小学校の頃に苦手だったこと

「九九」を無理やり覚えさせるという僕の小学生の頃の教育方法を、今の自分は否定しません。

それどころか、小学生の頃に「有無を言わせず」覚えさせる事が必要なこともあるのかと思います。

それが体の中に入っていることが、中学生・高校生になって基本的な素養として、あらためてそれをその時の自分の価値観によって勝ち付けるための、文化として伝承されてきた素材として重要だと思います。

例えば宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、あるいは谷川俊太郎の「かっぱ」でも。なんでも良いんです、暗誦できるものの大切さって、今はわかります。

が、ともかく、今も昔も覚えるのが苦手な僕が、今日、とある会話の中で、小学校の頃に苦手だったもの、というので思い出したのは、

・九九
・逆上がり
・給食

でした。

九九は小学校の2年生の頃でしょうか? 毎日の朝の時間に、何かの段が出来るようになった人が手を上げて、みんなの前で発表するっていうのを、当時の担任はやっていました。

2の段からスタートして、9の段へと向かうヒエラルキーがあったと思いますが、出来るようになった子から順番に手を挙げて、無事暗唱できると次の段に進めます。「なんとかの段も出来るようになったね^ ^」と褒められる子と、「まだなんとかの段も発表していない人も居ますよねー」的なネガティブなラベリングは、普通に横行していました。

僕は、覚えるのが苦手で、その上に、人前に立って何かやるのも苦手で(いずれも、今も苦手ですが)、この時間は苦痛でした。

それでも、そういう苦行のおかげで、自分は駄目な奴なんだ、という自己評価とともに、九九を覚えることは出来ました。もちろん、この暗算知識は、今も日常生活で活きています。否定的な自己評価と引き換えに、役に立つ技術を身に着けた、ということかと思います。

今、子どもたちに対して、自己評価を下げさせたまで覚えさせるべきことがあるか、と考えると、そんなものはないと思いますが、でも、ある時期に覚えておいたほうが後で絶対いいよって思うこともあります。なので、子供の自己評価を下げることなく、それを覚えさせられるようなことができればいいなと、思います。

さかあがりは、もともと体育全般が苦手だった自分にとっては、なかなか克服しがたいものでした。
思い出すと、小学生の2年生の頃だったか、もともと転校生で友達も少なかった自分の逆上がりの練習に母親が付き合ってくれていたようなことも会ったような気がします。
でも、無理。出来ないものは出来ないわけで…。

ところが、中学生の頃だったか、さかあがりは、突然出来るようになりました。腕に力もいらないし、確かに脚の振り上げのタイミングや、体の動かし方なのでしょうが、高校生の頃には、飛び上がらなければ手も届かないようん高い鉄棒に逆上がりで登れるようになったし、そこで、逆上がりの要領で、何回転もできるようになりました。
誰に教わったわけでもないのですが、おそらく体力がそれに見合う程度に備わってきたからだと思います。
今は体重がそれに見合わないほどに増加したために、かつて高校生の頃の一瞬にできたそんなことも、もちろん今は出来ません。

給食については、「うらみつらみ」ばかりです。
苦手な食べ物が多かった僕には、また、食がそれほど「太い」わけでもなかった自分には、「給食完食」というのは、僥倖ものでした。

ボソボソのパンをカレーに付けて、カレーの中の具材をボソボソのパンに載せて、それを添付の牛乳で流し込む、

そんなことが出来た日だけは「完食」でしたが、例えば、メインのおかずが竜田揚げ(ぼそぼそ)、付け合せのサラダも刻んで塩を降って絞ったような「さっぱり、あっさり」なサラダ、それにボソボソのコッペパン、スープのような液状のものは一切なし、あると言えば牛乳のみ、これでは「流し込む」事もできず、そうした給食の日には、クラスが「掃除の時間」になっても、教室の後ろに押し寄せられた椅子や机の中に混ざって、給食のトレイの上のボソボソのコッペパンやボソボソの竜田揚げやぼそぼその付け合せのサラダを前に、食べるまで帰らせない、をやられていました。清掃の埃が舞い立つ教室の後ろの方で、バツを与えられた僕は、しばしば、そうやって結局は食べられない給食を強いられ、最後には、残ったコッペパンを持って帰らされていました。

25歳頃のことだったと思います。
ある日、当時取っていた有機野菜の宅配に入っていたセロリを生でかじって、セロリが食べられるようになりました。それまで、絶対に食べられないものでした。その後、その有機野菜の宅配のではない、普通に近所のスーパーで売っているセロリも食べられるようになりました。
その頃から、かつての自分は別人だったのか、と思うくらいに、昔食べられなかったものが食べられるようになりました。
給食のボソボソのコッペパンっも、ぼそぼその竜田揚げも、汁気のなさすぎるサラダも、今思えばこんなものだったかしら、というようなそれを、兵器で食べられるようになりました
人の食の嗜好も、誰に言われることなく変わるのだな、と思いました。

「九九」のようなものは、覚える価値があると僕も思います。だからこそ、覚えるのが苦手な子供の自己評価が下がらないように、心配って教えることが親や教師には必要だなって、思います。

「逆上がり」のようなものは、どれだけ「運動神経」が無い人間でも、ある時期に出来るようになることも、体験しました。
たかが「逆上がり」で出来るか出来ないかで、その子供が自己評価を上げたり下げたりするような「体育会系」の評価は不要と思います。

「給食」についても同様です。
人はおそらく雑食で、何を食べていても生きられるのだと思います。何を食べること是とし、何を食べることを否とするのは、多分に文化に規定されていると思います。
ですが、少なくとも、食べる量で子供を評価するのはありえない、「完食」出来ないからって、ホコリまみれの清掃時間の教室の一角で、「残すな、全部食べろ」と強要するのは、既に虐待だと、思います。

いつか食べられるようになったりすることもあります。でも、それが、かつて、その子に行われた虐待を正当化することはありません。

僕は、小学生の頃に、

・九九
・逆上がり
・給食

が苦手でした。(加えて言えば、野球も、跳び箱も苦手でした。運動系が苦手だったのです。)そういうひとつひとつが自己評価を下げるために機能していました。

今はそういうことが「虐待」というカテゴリーで扱われるようになりました。その是非も問われる必要があるかもしれませんが、ともかく、食べたくないものを無理やり食べさせられる(食べられない人間は認めない)、所定の運動ができるまでやらせる(その運動ができない人間は認めない)、というような時代では、多分、今の日本はなくなったのだと思います。

そう期待したいと思います。

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