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はじめまして

高橋康平と申します!
1994年9月13日生まれの現在(2020年4月で)25歳です。23歳で創業10年続く企業の2代目社長になりました。今回は初投稿で、私の自己紹介noteになります!では、いきます!

略歴

バドミントンで関東優勝や中学時代の中国へのバドミントン留学を経て、後の世界チャンピオン奥原との同期になった高校時代、創部50周年初のことを達成した大学時代。そして就活から起業し、23歳で創業10年続く企業の2代目社長になるまでの事業の苦労や失敗談をつらつらと書いてます!


小学生〜〜大学生編

<小学生編>
バドミントンを始めたきっかけは親の影響です。小学2年生からスタート。
4年生にシングルスで関東大会4位、5年生はなにを思ったのかダブルスで出場。埼玉県で1位、関東大会も1位。全国大会ではベスト16だったかな。そしてなぜか6年生では再びシングルスで出場。このときは関東大会4回戦敗退だった気がします。

<中学生編>
中学は公立に進学するもバドミントン留学でほぼ中国にいました。
現地の中国人に囲まれて1年半の共同生活。ゴキブリ精神はこの辺りで身につきました。

けっこう大変なこともあって、人攫いに会ったり、ビザが切れる直前にギリギリ帰国できたり、死○って中国語で言われて知らんふりしたり、中国現地で迎えがこずに3時間かけて到着したり、、、、中2にしては頑張った。笑

肝心のバドミントンの方はアドバイスも中国語だからそこまで伸びなかったです。笑
でも人生経験の意味ではとても貴重でした。親と祖父祖母に感謝です。


<高校生編>
高校は大宮東に進学。余談ですが、後に世界チャンピオンになる奥原希望と同期になります。最初の1年間ぐらいかな、一緒に練習してましたね。
(その後、彼女は海外遠征が多くなったみたいです。むちゃくちゃ気が強いですよ。ミニゲームでもじぶんが勝つまで付き合わされたりします。笑)

ぼくはといえば、この時は悪循環になってました。練習しては怪我をして、怪我したまま試合して、試合したら負けて、負けるから練習してって。

このループから抜け出せたのは稲盛和夫さんの「生き方」に出会ってからです。本当に誇張なく、本のまま生きてみました。しばらくするとあら不思議。勉学では学年1位、県大会でもシングル2位、団体2位などなど結果が出るようになったんです。

ぼくのバイブルです。みなさんもよかったらぜひ。超おすすめです。


<大学生編>
大学は東京経済大学に進学。強豪校ではないですが、エースとして1年生から試合に出させてもらいました。創部50周年初のことを達成できたりもしました。が、バドミントンではさして収穫はなかったな。


就活→起業編

<就活編>
最初はリクルートを志望してて。面白い会社やー!って思って。本を読み倒して、峰岸さんのインタビューとか読み倒して面接行きましたが!落ちました。まじでなんでこんなに好きなやつを落とすの!?って思いました。笑

その後、中小ベンチャー4社ぐらいから内定もらって最終的に、ネオキャリアさんに行こうと思ったら起業に誘われて。なにそれ面白そうってことで内定式後日に内定辞退して、起業しました。


<起業編>
と、言っても誘ってきたやつが鬱病になってしまい、結局1人でスタート。このとき旧友がフラフラしてたので誘って、その後2人でスタートしました。
ただの営業代理店ですけどね。プロダクトがあって資金調達〜〜とかじゃなくて。ひたすらテレアポしてました。思い返しても恥ずかしいレベルで。

毎日毎日、じぶんの器以上の水が上から降ってくる感じで、受け止められないんだけど必死でこぼさないようにするみたいな。伝わるかなーーーこれ。

起業してから3ヶ月後に(株)ちかなり代表の兵頭さんから執行役員営業部長就任への打診をいただきました。そのタイミングでじぶんの会社は一旦横へ。ちかなりの役員として0からスタートです。

※ちなみに(株)ちかなりは日本最大の合説情報のポータルサイトを運営してる企業です。
(株)ちかなり→ https://www.chikanari.co.jp/
合説どっとこむ→ https://www.gosetsu.com/


執行役員編

能力もなけりゃ、生え抜きでもない、さらには卒業3ヶ月の若造がいきなり役員やるわけですからね。それもぼくよりも10個以上歳上の方ばかり。周りの反発はありました。当たり前ですわ。ていうかじぶんで起こした会議を寝坊したりしてました。本当に最悪。

むちゃくちゃ反省してオフィスの掃除から始めました。
そこから周りの評価も落ち着きだした気がしている。結果的にみんな辞めてしまったのだけれど。。本当に力不足で申し訳なかったです。

このときの経験は今の糧になってて「人は感情の生き物なんだ」の前提の上でマネジメントするように心がけています。正論じゃ人は動かない

事業の方はというと、東京大阪で自社合説を開催するプロジェクトがブチ上がったのでそれに注力しました。これがね、けっこうね、タイトだったんです。

普通の企業じゃ「もう翌年度の予算なんて決まり切ってるよ!」って言われる1ヶ月前の10月ぐらいに動きだし。この時点で時すでに。。
しかも東京大阪で合計86回の開催予定(たしか!笑)
前回は6回ぐらいです。よく「やれます!」って言ったもんだなって。

1回10枠だったので860社の集客。複数回出展を考えても最低400社の誘致が必要です。ちかなりは就活生へのチャネルは強い分、自社クライアントはほぼ0に近かったのでクライアント開拓がむちゃくちゃ大変でした。

まぁプロジェクト1ヶ月目時点で、86回はムリ!ってなって、25回ぐらいかな?に落ち着きましたけどね。それでも多いんだけど。

それで代理店網を敷くために協力会社に依頼して。代理店に営業ロープレの研修会をしたりしました。そのほか学生集客やサイト構成をやったり。全力で駆け抜けました。

ただこの事業は結果的には8ヶ月で打ち止めになってしまいます。
利益率が悪かったんですわ。合説のテイストや想いのところで共感してもらえるクライアントが着き始めたのですが、トップ判断で打ち止めになりました。

10社50人の小規模合説。選考への意識度合いの高さがウリで2年目ぐらいは代理店網をもっと広げたり自社クライアントも増えるなーって思ってた矢先でもあったので悔しかったです。が結果が全てのビジネスで結果を出せなかった、じぶんの力不足です。


代表取締役編

2018年8月に打診され、9月に代表取締役に就任しました。
なぜ打診してくれたのかわかりません。兵頭さんに聞くと「社長人材だから」って言ってくれますが。。

代表就任時は南米に行ってました。笑(笑い事じゃない)

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(標高4,000m級のクスコの街並み)

就任と同時に大型案件の受注をしました。これが毎年数千万の利益になってて、12期(2018年9月~2019年8月)に関して言うと、作対売上総利益130%増を実現させる原動力になりました。(だから一応、仕事して行ったんだゾ!)

帰国してからは新規事業のバドミントンフィットネスクラブ「楽ミントン」に注力し始めます。物件の関係で大阪が1号店になったので大阪に2ヶ月間の下宿をしたりしました。

余談ですが、最近まで社員の離脱率が上がってしまった時期がありました。
2代目社長としてじぶんはどうすればいいだろうか?と悩んだ時期でもあります。みんなに力強く発信できていなかったので「この会社(=この人)どこにいくんだろ?」って部分がふにゃふにゃになって、不安や焦燥を作ってしまったんだと思います。

とにかく多方面でいろんな経験をさせてもらいました。

<余談:結婚編>
結論から言うと、1日に10回告白することを3ヶ月続けました。
結婚できたからいいものの一歩間違えればストーカーになってました。うん。中学からの幼馴染み?です。
酔っ払いながら電話して、告白。本当によく受けてくれたなぁと今でも思います。感謝です。
ついでにいうと仲間もこの方式で集めようと思っておりま。。。

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