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伝統音楽の認識論

はじめに

初投稿記事です〜
こんにちは、福島カイといいます。普段アイルランド伝統音楽を嗜んでいて楽器はフィドル🎻、ギター🎸、バンジョー🪕なんかを弾きます(なんか微妙なスタンプしかなかった笑)

Twitterで哲学∧プログラミング∧アイリッシュなんてプロフィールにしてるので、そろそろそこら辺組み合わせて面白い記事でも書けないかなと思ってnote始めました

寝れなくて暇だから書いてる記事なので、あまり精密な議論にはならないと思いますがお気軽に読んでいただけると嬉しいです♪
特に誰かを攻撃するようなことも書かないので、ご心配なく笑

ただ、今回の考えは僕がTrad Onというアイルランド伝統音楽のサイトを作るにも至った考えなので、意外と重要かもしれません笑

伝統音楽ってなに?

僕がやってるのはアイルランド伝統音楽っていうジャンルの音楽なんですが、「伝統」ってことを重視する人はとても多いんですね
多くのアイルランド伝統音楽愛好家やミュージシャンにとって、演奏やミュージシャンが伝統的かそうでないかというのはとても大切でTwitterなんかではときどき熱い議論が勃発しています()

でも、ここで一つ疑問が浮かぶわけです。
「伝統音楽ってなんぞや」
もちろん、それ自体の意味は「昔から引き継がれてきた〜」とかそういう意味なんでしょうが、僕たちって伝統音楽や伝統的演奏ってことについてどこまで知ってるんでしょう?

まず僕が最初に主張したいことは「伝統音楽」は存在しないということです。あ、言いすぎたかも。ちゃんと説明します笑
例えば!あるアイルランド音楽初心者A君が質問してきたとします
A「アイルランドの伝統音楽って何??」
アイルランド伝統音楽のことを「よく知っている」B君はどう答えるでしょうか
B「アイルランドの島国で主にダンスチューンをフィドルとかホイッスルとかで演奏する音楽かな」
A「へぇ〜そしたら、伝統音楽なんだ〜」
B「(いやそれだと認めたくないのもあるし、、)アコースティックで泥臭い感じで、」
A「泥臭いと伝統音楽なんだね」
B「(いや泥臭いだけだとちょっと違うのもいるし、、)ちゃんと伝統音楽への敬意が支払われてて」
A「その敬意の対象のことを今聞いてるんだけど」
B「(、、)アイルランド本国で伝統的って認められてて、、」
A「君は日本にいるのに演奏が本国で認められてるか知ってるの?あと本国に認知されてない演奏は伝統的じゃないの?」
B「Michael Coleman聞け💢💢💢(ブチギレ)」
あーあ、ソクラテスばりのうざい問答をされたのでB君は怒ってしまいました。
ここで問題だったのは、B君は伝統音楽の存在を信じていたことです

普遍概念の存在

まずは当たり前の話から始めましょう
普遍的な「犬」って実在しませんよね。僕たちが飼ってるポチとかシロとかはいても、「犬」って生き物は現実にはいません。
関係ないですが、下は実家の犬です(かわいい)

それだけでなく、「犬」を想像してくださいって言ったとしたら、こんなの🐕とかこんなの🐩を想像するんでしょうけど、それって既に具体的な犬であって普遍性を失ってしまっているわけです
このようにどんな普遍概念に関しても具体性を全て捨象して現実や想像に存在することはできないと考えられます。

もちろん同じことが伝統音楽にも言えて、私たちは例えばMichael ColemanとかJackie DalyとかMatt Molloyとかそれぞれのミュージシャンや演奏を提示することはできても、伝統音楽それ自体は一切提示も想像することもできません
さらに「犬」などと比較して、文化は科学的定義が極めて難しいということがあります。「犬」であれば最終的にはその普遍概念に対する科学的定義を信じて概念の存在を信じることは可能ですが、伝統音楽に関しては普遍概念が科学的に定義されていないのでそれも難しいでしょう。
では、まじで伝統音楽ってなんぞや、と

伝統音楽の認識論へ

結論、伝統音楽って個人の認識でしかないと思うんです。
つまり、「John Cartyの演奏は伝統的だ」とかっていうふうに、個々の演奏に対する言語認識によって生まれた概念です
(個々の演奏が存在しているかは独我論の議論なのでここでは飛ばします)
じゃあ、「伝統音楽」の定義は?と言われれば、それぞれの伝統的な音楽と認識された演奏の集合体としか言えません。新しく伝統的な音楽が認識されれば、その枠組みとしての「伝統音楽」も変化しますので、時代によって「伝統音楽」は大きく異なります
それだとまるで無限ループのような気もしますが、文化形成には人間の経験的感性が大きく貢献します
私たちは既に伝統的と言われている演奏を聞くことで、いわばディープラーニングのように伝統的という経験的感性を養っていき、その結果新しく聞く演奏に対してもその演奏が伝統的かどうかという判断を下すことができるのです
もちろん、その経験的感性を共有することはなかなか難しいので、現実、伝統的という認識には個人間、特に経験の差や地域の差で大きなズレが生じています

なんにしろその経験的感性を養い、「伝統的」ということを理解するためには、これまでの個々の伝統音楽をたくさん聞き、その人たちの醸し出す雰囲気やその人たちの持つ技法を知るしかないと思われます。B君の「Michael Colemanを聞け💢💢💢」は正しかったんですね笑
実はTrad Onを作ったのもそういう手助けをしたいという思いがありました。技法の部分で伝統音楽を理解するためにはやはりプレイヤーでないとなかなか難しいし、そこがわからないと伝統音楽の面白さも分かりにくいので、伝統音楽の道をスタートできないんですよね
伝統的なものを知るために、最初からJohn Cartyを聞いてもその伝統的な良さを理解するのは難しいと考えたので、ひとまず入り口としてのTrad Onが必要だと発起しました。(Trad OnのTradは伝統という意味です、意外と気づかない人が多かったです笑)
地力で聞いて学ぶだけで習得できる人はほとんどいないでしょうし、やはりある程度教わるというのは必要だと思いますね
何はともあれ、伝えたかったのは「伝統音楽というのは経験的感性によって養われる認識のカテゴリーである」ということです
みなさんはどう思いますか?

おわり

今回の話は以上になります😃
割と面白い話が書けたと思うのでフォローやシェアなど歓迎です笑 リプなどいただければ、言葉遣いが乱暴な方でない限り返信します
また思うことあれば記事にします

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