市街劇「地獄の門」 演出ノート

市街劇「地獄の門」のテーマは、「(美術)史の語り直し」である。

まず、このテーマは昨年の市街劇「怒りの日」から連続していることを明記しておく。「怒りの日」では、近代以前のいわきの歴史へ遡り、そのなかで出会った「中座された歴史」を召喚することで、「ありえたかもしれない歴史」を描こうとした。被災地を舞台にした市街劇で、あえて現在ではなく過去、しかも近世、中世へと遡ったのは、おおよそ近代に起源が求められる震災後の諸問題の袋小路を、それ以前の「ありえたかもしれない歴史」の想像力によって相対化しようと考えたからだ。対して今回は、私たちにより近い、近現代(美術)史の「語り直し」を試みている。

まず、あなたたちを迎えるのは《photo sculpture 地獄の門》(井田大介)である。「憂の国」の入口としての地獄の門、つまり「怒りの日」では、袋中上人であったり、名僧徳一であったり、「死人田」であったりした、異界への入口。

しかし、それだけではない。井田による「地獄の門」は、世界中の観光客が撮影し、ネット上にアップロードしているロダンの地獄の門の写真を集めて3Dデータを作成し、3Dプリント(マシニング)によって複製されたものである。かつてロザリンド・クラウスが明晰に論じたように、まったくの未完成であったにもかかわらず、フランス国家によってロダンの死後に鋳造された複数の地獄の門は、美術におけるオリジナルとコピーをめぐる論争のなかで常に立ち返るべき参照点となっている。

そこに井田が付け加えたのは、情報技術を手にし、ネットワークを漂うイメージがあまりにも身近なものとなっている私たちにとって、ロダンの地獄の門はむしろ、それが本当は未完成であったこと、他なる形をとり得たこと、その可能性を無限にはらんでいたことを突きつける「マスターピース」にほかならない、ということである。世界中の観光客が、様々な場所で、思い思いに撮った写真から「鋳造」された不完全な地獄の門は、まさに生前のロダンのアトリエに置かれているかのように未完成で、これからいかようにも変貌しうるポテンシャルだけを体現しているようにすら見える。

「怒りの日」でも述べたように、わたしたちが「ありえたかもしれない歴史」を想像できるということは、その背後に歴史を、現実を複数化する力が存在するということである。井田は地獄の門を通じて、その力自体を可視化しようとする。私たちの「語り直し」は、この門を通り過ぎた先にある。


さて、相模原という郊外に拠点を構える若手アーティスト集団「パープルーム」は、「X会とパープルーム」と題したプロジェクトを立ち上げ、インスタレーション形式で会場の広範囲を占拠している。

「X会」とは、1913年に旧制磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)の学生たちが立ち上げた美術サークルであり、一般人やプロの作家も参加し、洋画家の若松光一郎や詩人の草野心平を輩出するなど、20世紀における日本の前衛芸術運動としてきわめて特異で重要なグループである。しかし、1941年11月の最後の展覧会以後、X会という名前は、日本現代美術史から急速に忘れ去られていった。

X会が重要な運動体であったことは間違いない。しかし、現在のいわきには、X会の人脈で育ったアーティストこそいるけれど、運動体としてのX会やその理念は途絶えてしまったと言わざるをえない。

そこでパープルームは、X会と自分たちを、芸術の運動体として「同一化」しようとする。大正から昭和初期にかけて、まさに前衛そのものであった抽象絵画を、プロアマ入り乱れた独自のコミュニティのなかで探求したX会と、2010年代において、自ら「パープルーム予備校」と名のり、ほとんど時代錯誤的にある種の抽象絵画を探求する白樺派的コミュニティであるパープルーム。このパフォーマンスはおそらく、半分はシリアスであり、半分は滑稽であるような、日本前衛美術史の「再演(語り直し)」であるだろう。

「地方に埋もれた知られざる芸術の歴史」など、調べれば掃いて捨てるほどある。しかし、それが単に、他にもありえた可能性として示されるだけでなく、現在の身体と作品によって「再演」されるならば、その表現は「リサーチ系」などというレッテルで処理されるべきではない。


パープルームにもまして広大な面積を占めるKOURYOUのインスタレーションは、彼女が昨年の「怒りの日」を見て着想を得た《キツネ事件簿》というウェブサイトについてのものである。

《キツネ事件簿》は、いわきに残る伝説や伝承、民話などを可能な限りリサーチし、場所や由来などを特定し、風景やイメージをたくさんのアーティストたちに描かせ、マッピングしたウェブサイトである。しかも、このサイトはいわゆる「ブラウザゲーム」になっていて、伝説のある場所をクリックしていくと、伝説のなかにどんどん入り込んでゆくという仕組みになっている。

《キツネ事件簿》というタイトルは、いわきの郷土史家・夏井芳徳が書いた『キツネ裁判』(2014)という短編小説から取っている。夏井の主著である『いわき伝説ノート』は、《キツネ事件簿》を作るための主要参考文献であるが、短編小説『キツネ裁判』は、現代に残るいわきの伝説をモチーフとして描いたフィクションである。KOURYOUはさらに、この『キツネ裁判』の続編として《キツネ事件簿》というウェブサイトをつくったのである。

つまり、KOURYOUは、ただアマチュア民俗学者としていわきの伝説を収集していたのではなく、現代と接続する物語として「語り直す」ことに腐心している。たとえば、《キツネ事件簿》のブラウザゲームとして興味深いところは、プレイヤーが「異間」「現実」「時間」という3つのレイヤーを移動する構造になっている点であり、あくまでも、現実との接点を保持しているということなのだ。

《キツネ事件簿》では、KOURYOUが描いた、伝説の舞台である幻想的ないわきの地図の傍らに、常に私たちが見慣れたGoogleMapが表示してある。KOURYOUは《キツネ事件簿》を通じて、私たちに染みついた現代の地図的想像力を全面的に書き換えようとしている。

それだけではない。この《キツネ事件簿》をもとにしたインスタレーションでは今度は、現代美術が、民俗学的想像力によって「語り直」されてしまっている。梅沢和木が、サエボーグが、藤城嘘が、後藤拓朗が、作品そのものはそれぞれの作風から大きな変化は無いにもかかわらず、あたかもKOURYOUが語る伝説たちに従属するかのように「語り直」される。それは非常に暴力的な「キュレーション」である一方で、既存の現代美術的解釈では、決して表面化することのなかった作品の可能性を示すことでもあるだろう。


さて、ひとまずは次の、岸井大輔の《龍燈祭文》で一区切りするべきだ。なぜなら、この作品は市街劇「地獄の門」の最後であると同時に、市街劇「小名浜竜宮」への導入でもあるからだ。

岸井がモチーフとしたのは、いわきに残る「伝説」である。「龍燈伝説」とは、いわきに古くからある「浦島伝説」のことである。いわきの「浦島伝説」は、昨年の「怒りの日」でも中心的モチーフとなっていたが(パルコキノシタ、冨樫達彦の作品、あるいは袋中上人と「ニライカナイ」の関係など)、今回はより詳細に、「龍燈伝説」として取り上げることになった。

一般的に知られる「浦島伝説」に比べて、「龍燈伝説」はきわめて奇妙な物語だ。浦島と乙姫が結婚し、ふたりは子どもを授かるが、乙姫は難産に苦しむ。そこで、いわき市平の西部にある閼伽井嶽薬師の力を借り、無事出産することができた。それからというもの、毎年、乙姫が火の玉となって夏井川を遡り、閼伽井嶽薬師までお礼参りに来る、というものだ。これをいわきでは「龍燈伝説」と呼ぶ。

まず、浦島と乙姫が結婚し、子どもまで授かるという話が現在まで残っているケースは非常にめずらしい。「浦島伝説」の原型である非常にエロティックな「亀比賣」の話は、時代を追うにつれて、徐々に去勢された未成熟な男性としての浦島(竜宮にいっても何もせず、母が心配だからといって帰ってきてしまう)を描くものに変わってしまう(詳しくは『ゲンロン1』掲載の拙稿参照)。その結果が現在の「浦島伝説」であるが、いわきの「龍燈伝説」では、浦島と乙姫が夫婦となり、子を授かり、さらに難産という苦難をも乗り越えるという、きわめて特異なパターンとなっている。河合隼雄の分析するように、現代に残る一般的な「浦島伝説」が、未成熟で決断できない日本人男性を象徴する寓話であるとしたら、「龍燈伝説」は、「ありえたかもしれない日本人像」としての寓話である。

岸井はさらに、この「龍燈伝説」を震災後の物語として「語り直す」。そして岸井が「語り直し」た「龍燈伝説」は、市街劇「小名浜竜宮」へ接続され、主にカオス*ラウンジメンバーによって引き継がれるのである。

このように、市街劇「地獄の門」は、それ全体が、「(美術)史の語り直し」であり、「再演」である。

あなたたちより一足先に、参加アーティストたちは地獄の門を通って、流竄した歴史たちのもとにたどり着いた。歴史を遡ることによって地獄の門をくぐり、「語り直し」、「再演」することによって、地獄の門を出る。その行為は、忘却という磁場から遠ざかるための数少ない手段でもある。忘却によって美術史に、精神史に入れられた亀裂、分断、断絶を、「語り直し」と「再演」によって再構築するのである。

さらにいえば、そのために新しい「芸術祭」のプラットフォームが必要だった。複数化された現実や歴史を示すならば、そしてそれを「語り直し」、「再演」するならば、カオス*ラウンジだけでなく、さまざまな、別個の想像力を必要とする。たとえどれだけ小規模であろうとも、この市街劇は「歴史」の構造をもたなければならない。そこで、「芸術祭」というプラットフォームを、カオス*ラウンジ流に書き換えることにしたのである。

もしこの試みが、「地域アート」に新たなモードを付け加えるだけにしかならないのであれば、即座に中断するだろう。しかしいまのところ私は、年に一回、お彼岸に、「地獄の門」が開き、「ありえたかもしれない(美術)史」がいわきに出現する、新芸術祭が、未遂の美術史として立ち上がる、そのヴィジョンを手放すつもりはない。


黒瀬陽平

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