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透き通るような「空」を魅せたSHIKIさんへ(10000文字強)

1:初めに

今週の日曜の夜のことだった。とある身内の界隈でワイワイとシノビガミというTRPGのセッションをやっていた最中のことだった。

セッション終了も目前と言う最中に、知人からの連絡の通知がやたら入ったので目だけ通そうと徐にメッセージアプリを開いた。そこにはただ一言記されていた。

その内容を目に通した瞬間、脳裏に過ったのは一つだけだった。

「頼むから嘘だと言ってくれ」

頭で騒ぐこともなく冷徹染みた心境で指を奮わせることもなく、ツイッターの検索欄に入力すると友人から送られた「SHIKIさんの訃報が発表された」という証拠が明瞭に示されていた。



この文章にはBMS・同人音楽の歴史においてのSHIKIさんの立ち位置、SHIKIさんの作品に関してのレビューや裏話、関係者の思い出話を纏めた内容は含まれていない。


所詮はそこら辺によくいる音ゲーが好きなしがない一ファンが、SHIKIさんの死と向き合っていくために胸の中でぐるぐると渦を巻く気持ちを整理しようと思った文章だ。

ぐっと堪えて何度か寝れば落ちつくのかもしれないが、逆にこの気持ちを風化したくないという気持ちが募っただけの文章だ。



なので、あの「」に魅せられたことを備忘録として書いていこうと思う。



2.「レジェンド」

SHIKIさんは2001年からBMS界隈で活動を初めており、BMSの歴史に残る数多くの作品を作り上げていた。

特にBMS界隈でも大規模なイベントとして年に一度開催される「THE BMS OF FIGHTERS 」においてもSHIKIさんは常連であった。

いや、常連どころか三度のチーム優勝経験をしたことがある「レジェンド」だった。この優勝回数はLeaFさんと並んで歴代トップである。


記念すべきBOF初年度の2004年では、AKITOさんやWintさんと共に結成した「ぬるぽコーポレーション」で優勝。自身の関わった作品も個人戦得点ランキングでは116作品中5位と高い順位につけていた。

このチーム自体も2004年当時の時点で「全員が全員反則級のチーム」と言われていたあたりに既に知名度の高さを窺えられる。

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また、2009年にはsasakure.UKさんやnaotyu-さんと共に「Black Jacks」を結成。2位チームの総得点の1.35倍という莫大な点数とともにチーム優勝を遂げた。公式の総括文章においても「ボスチーム」とも明言された通りに、個々人が既に持ち合わせていたネームバリューに恥じぬ作品を公開して、圧倒的な支持を得た結果が反映された。

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BOFは各チームごとにテーマ性を持たせることが多く見られる。これも一つの大会の特徴として一ファンとして楽しんでいる要素だ。

そして、このチームは「Black Jack」というチーム名の通りに、コンポーザーごとにそれぞれが「スペードのジャック」「スペードのクイーン」「スペードのキング」を担当し、中でもSHIKIさんは「スペードのキング」を請け負った。映像作品の序盤で見られるキングの要素がまさにそれである。

そして発表された「BABYLON」は、現在幅広い分野で活躍していらっしゃる映像作家のTOHRU MiTSUHASHiさんの映像と併せて206作品中4位をマークした。



これまでに述べた2つの優勝も凄いものだ。しかし、自分の中ではこの2つの大会よりも印象に残るSHIKIさんの大会優勝がある。時系列は前後してしまったが、2008年の大会のことだ。

BOFは年によってチームルールが大きく変わっていくが、基本的に1チームで数曲を作成して個々の作品やチームの総合点数で競い合う。この時、チームの結成条件は「作曲・BGA(映像)やジャケット絵(画像)・譜面を含め、チーム累計で3人以上関与すること」と言うルールが慣例となっている。


重要な点は「チーム累計で3人以上関与する」という所だ。逆に言ってしまえば、「映像を複数人の人に依頼し、1チームの曲を全部1人で作りきる」も参加ルールとして成立するのである。



この年。2つの有名な作曲者がこのスタイルで挑んだ。それこそ2009年では同じチームを結成した「Team:SASAKURATIONことsasakure.UK」さんと「SHIKI」さんの2人であった。


結果は前述の通りに、SHIKIさんのチーム「友達なんか要りません」が優勝を果たした。

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それぞれのエース曲であるSHIKIさんの「Lapis」、sasakure.UKさん「AVALON」の2作品は個人戦のスコア部門においても1位・2位をマークし、僅か53点の差の僅差で優勝を収めた。

Lapisの映像も(当時は数多く使用された別名義の一つのKANONを名乗っていたが、)前述のBABYLONの映像を担当したTOHRU MiTSUHASHiさんである。


話はやや飛ぶが、LapisのBGAではローゼンメイデンのキャラの蒼星石が何度か映っているが、これは意図的なものである。

SHIKIさんはLapis以外にもローゼンメイデンの各ドールをテーマにした作品を全部で7作品作成していた。纏めた動画をSHIKIさん本人の手によってニコニコ動画へアップロードを行った上、本人も自身のブログやツイッターで「ローゼントランス」と称していた。


また、自分の中で印象深く残っていることとしてLapisの曲コメントがあった。この件に関しては、自分が思ったことは詳しく述べないがSHIKIさんの真剣さが伝わってくる良い例だと思っている。

こんにちは。SHIKIと申します。

BOF2004優勝チームのリーダーにしてチームの足を引っ張った
借りを返すべく4年越しの悲願を掛けて3作品がんばりました。

結構自分らしい曲が作れたと思います。
美しいBGAと共にお楽しみください。



一方、2011年からバンド活動に専念したため、BMSの界隈からは離れていた。とはいえ、2011年から2015年にかけてSHIKIさんが参加していたGILDIAという同人音楽バンドでは数多くの作曲を担当していた。

GILDIAのグループが発表してきた曲は、現在pixivのBOOTHサイトにて全曲zipファイル形式で公式で無料配布されている。




そして、2015年。SHIKIさんは再びBMSの界隈へ復活してきた。


本人も「自分の中の音ゲーを詰め込んできた」と称した作品として「METATRON」を引っ提げて復活してきた。



maimaiにてジョイポリスオリジナル曲で収録された「Death Scythe」の続編的な立ち位置であり、正に渾身の作品であった。

2015年のBOFでは全部で441作品が登録されたが、個人戦の得点ランキングでは3位に入賞。文字通りのSHIKIさんの完全復活劇を象徴する出来事だった。


もっとも、4年後の2019年で

『SOUND VOLTEX(ボルテ・サンボル)の公募で落ちた曲であったことがSHIKIさん本人から明かされる』

からの

『2020年8月27日にSOUND VOLTEXにMETATRONが収録される』

というエピソードもあった曲でもある。


この曲のロングは後に作成され、アルバム「Lucia Rize」に収録されているが、SHIKIさん本人がYouTubeでアップロードされている。


そして、2018年や2020年のBOFにおいても参加し、歴代のBOFでは18回中8回も参加していた。この8回の中で、チームとしての優勝経験が3回、個人戦の優勝経験も1回という時点で破格の実績だろう。

それこそあくまでも自分の意見になるが、SHIKIさんがBOFというイベントにおいて最も秀でていた要素は「安定した順位を誇っていた点」だと思っている。


BOFの大会においてSHIKIさんが発表した作品は個人戦のスコアランキングで「全部30位以内」に収まっているといるという安定感を誇っていた。

確かにBOFのランキングはネームバリューが目に付くことが多いと言われているのは事実であるし、SHIKIさんの名前はBMSに触れたことがある人なら全員知っていると言っても過言ではないレベルだ。

一方で、BOFのランキングはネームバリュー以上に発表された作品の出来の方が注視されているというのも事実である。なので、SHIKIさんがそのネームバリューに応じられるような作品を作り続けたという事実の裏付けであると――あくまで自分勝手な意見や思考だとは知っているけど――そう思っている。


かなり長い前置きになったが、SHIKIさんはBMS界隈ひいては同人音楽界隈で長年活動し続けており、俗に言う同人音楽界隈における「レジェンド」の1人であった。今回の訃報でも自分のような一音ゲープレイヤーからプロの現場で幅広い音楽・映像制作をしている人までの多数の反応があった。



ただ、自分にとってSHIKIさんの印象にはそういう「レジェンド」といった箇所もあるが、それ以上にSHIKIさんが作った1つの曲とSHIKIさん本人の立ち振る舞いの印象が余りにも強く心に残り続けている。


3."Air"

作曲活動年数の長さに裏付けられるようにSHIKIさんが作曲した曲の数は、数えきれないほどだ。アーケードゲームに収録された曲だけでも二桁は軽く超えている。

よって、「SHIKIさんの中で最も好きな曲は?」「SHIKIさんの代表曲は?」と尋ねたら帰ってくる反応は十人十色だろうし、人によっては熟考してから返答するかもしれない。


でも、自分は迷うことなく次の曲を即答する。


「AIR」


2003年12月24日に発表された作品だ。ジャンル名はSHIKIさんの代名詞と言っていいTRANCEを含む「TRANCE CORE」。

この曲にもMETARONのようなエピソードが存在しており、「夏コミのゲスト依頼で作曲したものの没になった」「最終的には別の限定配布のCD(この委託先が-45さん)に収録してもらった」と言う経緯がある。

この話は詳しくはBMSに同梱されているRead.htmlから読める。

こちらも有名な話ではあるが、AirのBGAは韓国に在住している RYU-さんが作成したものである。インターネットが発達した2021年の現代と違い、2003年のBMS界隈でこのような交流は大変珍しかったのだろうか、この件に関しても色々と明記されている。


もっとも、このread meで記されている内容の中で自分が一番目を引いて、ぽかーんと驚愕したのは次の箇所だ。

単純なコードを鳴らして適当にシンセリード・ピアノを乗せて作っただけなんで曲自体は3時間ぐらいで出来ました。

難しいコトは何もやらずに思いつきだけで作った曲なので非常にすんなり上がったような気がします。(同梱されているRead.htmlより)

自分はBMSとしてダウンロードする前聞いた上で、大変お気に入りであった曲だったので、子の文面を見た時は思わず「えぇ、マジかよ……」と箱型パソコンの前で漏らしたことを覚えている。


曲自体はたった3時間で作られた曲。

だが、SHIKIさんの代表曲の一つとして間違いなく挙げられる曲だ。


事実として、アーケードの音ゲーにもこれまでに2016年8月にCHUNITHMへ2021年2月にSOUND VOLTEXへ2度移植されている。

Long verも実に3回制作されている。(1st Album「Cristears」版、soundcloud版、Best Album「Cristierra」版)。特にsoundcloud版は現在も公開された状態となっており、上記のアーケードゲームにも使用された音源でもある。


AIRというBMS作品で切っても切り離せないのが「発狂BMS」だ。

譜面の差分も多くの人の手によって作られている。発狂難易度表に認定された差分の数では1位を誇っている。2012年の時点で次の動画のレベルである。

いや、人気の度合いは知っているけど多すぎるわ。


中でも2006年に制作漁れた発狂BMSのAir-GOD-(★20相当・平均密度23.71ノート/s )は発狂BMS練習曲として長年愛され続けており、曲の知名度と譜面の完成度が合わさって「みんなの目標」とも呼ばれている。

余りにも延着プレイされまくっているからか、クリアの推定難易度が本来より下がっている為に、「本家」のAA(A)等で見られる「クリアレート詐称」が起きているレベルだ。



さて、話は戻るが自分がAirを最初に聞いた時期がいつだったのかは、正直なところ全く覚えていない。強いて言うなら2010年頃から音楽ゲームに強い関心を抱いたので、恐らくその時期の何処かだろうなと言う位だ。

「Airは気が付いたら知っていて、聞いていて、大好きな曲の一つになっていた」という立ち位置だった。ただ、初めてAirを聞いた時の第一印象は今も心の中に残り続けている。


透き通るような空


曲名のままであるのは否定はしない。だが、自分のAirの第一印象は紛れもなくこれだったし、今も変わっていない。

鮮やかに澄み渡る綺麗な青天に溶け込みように響き渡り、空をかけ巡れるように体がふわっと数cm浮かぶような錯覚を覚える。

その時点でfelysに人生を狂わされていた自分であったが、felysとは異なるアプローチで空への多幸感を描き切っていた曲に感じていた。いや、感じ続けている。


 「Air」への印象は自分の中ではSHIKIさんの曲の印象とリンクしている。


SHIKIさんの曲の持ち味は、本人が仰っていた通りに「Melodic Trance」なのは間違いないと思っているし、「SHIKIトランス」の代表格こそがAirであるとも思っている。

「SHIKIさんの作る曲は大体どれも似ている」という評判を受けていた光景を数多く見かけたこともある。自分も(GILDIA時代や同人CDの曲はさておきとして、)BMS・音楽ゲーム曲に関して言うと、SHIKIさんの曲はそういう側面は多いと思っているので否定はしないが、次のように言い切る。


寧ろ、その"SHIKIトランス"の"安定感"こそが自分は好きだったのだ。


確かに数多くのジャンルの曲を作曲し続けるコンポーザーは今となっては数多くいらっしゃるし、自分もそういう傾向で好きなコンポーザーは大勢いる。無論、SHIKIさん本人もこのことは自覚していたが、敢えて「自分は自分のままの良さを発揮し続けたい」という態度を取って、作曲し続けていた。


第一印象が「透き通るような空」であったことから、自分の中では"SHIKIトランス"へは「プリズム」のような感覚を抱いていた。


プリズムはプリズムを置く場所や観測視点の角度を変えるたびに屈折の仕方が代わり、鮮やかな偏光を照らし出す性質を持っている。

"SHIKIトランス"も根幹は紛れもなく同一ではあるが、それぞれの曲ごとに違う角度や切り方の方向性から作曲されたことで様々なタイプが生まれてきたと思いつづけている。


なので、自分の中では上記の意見を見るたびに「いや、似た曲のように思えて全然違うだろ……。オタクなら確りと聞け」「そもそも根底が違う。これだからSHIKIさんの曲はいいんだ。老舗の美味しい店に入って、美味しい料理を安心して味わえる上に、毎回味付けがが違っている。だからこそいい…………」という大変面倒なオタクめいた気分になっていたのも補足する。


4.遠くにいるけど近くにいる

ここまでは「SHIKIさんの曲」ばかりを述べていたが、自分の「SHIKIさん本人の印象」となるとかなり変わってくる。特に色々な同人音楽イベントにヒッソリと一般参加するようになった2017年頃から大きく印象が変わっていた。


コミケよりも盛況になることが多い、日本最大の音楽・メディアミックス同人即売会「M3」。

自分は今では開催規模が大きく縮小された昨年の春にすら向かうくらいには一般参加にも慣れてきている。ただ、初めて参加した2017年やその翌年の2018年の時はまだ戸惑いや緊張が滲み出ていたことも未だに覚えている。

中でも2018年春の時だ。「新譜だけではなく様々な旧譜も含めて何を買いに行くべきか」と前日の夜に悩みながら、Twitterで自分が好きなコンポーザーさんのアカウント巡りしていた。ふとSHIKIさんのアカウントで旧譜の販売を行うという告知が目に入り、巡回するスペースの一つとして迷うことなく組み込んだ。


当日、そのスペースへ向かって、目当てであったBest AlbumとLucia Rizeを買った。


それだけの話……ではあるのだけども、その時にアルバムを買った時の事がまだ抜け切れていない。

肩から下げた大きな鞄の中から、財布を取り出して指先を震わせながら二枚のアルバムを手に取って会計をお願いした。その際に「Airやローゼントランスを初めに、トランス曲、好きです」と緊張して言葉を切りながら述べた後に、「こちらこそ」と言ってSHIKIさん本人が会計に応じてくれた。

振り返ると、余計に「ただ、それだけの話」と言われるだろうが、何処か自分の心の中にその光景は残っている。



別件になるがSHIKiさんがpixivのBOOTH経由で自家通販を始めた際は、CD購入時にサイン希望をする方には漏れなく無料でサインを入れてくれるという事もしてくださっていた。


間違いなく「レジェンド」の一人ではあるので遠くにいる存在だけども、何処か近くにいるようにも感じられる。


ファンサービスが旺盛という表現よりは「自分が好きなアーティストがやってくれたら嬉しいことは他の人にもする」という表現が適切で、純粋純朴で素直な印象が心に抜け切れていない。



その感触が一番強くなったのは、2019年2月9日に行われたBMSのクラブイベントである「BM9820A」に参加した日の事だ。


今だによく覚えている。このイベントが行われることを知ったのは3日前で、参加する人と開催場所を確認した後は慌ててスケジュールの空きを確保しに行った。

当日は余りに待ちきれなくて開場時間より1時間半近く先に到着し、いまかいまかと待機をしていた。その効果も実って、メインフロアの最前列を確保することができた。


単に最前列で楽しみたいという気持ちがあったのはいうまでもないが、それと同じ位メインフロアのトップバッターであったSHIKIさんのDJを全身で体感したいという気持ちもあった。


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最前列を確保し、スマホに取ったタイムテーブルを何度もチェックし直たり、会場の様子を見回していたりすると、アナウンスが始まった。

写真や映像はある程度は撮っていいと告げられたので、思い出に残すためにも一杯写真を撮ろうと決意した。一番手であるSHIKIさんが登場するという声と共に精一杯の拍手をした。


BMS20周年をお祝いする非公式ではあるが余りにも豪華なメンバーが揃ったクラブイベント。その一番最初に映っていたのは、


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"いつものフォント"でShikiさんの名前が記されたVJ


そして、空を連想する青いバックライトに照らされたSHIKIさんだった




この時のライブパフォーマンスは公式が挙げてくださったyoutubeで見ることができる。

セットリスト以外で自分が忘れられないのはライブが始まった瞬間に、SHIKIさんが(前日かなにかにドン・キホーテでSHIKIさん本人が買った)手首や腕に巻くブレスレット式のペンライトを席に向かってぽんぽんと投げて下さってことだ。

最前列で「えっ、あ、ありがとうございます!?」と思いながら受け取り、即座に左手首につけてその後のライブも全部手首に巻き続けながら、クラブイベントを大いに楽しんだ。

DJを行っている間もライトをぽいぽいと投げたことへは特に何も述べず、淡々と会場を盛り上げていたことが実に「こうしたほうが楽しくなりそうだろうし」というSHIKIさんの雰囲気が滲みでていた。



セットリストの順番・内容が両者ともに自分にとっては100点中120点であった。

初手にSHIKIさんのトランスの処女曲であるSEPIAから代表曲を次々に掛けなていく間に、当日にお披露目の新曲としてAKITOさんの桜華月のリミックスを流す。AKITOさんは上でも挙げたように初代BOFでSHIKIさんと一緒にチームメイトになったが、十数年の長い間消息不明の状態が続いていたままだ。

そんなAKITOさんのremixをこのBMSの20周年を流すというのは、何処が感慨深い思いが胸にこみあげてきていた。


桜華月のリミックスの後に(当時では)新曲寄りのOrfevreが流れた後に、Lapisと来た際に、心の奥底の何処かやってくる最後の曲がアレであると確信し――――実際に到来した。


"To the beat of our hearts, we will do the dance of love"


何百、何千と聞いたこの言葉が流れるやいなや、

クラブ全体からごく自然と歓喜の声が響き渡った

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この瞬間を最前列に立ち会えただけで、自分はこのクラブイベントに参加して正解だったと思ったし、今でも心の底より強く思っている。そんな至極の一時だった。


5.最後に


初めにSHIKIさんの訃報を目にしてからもう5日が過ぎ去った。

当日は寝ようと思っても茫然自失としてしまい、朝の7時まで目がさえわたって眠れなかった。しかし、それでも日常生活を過ごしていく中で普通に起きて、動いて、作業して、寝れるようになっている。


自分の中で何処か納得をするためにという形でも書き始めたが、思っていた以上に長くなってきた。逆に言えば、自分の中でのSHIKIさんの存在感の大きさと影響力を見つめ直すことが出来たとは思った。

改めて、自分の手元や実家に残っているSHIKIさんが作った曲や購入したアルバムに──クラブイベントで受け取ったライトを大事にしていこうと思った。

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いや本音を言うとそれでもやっぱり辛い部分は残っているんだよね。自分を納得させるためってのが主目的であるとはいえ、この文章を書いている時に記憶間違いではないことを確認しに検索を掛けるとそこらかしこにSHIKIさんへの追悼文を見つけたり、本人が死亡した為に規約でBOOTHに置かれていたアルバムが全部消えてしまっているのを目にしてしまって「あぁ、本当にやっぱり死んでしまったんだな。分かってはいたけれども、本当に本当なんだな」と再認識してしまって、思わず続きを掛けずに下書き保存で終えてしまったこともあったし、後はSHIKIさんの地元のゲーセンが自分もかなり通っていたゲーセンでもあったのは知っていたからSHIKIさんの曲がアーケードゲームに入るたびにちょっとSHIKIさんの曲をそのゲーセンでプレイしてくるという気持ち悪いことを何度もしていたな。なんでだなんで作品なんか何も作らないで日々を適当に過ごしている自分なんかじゃなくてSHIKIさんが。



ただ、ふと頭によぎった言葉があった。



「人間は二度死にます。
一度目はその肉体が生命を終えたとき。
二度目はその方のことを覚えている人が一人もいなくなったとき」

昭和時代のテレビ番組の構成や脚本や作詞を手掛けた名高い放送作家である「永六輔」さんが生前に残した言葉だ。記憶から消え去ることが第2の死だと言う話だ。

自分達がこのようにしてSHIKIさんの曲の良さや出来事を語り継いでいったり、何度も何度も聞き直していくことこそが大事であろうと思う。

BOOTHにあったアルバムは残念ながら消えてしまったのは事実だ。だが、SHIKIさんが運営していたHPやyoutubeアカウント自体は残されたままである上に、Best Albumである「Cristierra」やアーケード音楽ゲームの書き下ろし曲のロングが収録された「LuciaRize」は各プラットフォームで購入することは出来る。


こうやって何らかの媒体でまだ購入できていくことを残していくことも、大事だと思ったのだ。



最後に。

訃報を聞いた翌日の朝のことだ。照り付ける月曜日の日差しを鬱陶しく思いながら一睡も出来ずに家を出て、徐にBM9820ATの時期から愛用し続けているスマホからイヤホン経由で音楽を流した。

普段なら曲を選ぶのに朝食を食べ乍ら考え込むことが多かったが、この日は迷うことなくSHIKIさんのAirを選択した。勉強や単純作業で気分が沈みこんでいたり、気が滅入っている時に「綺麗な空を聞きたい」という思いで選ぶことが多い曲だった。

何十、何百と聞いたAirを流しながら、ふと空を見上げた。


そこは雲一つなく朝の上弦の月だけが浮かびあがっており、

透き通るような空が広がっていた。

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何の変哲もない空であったが、何故かこの日は思わず写真を撮って残してしまっていた。



SHIKIさん。自分はただの遠くから応援していた一ファンでしたが、数多くの素敵な作品を作ってくださり、本当にありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。


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