を展望できました。






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