郷土愛と三里塚
僕が三里塚を知ったのは、中学生のころに、宗田理の"ぼくらの南の島戦争"という小説を読んだことがきっかけだ。
”ぼくらの七日間戦争”の続編で七日間戦争は知っている人も多いと思う。
南の島に旅行に行った主人公(中学生)たちが島の住民とともにその島をリゾート開発しようとする建設会社と戦争をする話だ。
そこから、蜂の巣闘争や三里塚闘争などについて調べるようになった。スマホもパソコンも持ってなかった僕は、図書館でパソコンを借りて各建設反対運動の歴史とかをゆるーく調べていた記憶がある。
以下蜂の巣闘争と成田闘争の概要である。
”このダム建設に反対する住民は、室原知幸さんをリーダーに反対運動を起こしました。
昭和35年2月に法廷闘争に持ち込んでいましたが解決せず、その後下筌ダムサイト地点に、監視のための見張り小屋を設け、この建物を中心に次々と集会所・宿泊施設などを建設していきました。それが「蜂の巣城」です。
国がダムの実施計画を立てるにはどうしても早期に反対派の砦である「蜂の巣城」を陥落させる必要がありました。津江川中央までの開設作業は反対派の抵抗もなく、順調に進みましたが、35年6月10日、津江川中央から蜂の巣城岸までの橋梁仮説工事が開始された際には、反対派は作業員に水をかけ、作業ができない状態にして実力行使で抵抗しました。”
筑後川源流 森と水の情報館 蜂の巣城アーカイブズ(http://www.qsr.mlit.go.jp/toukan/public_html/hachi/hachi_01_02.html)より引用
”65年に米軍による北ベトナムへの北爆が開始される中、米軍のチャーター機の羽田空港の利用が増加し、新空港建設が本格化しました。しかし、日米安保条約による空域制限により内陸空港にせざるを得ず、千葉県北東部の農地を空港用地とすることになりました。
新空港建設計画は65年11月に千葉県富里村にいったん内定しましたが、激しい抗議で頓挫します。66年7月4日、佐藤内閣は千葉県成田市三里塚に新空港を建設すると突如閣議決定をします。その理由は御料牧場の国有地が残っていたことに加えて、貧しい開拓農民が多いので金を積めば買収できるだろうとみていたのです。”
三里塚芝山連合空港反対同盟 反対同盟の闘いの歴史(https://www.sanrizuka-doumei.jp/home02/about/hantaidoumei.html)から引用
当時、田舎の父親の実家で療養していた僕は田舎の人たちの郷土愛を感じた。氏社は神主の居ない小さな神社だったが、いつ行っても綺麗に清掃されている。
そんな故郷を「じゃあダム(空港)を建設するで出ていってください」なんて言われても、いくら金を積まれても嫌だし出ていかないだろう。お金をいくら積んでも一度割れた茶碗のように二度と故郷は元には戻らないのだから。
そして、当時の僕は三里塚や蜂の巣の運動を利己主義者、金儲け主義者から故郷を守るための運動だと見たわけだ。いまでもそう思っている。
都市に住んでる人たちが使うものなら都市に作るべきだろう。
行政代執行による土地収用もおかしくて、その土地に住んでる人がだめだと言ったらだめなのだ。
一年ほど前に福岡天神で石木ダム建設反対の運動をされている方がいた。
忘れていた、郷土愛というものを思い出させてくれた。
全国の建設反対運動
三里塚芝山連合空港反対同盟
HP:https://www.sanrizuka-doumei.jp/wp/
Twitter:https://twitter.com/sanrizukadoumei
石木川まもり隊 石木ダム建設絶対反対同盟
HP:http://ishikigawa.jp/
Twitter:https://twitter.com/saveishikigawa
リニア新幹線沿線住民ネットワーク
HP:http://www.nolineariida.sakura.ne.jp/ensen-network.html
吉野 令和4年7月3日
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