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ワシントンの街~アメリカ大統領選挙に思うこと。

Washingtonian

ニューヨークの人のことを「ニューヨーカー」と呼ぶことは多くても、ワシントンの人のことを「ワシントニアン(Washingtonian)」と呼ぶことはほとんどないと思います。

けれど、現地を訪れると、「Washingtonian」という新聞や月刊誌もあるなど、その地域に住む人々のことを指す言葉なんだなと思いました。

どの言葉にもそれぞれに響きがあります。
わたしは、「ワシントニアン」という言葉には、世界最強と言われる国の首都とその近郊に住む人でありながら、どこかおおらかで、知らない人に対しても思いやりのある、おとなを指す響きを感じました。ワシントンには、インテリで裕福な人が多いと思います。
もちろん、そうでない人も。

ワシントン・モニュメント

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テレビニュースではいつでも背景に登場するワシントンのシンボルとなる高さ169mの記念塔「ワシントン・モニュメント」があります。その中にはエレベーターがあり、最も高いところまで上がれます。
ホワイトハウスや連邦議会、リンカーン記念会堂など、市内を一望する見物客1人ひとりに、乗務についてた係のおじさんがこんなことを尋ねてきました。

「どれが一番好きか?」

見物客がそれぞれに答えると、今度は見物客の1人のおばさんがかれに問いました。

「あなたは?」

「Nothing(なにもない)」。

おじさんの返事を聞いた先ほどのおばさんは、「どれが好きかということではなく、すべて好きだということなんですね」。

「そう」。係のおじさんは満足そうに頷いていました。

失礼ながら、かれは高収入を得ているわけでも、社会的エリートでもないでしょう。

けれど、立派な「ワシントニアン」なのです。
この街が好きなのだから。
人々が互いに対して先鋭化してはならない。

共通する価値を大切にしてほしい。

わたしは、この街に代表される、この国の都市で騒乱が起きてほしくないと願いつつ、大統領選挙の開票を見守りました。

人々が、この国に生きる共通の価値を守る人々に戻ってほしい。それは、憎悪をいだくことではなく、互いに「イーコール(平等)であり、リスペクト」するという価値の回復です。


ワシントンという街は、どこの州にも属さない「特別区(D.C)」で、面積は177平方キロ。177平方キロといってもぴんとこないと思いますので、東京と比較してみます。
東京23区の合計は627.57平方キロメートル(ほぼ合併後の広大な松阪市=私の住んでいる三重県中央の市と同じサイズ)なので、3分の1弱のサイズ。
人口は約70万人です。地下鉄で20~30分も走れば近郊、すなわち、メリーランドやバージニアなど他の州ということになり、通勤距離で近い人々も、「ワシントニアン」ということになると思います。

街の様子は、人口密度がゆったりしているせいか、ピリピリとせず、人の歩く速度を含め、すべてが速いニューヨークと比べ、どことなくおっとりした雰囲気が漂います。
政府機関も多いのでお役人さんも多いはずですが、出合う人々もマイルドな気がしました。

そんなワシントンが好きです。

クルマで30分程度の郊外から首都に向かうトラック進入禁止のドライブウエイ(パークウエイ)は、果てしなく続く緑の森の中を走り、いきなり視界に入るのはポトマック川と、川向かいにある名門ジョージタウン大学で、ほどなくワシントン。

ポトマック川河口には、合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンの生家と農場が当時のまま保全され、公開されている。広い河口部の向こう岸の風景も、ジョージ・ワシントンが生きていた時代のように風景が保たれているということでした。

「自由の国」だからといって、ばんばんに規制が緩いのではなく、守るべき風景は守っていました。
そんな文化もあるだ。
そこに、アメリカという国の豊かさを感じました。

もちろん、郊外に巨大なショッピングモールが建ち、大規模な宅地開発が進み、山が切り開かれている風景を目の当たりにしますが、国民にとって価値あるとされる風景や自然の保全にはゆきとどいたものがあります。

人種の違いや貧富の差が歴然としていても、守るべき価値が共通していることにアメリカが保ってきた国民共通のアイデンティティというものがあるはずです。

それは失われてはならないことだと思います。

しかし、そのような共通する価値を引き裂いてきたのがトランプ大統領でなかったでしょうか。

もちろん、高学歴でインテリ、社会的地位も高くて裕福な住民と、さまざまな人種、貧困層も多く、貧富の差はより大きく、人種間の差別も先鋭化したという。その差を憎悪の感情に高ぶらせてきた4年間だったように思います。

なにが、「保守」であるということか。

保守層と、そうでない人がいる中で、アメリカにとってだれが保守層かというと、建国以来、大切に守ってきた価値をこれからも継承していきたいと考える人たちのことでしょう。

もともと、アメリカにあって、政権交代は、社会に奉仕する精神を持った個人個人の自由な経済的活動を求める自立した白人の保守層に基盤を置く共和党による「小さな政府」か、労働者や有色人種に支持層が多く雇用の確保や社会保障の充実を求める民主党支持層による「大きな政府」かの振り子の原理がはたらいていたといわれています。

一方、外交や軍事にあってはアメリカはアメリカであり、民主、共和いずれの政権であっても、対外的にはおこがましい行動をとってきたり、戦争(アメリカにあってはすべての戦争は「自衛権」の行使)を引き起こしてきた過去を持つだけに、従来、アメリカ国内の民主・共和の政権交代は所詮はコップの中の椅子とりゲームで対外政策にはそれほど大きな変更はなかったのが実際のところです。

しかし、トランプ大統領の4年間というのは、国内にあっては社会的階層の隔たりをより広げ、人種間の目に見えないのが建前の差別を顕在化させ、ヘイトを強めることに悪びれることはありませんでした。

けさのNHKラジオのニュース

わたしは、朝6時のNHKラジオのニュースをタイマーでセットしており、けさ聞いたラジオの第一声は「バイデン氏が当選確実になりました」というニュースでした。

そのニュースの中で印象深かったのは、
「イギリスに駐在するイランの大使もツイッターに投稿し、『ついに憎しみをまき散らすだけの男の政治生命が終わった。トランプは、イランを降伏させることはできなかった』と敵視政策を続けてきたトランプ政権の終わりを告げたと強調しました」というものでした。

バイデン新大統領は、国内にあっては「分断ではなく、結束」を、敵対してきた諸外国からも信頼とリスペクトを得る国家となれるよう、努力してほしいです。

世界がよい方向に転換していってほしいと思います。

穏やかな国際協調と、アメリカ国民の中に進んだ溝が徐々に埋めていくことを望んでいます。

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