コロナで変わってしまった夫婦の話

きっと100年後の現代社会の教科書にはコロナ以前以後という言葉が載るだろう。

中国から世界中に広がったこのウイルスはとてつもない感染力だった。花粉シーズン以外は誰もしていなかったマスクを当たり前のものとし手洗いを仕事以外でも意識することが当たり前になった。

人々の尊い命を奪うだけでは飽き足らずこのウイルスは当たり前の生活すら奪っていった。私たち夫婦もその当たり前の生活を奪われた人間だった。

コロナが全国的に大流行し観光業は大きな打撃を受けた。人が来ないのは当然ながら私が働いていた場所は今や御法度とされるホテルのビュッフェレストラン。
若い頃寝る間も惜しんでバイトをして稼いで海外に修行にまでいったのに私は呆気なくリストラされてしまった。

主人も同じように打撃を受けた業界に勤めていた。日本にくる海外観光客向けの仕事。現地案内やガイド業務。昔寝る間を惜しんでバイトをして貯めたお金で色んな国へ行ったらしい。英語だけでなく中国語や韓国語も日常会話は普通にできるハイスペックな人だった。国が海外からの入国を制限したことで主人の勤めていた会社は呆気なく倒産した。

私はホテルをクビになり一念発起して起業した。ホテルでパティシェとして働いていた私は移動販売者でケーキを売る仕事を始める。ありがたいことにコロナの影響で自治体からも支援がもらえ、貯金をそこまで切り崩さずに起業することができた。

コロナ禍で店舗での食事に気を使う人が増える中で色々な事にストレスが溜まりやすくなったのだろう。私がオフィス街に夕方車を停めるとあっという間に行列ができる事もよくあった。InstagramのようなSNSにも私の作った作品の投稿が並ぶのを見かける事も増えていった。
私はホテルで働いていた頃より収入は多くなった。

一方の主人はなかなか再就職が決まらなかった。外国語が話せると言ってもこの状況では必要とされるケースが非常に少ない。何より年齢もネックになっていた。ハローワークに通うのにも段々と嫌気がさしてきたのだろう。本人は秘密にしていたつもりだったのかもしれないがストレスで夜は入眠剤を飲まないと寝れない日々が続いていることを私は知っていた。

私の仕事が軌道に乗った事もあって主人に主夫として家にいてもらう事も何度か提案はした。しかし受け入れてもらえなかった。今までバリバリと仕事をこなしてそれなりにビジネスマンとしてのプライドもあったのだろう。時々言い合いになる事もあったがいつのまにかそれも無くなり私達夫婦はすっかり冷めきってしまった。私は朝早くから仕込みをしてオフィス街をまわり夕方ごろに家に着く。主人はそんな私と顔を合わしたくないのだろう。昼間は家にいるようだが夜はどこかに行って朝方まで帰ってこない事が多くなった。

そんな主人もようやく仕事が決まった。

私が始めた店の噂を聞いた昔の友達から連絡があったのだ。娘が私と同じようにパティシェを目指しておりコロナ収束後に留学を考えている。そんな相談を受けて外国語の勉強が必要だと考えた私は主人を家庭教師として雇ってもらえないかと提案したのだ。もちろん報酬は俗に言うお友達価格ではあったがお金より外国語の仕事にこだわっていた主人にとっては渡りに船だった。

これで冷め切った夫婦の関係もコロナの流行のように落ち着いていく。私はそう思っていた。

物事にはいつか終わりが来る。私達の生活を変えたあのウイルスも「ただの風邪」として処理されるのが決まった頃私達夫婦は離婚する事になった。

それまでの移動販売で稼いだ元手で郊外に店舗圏住宅をオープンさせたばかりの所だった。家庭教師としての役目を間も無く終える主人に海外向けのサイトを作ってもらい観光客を呼び込む戦略を立てていた矢先だった。冷凍で日本国内や海外へ配送するための特大の冷凍庫も高かったが購入した。あの移動販売車は私と同じようにコロナで就職がなかったホテル時代の後輩に任せていた。

でも主人を責めることは無かった。コロナ以降私達夫婦の関係はすれ違ったままだったしまがりなりにも就職が決まって生気を取り戻した主人を見るのは嬉しかった。それにコロナが終わればまた主人を必要とする会社も現れるだろう。そんな風に考えた。慰謝料を請求しない代わりにひとつだけ主人に条件を出した。

私は離婚を言い渡された翌日、店を休んで新しくできた自宅で主人と久々に2人で食事をした。今までのあれこれを埋めるかのようにたくさん話をした。お互い心細かった海外での生活。日本人同士で目があって2人で大はしゃぎしたあの頃の話。日本に帰ってきてから偶然再会してそこからあっという間に結婚したこと。いつまでも仲のいい夫婦でいたかったから子供は望まなかった事。そのほとんどがコロナ前の話ばかりだった。コロナ後の話はひとつだけ。

「離婚の理由」

翌日、私は寝ている主人を起こさないようにし新しくできたばかりの仕事場で朝早くから作業に入った。平日で来客は少なかったから移動販売の仕込みをさっさと終わらせて週末の準備に入る。ヘトヘトになって店から自宅に上がる。

その日主人はいなくなった。


私はテーブルに置きっぱなしになっていた主人の欄が書いてある離婚届に自分の欄も記入し、後輩に保証人をお願いして役所に提出した。

あれから5年の月日が流れた。私達の転機となったコロナは今となっては懐かしのネタとして扱われるようになっていた。

私の仕事は相変わらず順調でオープンしたお店は私1人では回らずバイトを何人か雇っていた。私は接客などはアルバイトの子に任せて商品開発や仕込みの時間に充てたり、雑誌やテレビなどの取材対応の時間に充てていた。

そんな忙しい最中にバイトの子が大学を卒業して辞める事になった。よく気が利くいい子だったから非常に残念だ。
私は急いで求人を出した。ありがたいことに面接の応募はたくさん来た。今日はそのうちの1人と面接をする。
事前にもらった履歴書の家族構成には子供が1人。今の時代珍しいことではないがどうやらシングルマザーらしい。
子供が小学生に上がるので接客だけでなくパティシェとして勉強したいと応募動機に書いてあった。

彼女はあと1時間もすれば来るだろう。まだ面接すらしていないが私は彼女を採用すると思う。

あの日いなくなってしまった主人も使う理由の無くなった巨大な冷凍庫で生気を取り戻すと思うから

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