感動と日常

 昼間。殺処分0を目指す獣医師さんのドキュメンタリー番組の話題を聞き、少しツイートしました。
 本当はその番組を観てから意見を言うべきなのでしょうが、関東圏のみの放送で、他の道府県で観られるのはいつになるか分かりません。
 ですから、その番組が云々ではなく。獣医師ドキュメンタリーと呼ばれるものの傾向について少し書きたいと思います。

 動物が好きで、動物を救いたい。

 そういう気持ちで獣医師になる方は少なくないと思います。
 しかし、はっきり言ってTV番組が取り上げる”素晴らしい獣医師”には偏りがあるように見えます。

 人間相手の医師と違い、獣医師は殺すことも仕事のひとつです。

 よく「一生面倒が見れないなら、動物は、生き物は飼うべきではない」と言われます。
 私自身も言っています。
 度の過ぎた多頭飼い。自分の年齢を計算しない飼い主。そもそも動物とぬいぐるみの差を分かっていない人達。
 論外です。
 しかし、動物も人間と同じで長生きになれば病気をしやすくなり、費用がかかります。ものによってはとんでもない額が。

 必ず払えると言えますか?
 自分が飢えても、その動物のためのお金を払い続ける。そんなことができますか?

 そう突き詰めていくと、誰だって動物を飼う、一緒に暮らす資格はありません。この世界に絶対などないのです。
 現在の世界情勢を考えてください。
 どれだけのお金持ちでも、自分のことだけに精一杯になってしまう世界が容易に来るのです。

 あと数百万払えば一年治療を続け、その間の延命はできる。
 しかし、その数百万が払えない。払うお金がない。
 だからこれ以上苦しむ前に、安楽死をしてください。

 獣医師である同居人のお父様は、数えきれないほどそんな体験をしたそうです。
 それを行う獣医師を、そう決断した飼い主を責められますか?

 よく見る獣医師のドキュメンタリーは、自分の時間を削り、私財を投げうって動物のために尽くす。そういう方にスポットを当てたものが殆どです。
 その行為や志は素晴らしいと思います。

 ただ、考えてしまうのです。
 命を救い、命を絶つ。
 その現実に日々向き合っている多くの獣医師さんが抱える苦労や葛藤に、メディアが目を向ける日はこないのだろうと。

 地味ですからね。
 心から「素晴らしい」「感動した」と視聴者が思えるわけではないですからね。

 そういう意味では、命を踏み台にしたエンターテインメントなんです。


 同居人のお父様は、阪神淡路大震災のときに路頭に迷った動物の保護や救助、里親探しなどのボランティアにも参加していました。
 それは使命感もあったのでしょうが、動物が好きで、自分ができることはしたいという”原点”の思いからの行動のようでした。
 東日本大震災のときも、他の災害のときも、ボランティアで参加した多くの獣医師さんはたぶん同じ気持ちだったのではないでしょうか。


 動物愛護の啓蒙は素晴らしいことだと思います。
 だからこそ、エンターテインメントに偏らないで欲しい。

「感動した」
「素晴らしかった」

 軽々に言われると引っかかりを感じます。
 娯楽ではないんです。現実なんです。消費して終わりにしないでください。
 
 なにが正しくて、なにが最善か。
 答えはどこにも書いていません。
 だからこそ、自分で考えるしかない。
 目の前の命と向き合うしかない。
 獣医師でなくても、動物と暮らすなら。


 産業動物や野生動物、命という命。
 考え始めたらきりがありません。
 そして一番楽なのは考えないこと。興味を持たないことです。

 それでも呼吸をするように考えることをやめられない。
 模索し、動くことをやめられない。

 肉や野菜を食べ、動物治験を通った薬を飲み、”害”と分類した虫を殺し、私は今日を生きています。