フェミニズムとの出会いと戦い

私がフェミニズのようなものを意識したのは大学生の頃でした。

当時選択科目にジェンダー学があり、面白いと感じた私はすぐに受講しました。講義は大人気で満席だったのを今でも覚えています。

ジェンダー学とは社会における性別の分析や検証、推測などを行う学問です。当時私が受講した際も生徒の割合は女性がおおく、ジェンダー学がフェミニズムとしての期待を受けていることが今ならわかります。


実際に学んだ内容。

結論から言うと、ジェンダー学はぼくの受講した内容に関してフェミニスムのような思想は全くありませんでした。男女平等や女性優位な思想は本当にありませんでした。

あくまで講義の範囲ではWW2前のアメリカをモデルとし、当時の性別の役割について勉強しました。

例えば戦時中の後期、明らかな男性不足により市場経済は慢性的な人手不足でした。野球も整備士も女性が主役で、広告も様々な分野の女性が作業服やユニフォームを付けたもの起用されました。

戦後は大量の男性が帰国したため、政府も公共事業などで男性の雇用を促進しました。これは当然の話で、そのまま市場に男性があふれかえる前に、いったん受け皿を作り緩やかな安定を図ったからです。多少の混乱はあったでしょうが、経済は男性人的資源を主流に、戦前の姿を取り戻していきました。そして性別に求める役割も徐々に現代の姿に近づいていきました。


ぼくがいまでも助けられているのは、性別の役割についての考え方です。

性別の役割は社会が必要とした需要です。それを供給るのは私たちです。時に社会は役割の合致する者を優先的に取り込もうとします。それが顕著に表れたものが性別による差として体感できます。

男性に求めるもの、女性に求めるもの、社会はその時代にあった姿で無自覚に性別の役割を求めています。

ジェンダー学(筆者の学んだ)に善悪論はありません。民主主義や資本主義、社会主義が求めるままに全体の都合を優先した結果だけがあります。

そしてそれは現在も過去も連綿と続いていて、皆さんが無意識や意識的に感じることのできる性差としての違和感です。

結論するとジェンダーロール(性別による役割)は時代や経済の変化に伴い影響を受けています。そこに善悪論はありません。



現在のフェミニズムについて。

私は大学卒業後、10年以上たってフェミニズムについて触れる機会がまたやってきました。

理由はあまり良いものではありませんでした。それはツイッターにて自称フェミニストたちによるサブカルチャーの規制運動がきっかけでした。

私はそこそこのオタクですから、彼ら彼女らが規制したがるものにどっぷり浸かっていました。

ジェンダー学は前述したとおり、社会が求める性別について分析し研究する学問です。それは役割に見合った対価がきちんと支払われ、性差の差別につながっていないのか確認するのに十分な方法論でもありました。

しかしツイッターで叫んでいる自称フェミニズに、そのような理性的な方はあまり見かけませんでした。9割は(筆者の体感)ご自身の経験則のみで語る性差についての善悪論。ぼくが親しんだフェミニズムはかけらも存在しませんでした。

大変驚いたことに、何らかの研究論文の引用すら全くありませんでした。

考えてもみてください。現在社会ですでに認知されている一大産業を規制するのに、ろくな研究論文の引用もなくお気持ちのみで文句を言う人たちを。

とても恐ろしい欺瞞です。魔女狩りと大して変わりません。


そのため、私はたびたびそういった自称フェミニストにたてついては議論をしブロックされました。これからも議論をしてはブロックされると思います。それでも私はこの行為をやめないでしょう。

結局私の中のフェミニズムはツイッターの自称フェミニストとは大きく違っています。

実際に生きている女性が、社会からどのように必要とされているのか。そしてきちんとした対価は払われているのか。性別によってそれに不平等はないのか。時に男性もきちんとした役割が与えられているのか?

善悪論を抜きにした考察をしていければと思っています。


個人のお気持ちだけで誰かの自由を奪うのがフェミニズムニではありません。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?