見出し画像

他人は自分の成長のために存在するのではないから。

眠れなくて読みはじめた漫画の強引で雑な展開にイラっとして、ますます眠れなくなった。主人公の人間的成長だけが丁寧に作られていて、周囲の登場人物はちぐはぐだったり、断片的過ぎる切り取り方なの。主人公の成長ストーリーのためだけに生まれてきた存在のよう。

でも、こういう他者理解の仕方って珍しくないよね。世界をそのまま認知するのは難しい。そして、歪んだ認知と近視眼って近似的なんだわ。逆にいうと、あるがまま認知できると視界が広がって遠くまで見渡せる。すべての存在は関係しあってるから、ひとつ認知がずれると、遠くへ行くほどズレ幅が膨れ上がり、全景を見ることができなくなる。

先日、就活中の大学生と話をしたのだけど、どうすればやりたいことが見つかるのか、そしてうまく行くのか、みたいなことを聞かれていろいろ話しているうちに、調和とか、み旨のままにって言葉が浮かんだのだけど、うまく説明しきれなかった。

人のため、社会のために生きるべきだよ、みたいな意味ではなく、成功したいならなおさら、世界と自分の調和地点を探すしかないと思うよってことが言いたかったの。自己実現って一人じゃできなくて、他者がいる世界の中にしかないんだもん。志すこと、必死に頑張ることの上位に、調和地点を見極めること、があると思うの。だいたいの成功者は、他の人がまだ見つけていない、オリジナルの調和地点を見つけてるんだと思うの。

ということを、今度会ったら話してみようかなとおもったけど、やっぱやめた。わたしが話し足りないと思ってても、彼が次もこの話をしたいかどうかわからないもんね。なにより、彼が自分で考えてなにかを見つけるべきよね。

自分よりも若い人を見たら、すぐに答えらしき(あくまでらしき、ね)ことを言いたくなるおじさんおばさんは、大体じゃまなだけw 自分の思考の肯定感を得るために高説を垂れてはいけないと思うの。

では、そろそろ寝よう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?