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あけまして。はじめまして。

大晦日だと言うのに風呂場のシンクでTシャツを漂白剤で浸け置き洗いしている。30分ほど経ったら洗濯機に移す。年跨ぎで洗濯機を回したくはないから、早く済ませよう。

おそらく昨晩作ったカレーうどんの汁が、どこをどう間違えたのか部屋干ししていた白Tにはねていたようだ。それ以外には考えられないような黄色い線と点々が、1日経ってすっかり乾いたTシャツの前の裾に「俺はここにいるぞ」と言わんばかりにはっきりしっかり染み付いていた。

見つけた時に吐いたため息は、今年一番深かったような気がする。
この1年でも深いため息は、何度も何度も吐いてきたはずなのに。

ハッと我に帰って大慌てでドラッグストアへ走る。閉店ギリギリセーフ。こんな時間まで開いていてくれてありがとう。
漂白剤ついでに食器洗い用のスポンジと歯磨き粉を買った。

帰り道の暗い緑道で、おそらく犬のフンを踏んだ。
暗くてよく見えなかったけれど、確実に地面の舗装でも点字ブロックでもない全く別の柔らかい感触が、確かにあった。おうふ。まじかよ。飼い主頼むわ。

愚痴と同時に大きく深いため息が口からこぼれ出た。
今年一番、深いため息だったと思う。
緑道の脇の剥き出しの土に大きく靴の裏を踏み込んで、グリグリと擦り付けた。これで取れていると良いのだけれど。

帰って来て玄関前で靴の裏を確認。土ともなんとも言えない汚れが、少し残っていた。

その場で靴を脱ぎドアを開ける。一番使い古したボロのタオルで拭き取った。タオルはそのままさっきのドラッグストアのビニール袋に入れて、階下の集積所のバケツに放り込んだ。

階段の昇り降りですっかり息が上がってしまった。

やっぱり厄年ってのは、あるんだと思う。
まさに本厄その年だった今年が、あと数時間で終わる。
もうこの際、コロナ禍をも全部厄年のせいにしてしまおうか。

今年に入って何度も何度もそう思った。実際そう思うことで幾分心は救われていたようにも思う。そう考えると厄年ってのも案外悪いものでもないような気さえしてくる。

役者の人たちは「役が付く」とゲンを担いで厄祓いには行かない人もいると言う。
自分は役者ではないから遠慮なく祓わせてもらった。
けれど本当にひどく停滞した一年だった。
メンタルも随分と削れてしまった。

苦手な人との会話やコミュニケーションが、より一層苦手になってしまった。

自分の置かれた現状を鑑みるに、そうも言っていられない状況であることは間違いないのだけれど。苦手なものもやらなきゃならないのは、分かってはいるんだ。

「一年の計は元旦にあり」なんて言葉が妙に頭の中に居座っている。

ピピピッとセットしていたタイマーが鳴る。シンクから浸け置きしたシャツを取り出して、洗濯機のスイッチを入れた。

どこまで書いたか。そうだった、一年の計は元旦にありだった。

前々から興味のあったnoteを、この機に始めてみようと思う。
毎週メルマガも書いているけれど、昔から文を書くのは嫌いじゃない。

思い付くまま気の向くままに、つらつらとあれこれ書いてみようと思う。
メルマガの方はブログに近い感覚がある。近況報告や日々の出来事が中心。

とは言えこっちも日々の心の変遷が中心にはなりそうだけれど。
違いはきっと書き進めるうちに勝手についてくると思う。
まずは始めてみる事だ。

どこに発表するでもない書き溜めた文章もあったりする。
気が向いたらアップしてみようと思う。
歌詞とは別の自由律の詩も。

そうこうしているうちにあと1時間足らずで年が変わる。

2022年。

ドラムの大岡源一郎とギター横内武将との3人で組んだバンド「LOST IN TIME」で世に出てから、6月で丸20年になる。
メンバーチェンジも何度もあったけれど、今もその看板を降ろさずどうにかこうにか歌い続けている。

アルバムごとのセルフレビューや制作時の思い出なんかを書くのも面白いかも知れない。面白いことなんてないかも知れない。想像は膨らむ。想像通りになることなんてほとんどないけれど。

とにもかくにも海北大輔のnote。2022年1月1日、始動します。

洗濯物を取り込んで、風呂に入る支度をしながらさっき買って来たスポンジをキッチンに卸した。

歯磨き粉がどこにも見当たらない。どうやらタオルと犬のアレと一緒に、袋の中のようだ。深く深く、ため息をついた。

今年最後のため息になるといいな、と思う。
来年ちょっとでも減れば、尚良い。

2021年12月31日23時過ぎ、自宅にて。

あけましておめでとう。ことしもよろしく。
適当に絵を描いてみた。がおー。


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