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特に意味のない文章023

 さて、また始まったな特に意味のない文章が。最近だと人工的な知能がなんかすっごい絵をたくさん量産する時代になったとかどうとかで、色々法整備が間に合わず周囲の人々が錯乱しているようだ。個人的な見解ではあるが、自己顕示欲を満たすために自作発言をしている人達は、手段と目的が逆になってるタイプの人種なので、論理的な説明だとか、倫理的な話ではきっと止めないと思っている。それはもう、感情的な話だから。
 まあ、いいや、今日は何の話にしようか。そもそも見ている人は居るのか?一応居るようだが、こんな整然と並んだ狂気の塊を見ている人たちは、きっと、狂人なのだろう。と勝手に失礼な事を考えている。
 ということで、今回は雑談枠としよう。此処のところテーマが無いな、無いわけではないんだが、ややセンシティブな内容というか、変なのが湧いてきそうなので避けているともいう。ぼかして言うと、力石だとか、似非的なサイエントの話とか……書き起こしたい話は多いんだが……

 一応今回は似非的なサイエントよりの雑談をしようと思っている。

 皆は科学に対する理解というのは、どの程度あるのだろうか。例えばだが、物が落ちるのは地球に強い重力というものがあるからとか、飛行機が空を飛ぶのは揚力を受けてるからだとか、世の中のものは原子の組み合わせの分子できているとか……科学と一言でいっても大きな振れ幅がある。また、科学の理解度も同時に振れ幅があると思っている。
 例えば、植物ひとつをとっても、"光合成をしている奴" 程度の知識の人から"植物とは生物の中で自発的に移動する事が無い生命体で、一般的には葉緑体を持ち、光合成を行う種が多い。小型の物は地表に近くで育成し、地衣類と纏めることもある。大型なものは樹木と呼ばれる。シダ植物の様な原始的なものから、種子植物、特に被子植物といった、高度に進化したものも存在している。前述で一般的には葉緑体を持つとしているが、腐生植物の様な葉緑体を持たない種もわずかながら存在しており、その定義は極めて広い"の様に理解度の振れ幅は大きいと考えている。この理解度の差は、世界に対する解像度の差になると筆者は考えている。

 では、具体的に世界の解像度に違いがあるとどうなるのか、という話になってくると思う。

ぶっちゃけていうと、正直殆ど何も変わらない。

 そういった専門職に就くのであれば別だが、大体の人には何のかかわりもない話が殆どだ。雲が白い理由を知ったところで、別に今日の晩御飯が豪華になる訳ではないし、電気の特性を理解したことで、世界が平和になる訳でもない。基本的に知ったところで何の役にも立たないが、確実にひとつだけ役に立つことがある。

悪意ある人間に騙されなくなる。

 これはどういうことかというと、我々が住むこの世界の仕組みに対して正しい知識を持っていれば、荒唐無稽な話に対して騙されたり、惑わされたりすることが少なくなるという事だ。
 ただし、この正しい知識というものが中々に曲者で、この我々が住んでいる世界はまだまだ分かっていないことが多い。なので発見があるたびに正しい知識は変化する。これが騙す側からすると大変都合のいい特性になってしまっている。
 昨日まではAはAだったが、今日からはAはBになる。そういった出来事がしばしば起きるので、Aは実はCだったとか、Dなんだとか、拡大解釈したり、まったく別の事象と結びつける輩が発生する。こうなってくると段々考えたり、その真偽を確かめる事自体が面倒くさくなってくる。
 このタイミングでしめしめとやってくる奴らこそが、似非的なサイエンスを売りに来る奴らだ。奴らは不安を煽り、強迫観念にも似た感情を植え付け、あたかも唯一の問題回避方法として売り出してくる。

 科学関連を多少なりとも齧っていたり、造詣が有るものには伝わると思うのだが、結果というものは様々な出来事がそれぞれ干渉することで見えてくる情報である。なので一辺倒にこうだ!といった発言が基本的にできないものなのだと思う。例外は常にあるし、今後例外が起きないとも限らない。少なくとも今現在分かっている事はこういう事だと思う……みたいな歯切れの悪いものになりがちである。
 しかし、考えるのを止めたい人たちは分かりやすい答えが欲しい。歯切れの悪い説明よりも、言い切りを多用する方が耳障りが良く、それにより騙されやすくなるのだ。結果、正しい知識を誤った知識で上書きされてしまう人々が発生するのであった。

 前述していた”世界に対する解像度が高い方がいい”というのは、この誤った知識に触れた時、その情報に騙されやすいか否かは世界に対する解像度が大きく関わってくるからと筆者は考えている。
 世界の解像度が高いという事は、物事を多角的に捉え、正しいかどうかを判別する力が備わっていると言える。例えば、円柱は一方から見ると円だが、もう一方から見ると長方形に見える。これらの情報を統合すると、この物体は円柱である……と人は理解できる。
 解像度が低い人物というのは、長方形の視点か、円の視点しか存在していない状態といえる。これでは正しい形状を理解することは難しい。そういった人物に対して"これは長方形に見えているが、奥がすぼんでいて三角柱になってる"みたいな嘘をつけば、真偽を確かめるすべのない人は鵜呑みにしてしまうだろう。
 もし多角的な視野や知識を持つ人物ならば"別の視点では円が確認できたので、三角柱という意見には矛盾が存在する"結論に辿り着ける。故に知識は偏らせることなく、万遍なく広く得る事が重要だと筆者は思う。

 さて、長々と科学知識が云々とかって言ってきたが、何が言いたいかというと、ツイッター見てると面白いなぁとしばしば思うのであった。電波で体を壊すだとか、コラーゲンが云々だとか、外来種の放流、太陽光発電だの、なんというか、世の中の人というものは思っているよりも騙されやすいのかもしれない。

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