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アメリカ:カトリックのジャーナリスト、ベネディクト16世を「保守的でなかったばかりか、世界を切り開いた」と評する

USA: Catholic journalist says Benedict XVI "not only wasn't a conservative, but trumped the world"

2005年4月24日、サン・ピエトロ広場にて着座のミサを祝う教皇ベネディクト十六世
(Gregorio Borgia/AP)

「ベネディクト16世は、一般的な既成概念に反して、保守派ではなく、今日も世界の人々、特に無宗教者や無神論者を驚かせ続けている」と、カトリックジャーナリストのマシュー・ワルサー(カトリック文芸誌『The Lamp』の編集者、ワシントンDCのカトリック大学アメリカのヒューマン・エコロジー研究所の研究員)は、名誉教皇の葬儀の翌日、1月6日のニューヨーク・タイムズで述べた。

著者は序文で、昨年12月31日に亡くなった教皇について、特に四半世紀近く(1981年から2005年)教理院のトップを務めた時代から、彼に対する多くの固定観念があったことを思い起こさせた。当時、ヨハネ・パウロ2世の側で、『good cop, bad cop(良い警官と悪い警官)/友人と敵』の関係と評価された。このポーランド人教皇(ヨハネ・パウロ2世)が、その明るい性格と、特に世界各地を訪問した際の親切な対応で、ほとんどすべての人の賞賛を得た一方で、批評家は、ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿を『第二バチカン公会議以前の時代の遺物』として見ていた。

ワルサーによれば、「ある種の距離感を持った(故人の)話し方は、極めて保守的な人間、懐疑主義者、現代社会を理解することからほど遠い人間の言葉として受け取られることがあった」のだという。彼は『神のロットワイラー』と呼ばれた。[イタリア語で「パストーレ・テデスコ」、「ジャーマンシェパード」とも訳される。- KAI]

1990年代後半、シカゴのカトリック大学に留学していたポーランド人でドミニコ会のパウロ・ヤノチンスキー(現在、日本で宣教中)は、神学生が一緒に写真を撮るとき、伝統的な「チーズ!」という叫び声の代わりに、「ラッツィンガー」が連呼され、ほぼ全員が笑った。「誰もがそれを好んだわけではなく、私もそうではなかったが、それが当時のアメリカのカトリック大学の雰囲気だった」と後に回想した。

この問題についても、ワルサーは根本的に違う意見を持っている。神学者としてのベネディクト16世は、こうした風潮とは似ても似つかぬ存在であったという。「この1週間は、ピーター・ゼーヴァルドによるベネディクト16世の伝記を読み、もちろん彼自身の論文や著作も読んだ。そして、その中に、戦争の悲劇から立ち直った自国と、ライムで学んだ後の教会全体の復興への希望に満ちた、若くてロマンチックな神学教授を発見した」と、ニューヨーク・タイムズの記事で述べた。

彼は、ラッツィンガーの詩の文章を一つ引用して言った。「テラスの私のレモンの木が、2度目の熟した実をつるしている。たくさん咲いた花が豊穣を約束している。‐多くの意見に反して、ベネディクトは堅苦しい神学者ではなく、むしろ、S・キルケゴール、J・H・ニューマン、G・K・チェスタトンと共通点の多い、分類しがたい思想家である。これらの思想家は、当時の言葉を使いながら、同時に時代を超えて、人類の根本的な問題を伝えることができた。西洋のキリスト教の歴史において重要な役割を果たしたと、私は考えている」。

ベネディクト16世の『伝統主義』の典型の一つは、伝統的なトリエント・ミサに対する彼の態度とされている。この記事の著者は、彼自身が約10万人のアメリカのカトリック教徒とともに毎週この典礼に出席し、故教皇に感謝している事実を隠さない。「彼(ベネディクト)は最後まで、第二バチカン公会議、その典礼改革をはじめとする教会の変化の意義を疑わず、その意味さえも疑わなかった」とも指摘した。 しかし同時に、この新しいミサは残念ながら「あまり啓発的ではない」、「平凡でさえある」ということも感じていた。彼は、典礼の変化はゆっくりと、自然発生的に起こるべきだと考えていた。そして、常に典礼の新しさを求める人たちに反対していた。また、この新しいミサは時に、『宇宙的』な次元を欠くことがあると確信していた。‐『典礼についての考察』より

また、1960年代にアルフレド・オッタヴィアーニ枢機卿を中心とする教会伝統主義者が、まさに後の教皇が『新しい神学言語』を導入したのではないかと疑っていたことも想起に値する。エドムンド・フッサールやジャン=ポール・サルトルまでもが、前世紀の教父と同等の権威とみなされる世界、この新しい世界に、若きラッツィンガーは驚くほど馴染んでいた。そのような世の中で、『奇跡のメダイ』や『茶色のスカプラリオ』について語ることは面倒なことになった。そして、ここからもう一つの『ラッツィンガーの逆説』が生まれたと、ワルサーは指摘する。

彼によると、「多くの名誉教皇の崇拝者は、トリエント・ミサの自由化を感謝しているが、同時に復活の意味や地獄などのテーマに関する彼の著書や論文を読むと、ある種の戸惑いを感じる」という。例えば、多くの批評家は、1968年の『キリスト教入門』を、革命的精神へのラッツィンガーの反撃と考えている。あるいは『終末論』において、彼は、地獄を「それは、現実で破滅的な孤独であり、愛の及ばないところ、必ずしも火と硫黄の場所ではないが、それでもイエスが明確に、はっきりと示して教えたもの」として描写したことなどを、著者は回想している。

ベネディクト16世のもう一つの逆説は、彼の作品という偉大な贈り物の最大の受取人が...未信者であるということかもしれない。2011年の世界平和の日で、彼は、おもに、『無宗教者、その他の困難と闘う者、求道者に向けたメッセージ』を発表した。逆説的ではあるが、「このような彼らの姿勢が、信者の信仰を浄化することができる。そして、真の神は、このようにして、すべての人々にとって、より『身近な存在』となることができる」と賞賛している。著者はこのような無宗教者に、ラッツィンガーによる創世記に関する小著を勧めている。小著で彼は、「世界の根源的な混沌(カオス)は、竜(ドラゴン)の体に似ている。そして、この世界の一員である人間も、残念ながら、その竜(ドラゴン)血を引いている」と書いている。

しかし同時に、ベネディクトには、信者が宝物として持っているものを、信者でない兄弟姉妹たちと共有しなければならないことが、明らかだった。「そう、私たちは皆、この古代の混沌(カオス)の子供たちだ。しかし、それよりも偉大なものがある。私たちの弱さにもかかわらず、私たちの中心には、その賜物によって認識することのできる神がおられる。それは、愛するだけでなく、愛そのものである神だ」と、当時の教皇(ベネディクト)は述べた。

記事の冒頭で、ワルサーは、英国の詩人ウィスタン・H・オーデン(1907-73)による、亡き友人で同じく詩人のW・B・イェイツについての詩、「死人の言葉は生者の内面を変える」(The words of a dead man are modified in the guts of the living)を引用した。「そして、同じことがおそらくベネディクト16世の豊かな遺産にも当てはまる。まだ、さらなる発見が待たれている」と特筆した。

o. jj (KAI Tokyo) / New York

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