「INTJ」という単語にたった今、何処か救われた話

世間一般で見受けられる"自分語り"というものに関しては読むのは好きなものの、自分が記すのは幾ばくか"アレ"ではないかと思い続けていた。

流石にこれでは”アレ”なので、もう少しだけ真面目に書こう。

自分は"自分語りを自分が行う事"に関しては消極的な態度を取ってきていた。だが、このNoteという自由気儘にチラシの裏側として記載できる機会を過去の自分が生んでしまった。ならば、「一度ならば一生の恥ではなかろう、臭い物に蓋をする程度だ。一度くらいはやってもいいんじゃないか」……などと何処か思い始めていた。

そして、つい十数分前まで素麺を啜りながら何とはなしに趣味で調べたことが心に留まっているのだ。隣には読まなければならない資料の束が大量にあるのだが――精々小さな風呂が沸くまでの間の暇つぶしにはなるだろうとも――このタイミングを逃したら一生やらないだろうとも思い、こうしてタイピングをし始めた。


さて、冒頭のINTJという単語に関して。そもそもこの言葉とは一体何なのか。昨今で言うゲームのステータスに用いられるようなINTとは無関係である。

今回自分が用いるINTJの定義としては、ユング心理学での性格分類の一つである。「ユング心理学」といっても正確にはユングが提唱に基づいて後の学者が発展させたものだ。俗に言う性格診断の中でも最もグローバルに使用されているのがMBTIであり、このMBTIはユング心理学に基づいている。

個々人の特徴を4次元的に分類して、当てはめていくわけだ。ざっくり表すと以下のようになる(らしい)

・エネルギーの方向(内向的・I か 外交的・E)

・情報の取り入れ方(直感的・N か 感覚的・F)

・思考の方向性(感情型・F か 思考型・T)

・生活の仕方(柔軟・P か 規律・J)

パターンとしては見ての通りに2の4乗の16しかない。古来より人が生まれてから今に至るまでの世界の累積人口は1000億を超えているのに、たかだか16パターンのみで当て嵌められるのか等と思う気持ちも自分にも何処かある。


だが、やはり学者というのは恐ろしいなと思ったのが、緑茶を飲みながら上のサイトでの診断を終えた直後に出てきたページであった。

>この上なく孤独、そして最も希少で戦略に長けている性格タイプのひとつで、建築家型の人達自身、これをすべて痛いほど感じています


自己陶酔だとか思い込みの強さでもないかとも言われそうだが、この冒頭の1文だけで愕然としてしまった。


幼少期から何処かしら孤独であると感じ続けていたのは自分だけではなかったのかと。それこそ1000億人もいるのならば当たり前といえば当たり前ではあるが、孤独と思い続けていたのは自分だけではないのだと。


その後の文章を読んでみれば恐ろしい程に「自分の半生」が記されていた。


幼い頃からずっと本の虫であり、それについて馬鹿みたいな小さなプライドを持っている。

合理性よりも理論性を求めてはいるのが一番であるのは事実が、それでも何処か論理を上回って合理的であってほしいと思う気持ち。

エンターテイメント作品に限らず生活で触れたあらゆる”システム”を自分なりにバラバラにしてやりたいという衝動。

自己の人生を客観的めいた巨大なチェス盤めいて捉える思考


これらは紛れもなく自分の人生だったんだと、素麺を飲み込みながら噛み締めた。無論、この診断は本家MBTIを模倣したものであるが、少なくとも自分にとっては「当たっている」のには違いなかった。

初めにも述べたがMBTIは知名度が高い。当然ながら多種多様なサイトがこのインターネットには散らばっている。INTJと入力しただけで、数分足らずで類似した内容が出てきたが、余りにも心当たりがある内容で苦笑いをしてしまった。

そして、ふと何処かしら心が軽くなった。

なんだ、自己も所詮このように体系立てて纏められるような型の一つでもあったんだと。

これらの項目は自分の中では本当に忌み嫌いながらも治せない箇所もあり、どうしたものかとごくたまに思っていた。だが、このように「所詮は16パターンの内の1つだ」という風に言われると、「そうか、これも良くある体系の一つだったんだ。それなら、仕方ないな」と欠片もなかった自己肯定感に少しは響いた感じがした。そもそもにして、「INTJ」である自分には筋が通っている論理に基づいた結果には弱いのも当然の帰結だ。

それと軽く調べたがINTJという性格は最も人口が少なく、全般的に――特に女性からは――敬遠されることも多いと書かれており、当事者である自分にとっても何処か分からなくもない。


―――でも、いいじゃないか。INTJという単語。この16パターンの中でも特段に中二病的で。

だって、INTJの最初の3文字はそれこそ「Intelligence」が由来するような「INT」にも思える。そう考えたら、〆のJは「Justice」の頭文字のようにも捉えられる。

だから、うん、実に「自分」らしいし、これで良いじゃないか。それに何よりも、この世で一番レアな性格というのが心を擽るだろう?


そんなふうに何処か救わて心が軽くなったと思ったので、自分はこのように暇つぶしも兼ねて書き始めたのだ。此処まで来たところで、丁度今お風呂も沸いたし、お風呂に入って資料に向き合おう。それにそうだな、偶にはこうやって見たくない自分と"自己語り"をして、向き合っていくのもいいのかもしれない。

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