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競馬に興味を持った話(Vol.3 白井分場・競馬学校について)

前々回に美浦トレーニングセンターについて、前回に中山競馬場についての記事を寄稿させて頂いた。その中で、白井分場についての資料に触れ、白井分場(競馬学校)の成り立ちについても調べてみたいと思った。
競馬学校と言えば、あの武豊騎手も1987年に3期生としてこちらの競馬学校を卒業している。競馬ファンにとっては、未来のスターを創造する施設という感じではないだろうか。

白井分場は、かつて中山競馬場白井分場とも呼ばれ中山競馬場の分厩舎であった。昭和53年に美浦トレーニングセンターが開場するまで現役競走馬の調教が行われていた。白井分場の歴史を調べてみても、始まりに関する記述に乏しく、その成り立ちが不鮮明である。昭和37年の空撮写真を見ると、馬場の存在が確認できることから、中山競馬が盛り上がってきた昭和30年代初頭には設立されているのではないかと推測される。
先述したとおり、白井分場は昭和53年4月の美浦トレーニングセンター開場と共に中山競馬場の分厩舎としては廃止されたが、その跡地は、昭和54年に東京都世田谷区の馬事公苑の白井分苑となり中央競馬の騎手養成業務の一部が移転してきた。さらに昭和57年には騎手養成業務のすべてが移管され白井分苑は、競馬学校に改組された。

競馬学校というと通常は騎手育成という部分が注目される。武豊、池添謙一、藤田菜七子など名立たる有名騎手がこの競馬学校を卒業している。しかし、競馬学校の課程は騎手だけではない。競馬学校は、3年制の騎手課程と半年間の厩務員課程の2課程から成っている。厩務員という存在も競馬においては要職であり、厩務スタッフあってこそ騎手の活躍・競走馬の成長が成し得るのである。
その厩務員課程生徒入試が11月7日に行われる。
この試験に向けて、日々の仕事をこなしながらチャレンジする者がいる。決して簡単なものでは無い。そして、この日まで不安を感じない日は無かったと思う。厩舎スタッフは毎日馬を世話する仕事であり、馬に対する愛情や馬と接する喜びを常に感じられる人でなければ、続けていくことができない仕事だろう。
知らない世界を見せてくれた、その姿に私自身も勇気と元気をもらった。
そんな夢を追う人を私は応援する。

がんばれ!
きっと大丈夫。

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